OUTSIDE IN TOKYO
Gaspar Noe Interview

ギャスパー・ノエ『エンター・ザ・ボイド』インタヴュー

2. 『トロン』のような色の映画

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OIT:それで『エンター・ザ・ボイド』はどう始まったの?7年も経てそもそもどう始まったの?
GN:どこから始まったのか…?うーん、始まりは17歳とか19歳の頃に、映画学校の時代に読んだ脚本で、それからたくさんバージョンを経てきた。でもそれは登場人物の視点から見ているものではなかった。あのバージョンを探してみようかな。それがどれだけ変化してきたか、実際に見てみるのもおもしろいかもしれないね。とにかく、最初のバージョンはショート・フィルム用だった。舞台はチリとアルゼンチンの間で、魂が体から出て、女についていくんだけど、それは幽霊の視点ではなかった。で、それを書き直して、今度はフランスに舞台を移して、その時、幽霊の視点でカメラがついていくことを思いついた。それで主人公が亡くなる前から、彼の視点でついていくことにした。そうやって続けていき、脚本は15稿にも及ぶ違うバージョンができていった。東京には何度も来ていたけど、特にここで撮影することなんて考えていなかったんだよね。とにかくずっと書き続けて、リライトも続けて、その頃はニューヨークもロケハンしていた。もちろんパリはずっと考えていて、パリのどこで撮影できるかずっと見ていたけど。それで『カルネ』『カノン』を撮って、それから『アレックス』があり、ずっと延期されてきたんだ。そしてようやく、『アレックス』の商業的成功が手伝ってか、この映画を実現できることになった。その時、東京で撮影したいというのがはっきり分かった。物語的に日本が舞台になる必要は特になかったんだけど、この物語を描くなら、一番色彩が鮮やかな映画風景が必要だと思ったのは確かだね。そうすれば、2人の外人が巨大なピンボール・マシーンの中で迷子になっている状況を生み出せると思ったんだよね。2人は、彼らのことなど何とも思っていない、巨大なマシーンの中に入れられた昆虫のような存在だ。その色彩と、夜のシーンが多いのもあって(引き合いに出されるけど)、『ロスト・イン・トランスレーション』みたいなものは逆にそれ自体がテーマである故に、日本でなければと思うけど、この映画の場合は、どこでよかったんだ。でももちろん、(そうじゃなかったら)今ほどいい見栄えではなかったかもしれないけどね。だからこそどんどん過剰になっていったんだけど。それにおかしなところはたくさんあるよね。例えば、なぜあの(ストリップ)クラブのマネージャーの男はマリオと呼ばれているのか?彼が日本人だってことは見れば分かるからね。最初はブラジル人にするつもりだったんだけど、この映画に外人が多すぎる気がして、土壇場で彼といくつかのキャラクターを日本人に変えたんだ。でも元々の脚本では西洋人の名前だったから、そのまま名前は残したんだ。そんな感じで最後の最後に決めたって分かるところはたくさんあると思うよ。

OIT:それで色の話が出たけど、色はどんな基準で決めていったの?よりサイケデリックな色合いを意識して作ってると思うんだけど。
GN:そうだね。なぜかは分からないけど、ブルーを使うことは避けたんだ。

OIT:どうして?
GN:青はあまり、精神的だったり、サイケデリックな色ではないと思うから。その代わり、赤、紫、緑、黄色、それに黒はたくさん使ってる。僕は黒も色と捉えている。もちろん白もね。それにフレームにはたくさん黒がある。色自体は可能な限り『トロン』のようにしたかった。オリジナルの『トロン』(82/スティーブン・リズバーガー)て見てるかな。その過程で、特殊効果を作って、線の使い方でいろんなバージョンを試していったんだ。コンピューター上で作っていたシーンは3D構造になって見せられるんだけど、最終バージョンよりもずっとサイケデリックだった。でも最終的にはよりスケールモデルのように見せるようにしていった。もっとリアルにね。でもそれまでは、全てが線で構成されていて、それがすごく気に入って。そうだ、DVDのボーナスとして入れようかな(笑)。



