OUTSIDE IN TOKYO
FUJI TATSUYA & MINORIKAWA OSAMU INTERVIEW

藤竜也&御法川修『人生、いろどり』インタヴュー

2. 富司さんの術中にはまったかもしれない(藤竜也)

1  |  2  |  3  |  4



OIT:吉行さんとのシーンも素晴らしいんですけど、富司純子さんとのシーンがとても良かったですね。薫(吉行和子)がいなくなっちゃって、花恵(富司純子)のお店に輝男(藤竜也)が探しに行くんだけど、輝男はあんまり困ってる素振り見せないようにしつつ、実は凄く追いつめられてて、凄くおかしくて声を出して笑っちゃったんですが。
御法川修:みんなそこ笑ってくれます(笑)。花恵ちゃんって言って最後振り返るところ。
OIT:笑うんですけど、笑いだけじゃなくて、何かこの2人は怪しいというか、過去に何かあったんじゃないのか?みたいな(笑)。物語上ですよ。
藤竜也:僕は全然そんなこと考えてなかったし、心の中でそういう設定もしてなかったけど、それは不思議ですね、そうなんですか。それはあなただけじゃなくてよく言われるんですよ。
OIT:富司さんが他の人に見せないような部分を藤竜也さんとの間で見せたのではないかという。
藤竜也:じゃあもしかしたら富司純子さんがそれを作ってきたのかもしれないですね、もちろん、私こういう風に作ったのよなんて話しませんからね。だからそれは富司さんの術中にはまったかもしれない(笑)。
OIT:台本にはそういうト書きはなかったんですか?
御法川修:そうですね、それは演出だって言えればいいんですけど、そうじゃないです、全く以て。でも僕、藤竜也さんのそばで見てて、さっき藤さんが発言されたことを聞いてなるほどと思いましたけど、上手く言えないですけど、もう一つ別な時間を竜也さんは竜也さんで生きてるんだと思うんですよ。この物語で、どの角度でその時間があるのか僕には分かんないけど、吉行さんと藤竜也さんが一緒にいる時に過去の役を引きずったりしてるのとは全然違う何か、一体藤竜也さんていう存在はどんな時間を生きていらっしゃるのかなって不思議に思うぐらいの、重ねてきた映画の時間と幾つかのキャラクターの一つ一つ、映画の中ではある一瞬ですよね、一瞬を演じてもその前後の生涯が当然あるから、そこにちょっとずつ触ってきたことが全部繋がってるんですよね。だからそういう意味では吉行さんと藤さんが並んだ瞬間に醸すものがあるんですよね。今褒めて頂いた、富司純子さんと藤竜也さんが並んだ瞬間にやっぱり醸すものがあるんですよ。でも引き金を引いたのは竜也さんなんです。いなくなった自分の妻を探しにきて、自分の妻には言わないような自分の意見を理路整然とちゃんとぶつけて、中をのぞいた後、買った物を忘れていく、それは竜也さんのプランなんですよ。純子さんの方はそれを受けてたって、忘れた物をハイって渡して、竜也さんは釣りはいらん!って言うんだけど、(純子さんは敢えて)お釣りを返すっていうお芝居を誘導してくれた。そこで輝男が花恵ちゃんって言った瞬間に、輝雄と花恵と薫の、女2人と男1人の“時間”があの時スタッフもみんなパーッと“見えた”んです、ああいうのは不思議な感覚ですね。
OIT:ラッシュで見て“見えた”んじゃなくてその場で?
御法川修:その場で感じましたね。なんで輝雄はいきなり花恵ちゃんって言ったんだろうって、みんなどきっとしたんですね(笑)。
藤竜也:そこは忘れちゃった。
OIT:瞬発的にリアクションしたっていうことなんですかね?
藤竜也:それは出てくれたら嬉しいですよ、しょっちゅう出るわけじゃないんですよ。上手くいくと出る。俳優っていうのは観客がいるわけじゃないから、つまりまあ監督と俳優の関係なんですよ。監督がそれをOKするのかしないのか、そういう勝負、だから書かれてないこと言うと、ある人は失礼だと言うし、脚本家だって嫌がる、まあこのホンは西口(典子/プロデューサー・脚本)さんが現場でそばにいるしね、彼らを説得出来ればいいわけで。突然出ちゃった言葉が、もし嫌だったらとってくださいって言われるわけだし、言われなかったわけだから良かったんでしょう。僕も言うつもりじゃなかったんだけど、そういうのって実際いつも求めてるんだけどなかなか出ないし、無理にやるとイヤらしくなる。つまり心の中に起きる突発性なんていうのは、そういうものは俳優も心得てるから、突然なんか駆け出したりしてもフレームの外には絶対いかないんですよね。だけど言葉だったらその度に言えるから。だから言いそうなものは何回も練習する。現場では、制約があって、灯りもあるしマイクもこうやって持ってるし、突発的に俳優に動かれたら困っちゃう、だから唯一言葉だけがその中で生きる。
OIT:今回はデジタルのビデオで撮影されていますが、35mm(フィルム)でやるよりは機動性は多少あるんですか?
御法川修:あんまりそれは関係ないですね。逆に技術スタッフも含めてデジタルに移行しているので、ちゃんとデジタルのカメラに僕も精通して、どういう風に仕上げられるのかってことは考えたけど、フィルムとデジタルの差は多分あんまり現場でもなかったと思います。きちんとライティングもして撮ってるから、デジタルで機動性がでるというものでもないですね。

