OUTSIDE IN TOKYO
ANG LEE INTERVIEW

アン・リー『ウッドストックがやってくる!』オフィシャル・インタヴュー

2. ウッドストックは無邪気さの絶頂に起こったことだった。そしてあの時の情熱はやがて衰退していく。

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──この映画は、どの程度史実に忠実に描かれているのでしょう?
それは大変な質問だな。答えるのが大変だ。もちろん伝記という側面はある。でも著者のことをどの程度信用したものか…(微笑む)? 主人公のエリオットは確かにマイケル・ラングに電話をかけた。でもその部分のリサーチをした時に、ウッドストックの口述歴史を辿って、マイケル・ラング自身とも、ジョエル・ローズマンとも話をしたんだけど、彼らの話はまた少し違っていたんだ。まるで「羅生門」だよ。例えばあの牧草地を見つけたのは誰だったかについては、少なくても4パターンの答えがあったよ。「あの牧草地を見つけたとき、これだって思った。まさに運命だった」って、誰もが言うんだ。みんなあそこの土地、あの円形劇場を見つけた最初の人間なんだよね。だから本当にいい質問だよ。僕は原作バージョンで撮った。僕に言えるのはそれだけだね。ちなみに本作の中でウッドストックは出てこないんだ。面白いことに、ウッドストックはウッドストックで起こったわけではないんだけど、誰も開催されたホワイトレイクやベセルとは言わずに“ウッドストック”って言うんだよね。

──あなたの作品『アイス・ストーム』(’97年)とこの題材の関連性にはすぐに気づかれたのでしょうか?
そうだね。ウッドストックという言葉を聞いた時、ウッドストック後の話をやったことを思い出したんだ。ウッドストックは無邪気さの絶頂に起こったことだった。そしてあの時の情熱はやがて衰退していく。そしていろんなものが衰えていった時、いやな後味が残った。それが『アイス・ストーム』なんだ。

──過去を舞台にした映画をお作りになる時、その作品にふさわしいある種のスタイルというものを意図的に選ばれることはあるのでしょうか? 『アイス・ストーム』では70年代風でしたし、『ウッドストックがやってくる!』は60年代末のスタイルに見えました。
歴史は2部構成になっていると考えているんだ。ひとつは事実としての歴史。そしてもうひとつは文化。映画はリアリティに迫るもの。それが僕らが覚えているものだからね。だから僕はその両方を大事にしたいんだ。監督を始めてまだ間もない頃、『いつか晴れた日に』(95)を監督したとき、歴史的なリサーチを行って、それに忠実に撮ろうと思ったんだけど、そこで問題にぶつかった。忠実に描くと、イギリスっぽく見えないらしいんだな。そこで多少大げさな要素が必要だということに気づいたんだ。それが文化だ。そういった経験から学んだんだ。その両方の狭間でいつももがいている。その双方を捨てようと思う時もあれば、大切にしようと思うこともある。本作では意識的にスクリーンを分割して、16mmで撮影し、手ぶれのするカメラでズームも多用した。一番大きな決断はズームレンズを使うかどうかという点だった。もう40年ぐらい時代遅れのものだからね。ズームを使ってしまうと、その部分は編集もできないし。後戻りはできない。だからそこが一番考えに考えて決めたところだったんだ。

──主演のエリオット・マーティンを起用した理由を教えてください。
皮肉なことに彼をキャスティングした当初、我々は彼は面白い奴に違いないと思っていた。でも実際に彼を撮影してみると、彼がもっと他の何か、期待していたものとは全く違う何かを見せてくれることに気づいたんだ。彼は映画界では新顔。彼がステージでやってきたことをそのまま映画に使うことはできない。僕の作品では、彼は面白いことはやっていないんだ。ステージの仕事では彼は面白い人間だって知られているし、彼が主導権を握っている。不格好な人間を演じているけど、実は彼自身はすごく頭のいい人。それが彼の手法なんだ。でも映画ではそうはいかない。だから彼がつくり出すその場面にふさわしい雰囲気にこちらが合わせていくことにした。このやり方は間違いではなかったと思うよ。でも僕自身はちょっとナーバスにもなっていた。コメディアンとしての彼を、この映画を面白くするために上手く活かすことができないとわかっていたから。彼の持ち味とこの作品にダメージを与えてしまうかもしれないとも思った。その代わり彼の別の面を見出したんだ。もっと感動的な部分をね。僕は、コメディアンと仕事をしたことはこれまで一度もなかったんだけど、すごくいい人選だと思っているよ。もっとディミトリを見たいと思うはずだし、皆が彼のことを、彼の初々しい顔が好きになると思うな。それに彼の物腰や気質が、脚本に書かれた性格にすごく近かったんだよ。

──ウッドストックを実現させた立役者であるウッドストック・ベンチャーズのマイケル・ラングを演じたジョナサン・グロフについて教えて下さい。
グロフは実際に何度もドキュメンタリー映像を観ていて、自分が第一印象で感じたマイケル・ラングの雰囲気を捉えていた。僕は、それをさらに解放して自分のオリジナルのマイケルを創り上げるという演技を引き出すべく心がけたんだ。

──実在した出来事を映画化するにあたって緻密な時代考証をするための苦労があったのではないでしょうか?
この映画の製作に携わるうちに、60年代に対する情熱を感じ始めたんだ。僕は、スタッフたちと“作戦司令室”を作り、30フィートの壁に大きなフローチャートを貼り、撮影スケジュールや撮影日、またそれぞれのキャラクターの感情や肉体的変化、シーンごとにモーテルのプールの水の色はどう変えるかなど、通常の流れに沿って細かくポストイットも貼っていった。これに加えて僕と歴史家のシルヴァーがタイバーの本やドキュメンタリー他、映像や写真記録などリサーチの過程で集めたちょっとした挿話用の情報もスクラップしていったんだ。例えば掲示された情報には、ありとあらゆるものがあって、食品に関するものもあった。フェスティバル開催中、いかにして食料が尽きていったか。わずかしかない売店は早々と売り切れ、町の財源はほとんど尽きていたからね。そしてどういういきさつでカリフォルニアから来たヒッピーの一団ホグ・ファーム(イベントの2年前にヒュー・ロムニーまたの名をウェイヴィー・グレイヴィーが設立)の尽力によって食事を無料提供してもらうことになったか、などについてもね。これだけの原資料があると、別の見方もできると思うから、最終的にはどこにクリエイティブな裁量を取り入れていくかということになるんだ。情報が増える度に壁に貼ったフローチャートを修正し、背景となるアーティストをウィロー集団、バイカー集団、プール集団など7つの“集団”に分けていった。このおかげで、当時の人々を演じたエキストラたちをまとめるために役立った。なにせ何百人もいるんだからね!

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