OUTSIDE IN TOKYO
BAHMAN GHOBADI Interview

バフマン・ゴバディ『ペルシャ猫を誰も知らない』

2. 家に引きこもり、逃亡や自殺も考えたが、彼らのライブを見て自分も頑張らなければと思った

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OIT:あなたが現在イランに戻れない状況は精神的に相当な痛手なわけですね。
BG:確かに、とても寂しい思いをしています。(なぜなら)母国を離れてうれしく思う人は一人もいないと思うからです。私の親しい友人たちはみなイランにいますし、スタッフも全員イランにいるのです。私の家も車も洗濯機も、ごはんを食べていたお皿も全てイランにあります。ですから、私としてはやはりイランを離れて違う場所に住むというのは本当に痛手ですね。とは言え、地球は本当に小さな星です。なので、人は時と場合によっては、場所を変えることも必要なのだと思います。場所を変えることで人間はまた強くなり、生まれ変わることができるからです。私は今40歳ですが、この空の下で、自分の国を離れて違う土地で暮らすことで、生まれ変わったように感じます。
(ただ)少なくとも1年以内には何らかの形で(状況が)変わるだろうと私は踏んでいます。そうしたらまたイランに戻って仕事を続けたいと思います。結局、イランでは、芸術家は規制されるものですが。それもあって、一度はイランを離れて、つまりイランから脱出したというのが現状です。そして私は現在まだイランにおらず、いないからこそ、幸い、みなさんとこうして、Skypeを介して自分の意見を自由に述べることができるわけです。今までのようにイランにいたら、こうして話すこともできなかったわけですし、それとも、結果的に言葉を選んで話さなければならなかったと思います。

OIT:でもこの映画を撮る前は、多少(こうなることも)想定していたわけですよね?
BG:そうですね。本当はこの映画『ペルシャ猫を誰も知らない』を計画していたわけではないです。これを作ろうとは思っていなかったんです。実際、別の映画(の企画)を考えて、その許可を取ろうとしていたのですが、2、3年経ってもなかなか許可が下りませんでした。内容的にはふつうの映画で、政府を批判しているわけでもなかったんですけどね。(それに元々この映画も)こういう内容の映画ではなかったので、結局、ダメと言われた時にはとてもショックを受けて、家に閉じこもるようになり、太ってしまい、自殺を考えたり、逃亡を考えたりしました。そこである友人が、音楽が好きなら、音楽でも始めてみたらいいじゃないかと言うので、彼がイランのアンダーグラウンドのバンドの下へ連れていってくれたんです。そこで見た若者たちは、許可もなければ、お金もなく、たいした楽器もないままやっています。そんな古い楽器でがんばっている姿を見て心を打たれ、やはり自分もがんばらなければと思ったんです。彼らはアンダーグラウンドで音楽をやっているわけですが、私たちはアンダーグラウンドで映画をやろうと、そこで初めて考えたんです。まあ、彼らの今の状況を映画にしようと思ったのがきっかけですね。それで『ペルシャは誰も知らない』という映画を作ってしまったのですが、内容的にはそんなにイラン、またはイスラムを批判しているとか、道徳や人権(の問題)について批判的であるとか、そういう内容ではなかったんですけどね。ふつうに上映されてもおかしくないと、私は思っているのですが、もし政府の人間が、そういう映画、というか、私よりもっときわどい映画を作り、内容的にもっと政府を批判している映画を作っていても、結局、コネがあったりするので、そんな映画も上映されるし、別に捕まることなく、自由に活動できるわけです。でも私のような人間は、そういうごくふつうの映画を作っただけで捕まってしまったりするんですよね。要するに、差別ですよね。ふつうなら、お父さん、それはつまりイラン政府、または文化省をお父さんに喩えると、映画を作っている人は子供たちってことですよね。そんな子供たちの間で差別をしてはいけないですよね。みんなに愛情を持って、同じ扱いをしなければいけないわけですけど、そういうことはない……。この子供は善い子、この人は善い人、これはダメな人、と決めつけて、差別しているというのがあります。そして差別を受けた人は、必ずコンプレックスを持つようになりますね。ですから、私はイラン人ですが、クルド民族でもあるわけです。イランでは色々な人たち、つまり、ペルシャ民族もいますから、そこでも差別が出てくるわけです。ペルシャ人が1番でクルド人は2番というように。クルド人の中には無職の人が多いとか、失業者が多いというふうに。でも私が思うに、クルドもペルシャもみんな同じ人間で、同じ扱いを受けなければいけないはずですよね。それに、国の財産は全て国民のために使われなければいけないものなのに、なぜか海外のために使われたりしているのも、不当だし、不公平だと思います。