基本的に、藤さんとか吉行さんもそうだったんですけど、突発的にと言いながら凄くちゃんと僕も含めてスタッフとコミュニケーションをとってくれるので、いきなりっていうのはないんですよ。凄く積み上げていくんですよ、藤竜也さん。だからそういう意味では、それを僕らがメカニックも含めてちゃんと切り取って撮影していかなきゃいけない。その時間をちゃんと僕らにくれるんです。どこか僕らは本当に誘導されたようなところがあって、撮ってる僕らでもドキュメンタリーみたいな気分はあったかもしれないですけどね。藤さんは、必ずちゃんと裏付けを作ってるんですよ、僕らより先に地元に入って取材もしてくださってるんで。うなぎのところがあったじゃないですか、「うなぎ動けー」って言うところ。あれも感情表現としては突発的ですよね、あの時も、みんなは現場でおかしいって言ったんですね。輝雄が声を上げて「うなぎ動けー」って言うのが。でも竜也さんは写真とか資料とか話も聞いて、死骸の山も見てる、画の方では、様々な状況の中でうなぎをたくさん用意出来なかったりしてるけど、実際は本当にそういう風に声を荒げざるをえないような現実を藤さんは取材して多分実感としても、感情も通過してしまってるんですよね。
藤竜也:あれはね、確かにリアルじゃない。リアルじゃないことをやってリアルが出るだろうっていう範疇に入るところがあったな。そこは気持ちの中で嘘をついてないから、っていう風に思っていけたらいいんですよ。
御法川修:そういうのを僕はすごく感じました。だから小僧監督としてはみんながおかしいって言いはじめて、藤さんにも聞こえちゃってるから、ここで、でも藤さんがちゃんと実感を重ねてそういうお芝居を組み立てている、突発じゃないんですよ、ちゃんと積み重ねてそういうことを僕らの前で見せてくれてるの分かってるんで、そこで、保険として(そのセリフを)言わないやつも撮っとこう、なんてことをやったら負けだと思った。だからそこはワンテイクしか撮らずにそのまま残したんです。みんながあれだけおかしいって言ったからお客さんはどういう風に見るんだろうっていつも気にしてるんですけど、やっぱり映画の中では自然なんですよね、繋がった時に分かるものなんですね。誰もそれを変だと言う人はいない。

1  |  2  |  3  |  4