OUTSIDE IN TOKYO
FUJI TATSUYA & MINORIKAWA OSAMU INTERVIEW

藤竜也&御法川修『人生、いろどり』インタヴュー

4. 半世紀以上やってるとだんだんヌエみたいに不気味なものになっていくんですよ(藤竜也)

1  |  2  |  3  |  4



OIT:ちょっとやんちゃ坊主というか(笑)。
御法川修:でも輝雄の物語としてもちゃんと僕は繋がってないといけないと思ったんで。男の側の映画としてはちゃんと成立しているのかっていうのは、僕は僕で本当に一生懸命撮影の後、撮りこぼした部分をしっかりうめて、藤さんにちゃんと良くやったって言われるとこまで持っていこうって半年頑張ったんで、だからやり切りましたっていうつもりで藤さんの顔見たんですよね(笑)。
OIT:徳島の現場はどうでしたか?方言の指導とかしっかりされているように見えたのですが。
藤竜也:言葉の問題でいうと、僕は基本的に地方の言葉をしゃべるのが異様に好きっていうか、言語が好きなんですよ。だから地方の言葉も外国の言葉も分かんなくても言葉を聞いてるのが好き。音楽でも。だから車に乗ってもNHKの第2放送で、スペイン語のニュースのお時間です、韓国語のニュースのお時間です、っていうのが流れてくると僕にとっては良いBGMになるんです。僕はとにかく言葉が好きで、今回も徳島弁を喋れることがまた嬉しかった。早めに入って色々な人に会うんですよ。彼らは上勝弁でひっきりなしにくるのを、彼らと喋り通して消化するんですよ。僕の趣味と言ってもいいくらいで、好きなんですよ。
OIT:標準語よりもちょっと柔らかい感じがしますね?
藤竜也:基本的に標準語を喋ってる人にとっちゃ、地域で使い込まれたそれぞれの言葉の方がいずれにせよ柔らかいでしょ。共通語っていうのはどっちかっていうと硬質ですよね。つまりそれは感情を表すような語に乏しいんですよ、つまりロジカルかもしれないけど非ロジカルなことを表現する言葉に乏しいんですよね。だから大阪の人なんかにはかないませんね。言葉で難しく説明しないで、とんでもない表現で、あっと驚かせて喜ばせてくれるわけじゃないですか。言葉っていうのは面白いですよ。
OIT:最後に、これからの活動について教えて頂いてもいいですか?
藤竜也:(出演については)今は言えない。それはともかく、中国語をもう一遍やりたいなぁ。再挑戦、3度目の再挑戦。
OIT:中国映画も、面白い映画も出てきてますよね。
藤竜也:そうね、なかなか中国っていうのは難しいからね。そんなものを超えた繋がりがあるわけだから、映画に出る出ないっていうことではなく、遊びです、全部遊び。
御法川修:藤さんは、パブリックイメージで言うとご自分のスタイルを崩さないっていう風に思ったりもしていたけど、なんか溶けていくように染み込んでいって、ある時、藤竜也さんがいなくなっちゃう瞬間はありますよね。
OIT:輝雄の中にっていうことですか?
御法川修:輝雄は、こっちがもちろん藤さんの姿を思い描く前から言葉で作ってるわけですよね、脚本で。だから、輝雄ともまた違う何か。もちろん藤さんを僕のその輝雄というキャラクターを一応共通の人物としては見てましたけど、ある時ふっと、ほんの一瞬ですけど自分の監督としての立場を忘れてしまうような時に、ちょっと離れた所で竜也さんとその自分の3人が佇んでたりするのを見た時に、あれはなんとも言えない、ただ自分と同化してるという意味ではなくてですね、一体本当にどういう生き物(笑)、失礼ですけど、どういう生き物なんだろう藤さんはって思う時もありました。
藤竜也:いやー、面白いですね、俳優ってまあ言ってみれば忍者みたいなものですからね。だからきっとその時は村の一員っていう感じに化身してたんでしょうね。
御法川修:でも一方で、一番冷静に藤さんが映画全体を見てる部分も同時にあるじゃないですか、あれは何なんでしょうね。
藤竜也:やっぱりね、半世紀以上やってるとだんだんヌエみたいに不気味なものになっていくんですよ。
御法川修:逆に藤さんを見てて、やっぱり改めて映画という言葉の奥深さを感じますけどね。そういう意味では確かに尊敬すべきキャリアだったり、年が自分より上であれば、それだけで敬う距離を持つけど、そういうことと関係なしに本当に藤竜也さんとご一緒できて思ったのは、映画ってこういうことなんじゃないかなって、藤さんの存在にそういう風に思ったことは本当にありますけどね。
OIT:あんまり過去のことは背負わないという藤さんの発言をどこかで読んだりしたんですけど、でもご本人がそうだとしても映画の中に色々な記憶が、まあ映画史みたいなものがあって、そこに接続しちゃうって言うんですかね、藤竜也さんと富士純子さんの場面とか見てると、これが映画だという、そういうシーンに出くわしちゃう感動があるんですね、まあ今おっしゃったことと同じことかもしれませんが。
御法川修:それは例えば僕なんかが監督で、僕より下のスタッフもいても、やっぱりちゃんとそれが察知出来てたと思うです、現場で。
OIT:年齢や記憶と関係なく。
御法川修:もうみんないっぱいいっぱいなんで、僕も一瞬ですけど、確かにここに映画として記録、このフィルムじゃないけどデジタルに、確実にその瞬間を焼き付けとかなくちゃいけないっていう、これを逃したら大変だぞっていうことは、わっと共有できる瞬間があの時間の中にあるんですよね。

1  |  2  |  3  |  4