OIT:有名な(イラン人の)監督もいますが、差別されていないと思われる人たちは、例えば、キアロスタミとかそういった(海外でも)有名な監督たちだったりしますか?
BG:監督の名前は出したくありません。現在のイランの社会問題を映画にした監督は何人もいますし、私よりも優秀で有名な監督もたくさんいます。まあ、でも、そういう人たちには分からないんです。一部の人たちは、ある意味、袖の下を払わないとか、ぺこぺこしないとかの理由で、自由に発言をしたくても活動が制限され、仕事もできない状況に陥るわけです。結構、無職のまま家にいて、貧しい暮らしをしている人もいます。そして私のような人間、つまり、海外に出た人もいますが、結局、映画を作るのがむずかしいわけですね。黙っていたり、強く批判せずにいたり、跪いたり、ハイハイと言っていれば、許可をもらえると思うのですが、私よりもっと優秀な監督もそれができないものだから許可を出してもらえないというのが現状なんですね。

OIT:失礼な質問かもしれませんが、自殺も考えた状況の中で、考えたこと、悩んだこと、そして自殺を考えたことが、もしかして、この映画の最後にある“死”のシーン、つまり自分の頭の中の“死”を象徴するものだったりするのですか?
BG:あなたも、もしアーティストだったら、私の気持ちは分かると思うんです。私としては、やはり映画を作るのが好きでこの仕事をしているんですね。そして次から次へ新しい作品を出したいというのが、私の気持ちですが、それは妊婦、つまり妊娠している女性に例えるなら……、今の妊娠している女性は、子供を産むか、自分自身と子供を殺す、つまり自殺をするかの選択肢になるわけです。つまり、イランでは、私のような人は、映画の中の、おなかの中にいる子供だとします。隠れて撮影し、イランの外に出て、他の場所で見せるか、それとも自分が死ぬしかない。だから自分としては映画を撮りたいけど、許可も下りないので、もう死ぬしかないと思ったのです。ただ、色々と考えた結果、私としては生き残って、生きて、次から次へ作品を作り出すのが務めだと思ったのです。例えば、昔のアラブ圏では、子供が生まれて、その子が女だと殺してしまったわけです。以前はイランでも、女の子はいらないけど、男の子だと喜ぶという感じだったんです。今の政府は、結局、映画だけでなく、私たちの考え方から、何から(何まで)コントロールしようとしています。私としては、結局、私の子供たる映画を殺すことはできなかったので、外へ逃げているわけで、それ故に、別の形で子供を産むことにしたのです。まあ、私は別に違法なことは(何も)していません。非イスラム的な映画を作っているわけでもありません。映画の中でイスラムや政府の批判もしていません。ただ、そこまでしていないのに、政府は私の映画に許可を出さないのです。

OIT:ではなぜ、最後のシーンで“死”を選択したのですか?
BG:なぜあのシーンにしたかと言うと、イランの土地では、毎日のように、そうやって1人の人間が死んでいく。つまり、自殺したりで死んでいるのです。私の友人の中にもそういう死に方をした人がいて、そんな友のことを思い出してそういう場面にしたのです。例えば、アシュカンとネガの2人の主人公ですが、1人は自殺しました。要するに、2つしか方法がないのです。最終的に、それを見ているみなさんに教えたかったのです。そして(女の主人公)ネガのように、自殺をし、自らの生命を絶ってしまうか、(男の主人公)アシュカンのように、病気だけど、結局、酸素を与えれば生き延びられるという、そんな2人が象徴する姿を、みなさんに見せたかった。音楽など、そういう活動をしている若者は、このように自殺をするか、病気でも酸素を与えればなんとか生き延びられるだろうということ、それをみなさんに知ってほしかったのです。



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