OUTSIDE IN TOKYO
AMOS GITAI INTERVIEW

アモス・ギタイ監督特集 アモス・ギタイ インタヴュー

4. 批評家が、自分が映画の中で観たものを構築して文章にすることができるならば、
 常にそれは役に立つことだと思う

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OIT:その物語という事に関して昨日も話されていましたが、コティディアン(日常の些細な事柄)という言い方をされていたんですけど、それもすごく監督が意識されたことなんじゃないかなと。その物語は小さい物語があり大きい物語がある、その小さなストーリーに対する優しさ、こだわりが自分にすごくグっとくるんですよね。
AG:それは記念碑的なものに対抗することだと思います。

OIT:それは対比ということで意識されてるのですか?
AG:はい。

OIT:逆に対比がない映画というのは魅力がない映画でしょうか?
AG:主観的な問題でしかないけれども、多くの人が実際には極端に単純化された図式的な映画をただ単純に消費している、これが現実です。私は単に自分が何が好きで何が嫌いかっていうことを言っているだけなのかもしれません。消費文化ということから話を始めましたので、私は消費というよりも積極的な解釈に重きをおきたいと思っています。

OIT:国という歴史がない国という言い方もされていますが、ただ今のこの時点では最初のイメージ、最初のコンセプトが実感できない人達も育っていますね。それは監督の映画でも描かれていますが、それに対して何か考えは?
AG:それはイスラエルだけではなく、日本でもどこでも同じだと思いますけど。

OIT:さっきの日常と今の話と繋がるんですが、そこをあるものとしてこういう人達がいる、あるものとして日常を伝えるという気持ちはあるんですか?監督の映画作りとして今のある状態を伝えるっていうことが大事なのかどうか。
AG:そうですね。もう10年前になるけど、それが有効かと思う。明日(東京日仏学院に)来て頂いたら戦争について話します。7時半から『ケドマ』の後に話します。

OIT:戦争の話になることこそ長くなると思ったので、ちょっと避けていたんです。でも全部繋がってますよね。
AG:全くそうだと思います。

OIT:監督と映画の距離というのをちょっと聞きたいんですが、自分と自分の作る映画との距離っていうのは?
AG:それぞれの映画によって違います。『カルメル』は例えば非常に近い、でもそれぞれの作品について自分との距離というのは常に深く考えなければいけない。

OIT:時間も違いますよね。
AG:『キプールの記憶』の場合は、私自身の体験に基づく映画ですから当然近いものになります。

OIT:ある意味、映画を作り続けいくことで“ゴーレム”とも繋がるのかなと思ったんですが。監督の映画があなた自身の“ゴーレム”という意味です。
AG:映画は、私自身を破壊する力はないと思います(笑)。ただし私自身の意識の作り出したものであることは全くその通りです。

OIT:わかりました。ありがとうございます。全ては映画の中にあるという事が分ったので。そして、その映画の体験はとてもとても素晴らしいものでした。
AG:私がどう説明するか以上に、あなたがどう書くのかということにも期待したい。映画批評家を失業者にしたくないので。

OIT:批評家を嫌いな人達も、たくさんいますよね?
AG:批評家が自分が映画の中で観たものを構築して文章にすることができるならば、常にそれは役に立つことだと思う。なかには観客一人一人が解釈する時の助けになる批評家っていうのはまだ何人かはいる。時には映画作家本人がやらない仕事を批評家が代わりにやってくれている時もある。外からの視点というのは時には必要になるからです。

OIT:映画のリストのクレジットのところにセルジュ・ダネーの名前がありました。彼にとても色々なことを教わりました。
AG:素晴らしい人です。彼は私の第一作『家』について書いてくれました。

OIT:個人的な繋がりもあるんですか?
AG:ええ、とても興味深い人でした。初めて会った時に彼は既に大変に有名な批評家になっていましたけれど、私は一番最初の『家』を持っていったわけです。その時にちゃんとした上映施設を借りるお金すら無かったんです。そこでパリの非常に薄汚い所で上映したわけですけど、しかし彼は興味を持って観に来てくれて文章を書いてくれたんです。そういったことだけでも彼は尊敬するに値する人だと思います。

OIT:素晴らしいですね。僕(江口)が彼と初めて会った時は学生だったんですけど、ものすごく話をちゃんと聞いてくれて。
AG:例えばジャン=ミッシェル・フロドンなんかもセルジュ・ダネーに育てられた人です。

OIT:ありがとうございます。監督の映画にも、ダネーと同じ、オープンな対話を感じました。
AG:これは今まで話してこなかったことですが、『石化した庭』の映画の最後のショットは彼が亡くなった日に、彼が亡くなった部屋で撮ったものです。あのアパートの奥の部屋で彼が寝ていて、私達は表の方でアンリ・アルカンと撮影をしていたのですが、その撮影が終わった時に救急車が来て運ばれてそこで亡くなったんです。彼の魂が撮影現場を守ってくれる、彼の人生の最後の瞬間、それがあの映画を特別なものにしてくれているのです。

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