OIT:うん、それはいいね。それで、最初に東京に来てロケハンしていた頃はどういう場所を見に行ったの?誰かガイドになるような人がいたの?
GN:いや、でもロケーションですごく助けてくれたのはスタジオ・ボイスの品川亮だ。ある時、彼には10日間のロケハンにつきあってもらった。彼は映画評論家で同時に映画監督でもあるけど、この街も案内してくれたんだ。でも彼は運転できないから(笑)、彼の友人が運転してくれたり、タクシーに乗ったりして回ったね。

OIT:それでどこに行ったの?それらの場所は映画に直接反映されている?
GN:あちこち行ったよ。でもトウェンティー・ファースト・センチュリーという会社と出会って、オーストラリア出身のプロデューサーのジョージーナ・ポープがロケーション・マネージャーを紹介してくれて、既に東京中の最高のロケーション写真が網羅されていて、思いつくものは全て揃っていた。それに、映画に強いし、写真も撮っていた。本物のロケーション・スカウトがいるのは最高だった。彼らは大きなチームで、ワーっと、みんなで街中に散って探していく。そして監督がいくつかのセットを決めれば、まあ、僕の場合は4つの主なセットを決めた時点で、僕がどんな場所を探しているか分かりやすくなるからね。そうして映画の撮影にふさわしいと思える2つの地区に落ち着いたんだ。すごくいい画が撮れそうな場所に。そのひとつが歌舞伎町で、実際にそこで撮影した。そしてもうひとつは秋葉原。でも歌舞伎町に、あのアパートを見つけたのが決め手だった。その頃はまだ秋葉原も候補に挙っていたけどね。それに秋葉原から2ブロック離れたところにあのバーも見つけた。その基準は照明と通りの人たちだったかな。

OIT:そして映画ではベランダの外に<Enter the Void>と書かれた看板があるね。
GN:そうだね。その時は気づいてなかったんだけど。映画のクレジットをどうするか考えていて、タイトルを出さない映画にしようと思ってたから。タイトル自体は映画の中にあるって感じで。そう、映画の中にあればいいじゃないかって(笑)。

OIT:そのタイトルはどう生まれたの?タイトルの意味を説明してもらえるかな?
GN:実は最初のタイトルは、フランスが舞台の脚本の時のもので、『Livre de Mort』、つまり『死者の書』、だった。でも『死者の書』だとあまりにホラー映画っぽいでしょ?それでそのタイトルから発展させて、いや、実はフランス語のタイトルはもうひとつあって、『Soudain de Vide』。でも英語では『Suddenly the Void』となって、あまりしっくり来なくて。それなら『Enter the Void』がいいんじゃないかと思ったんだ。『Enter the Dragon』(『燃えよドラゴン』)みたいに!それでそのタイトルをキープして、フランス配給と英語圏での配給のために違うタイトルを2本キープした状態だった。でも映画がカンヌで上映された時、まだ未完成なバージョンだったけど、カタログにそのタイトルで載っていたんだ。『Enter the Void』と、フランス語のタイトル『Soudain de Vide』。実際、どちらかをなしにしなければならないので、同じタイトルでいいじゃないかって決心した。それで今は世界中、『Enter the Void』で統一されている。僕もそのタイトルは気に入ってるよ。それに今はタイトルをふたつに分けているから、しっくりきてる。頭でエンターから入って、最後にボイドで出る。世界共通のタイトルがあるのはいいことだ。でももし日本は別のタイトルが必要なら、なしにしてもらっても全然構わないよ(笑)!



※『トロン』世界初の全面的にコンピュータグラフィックスを導入した映画、ティム・バートンがアニメーターとして、クリス・ウェッジがCGプログラマーとして、スーパーバイザーとしてロバート・エイブルが参加したCG映画の記念碑的作品。ウォルトディズニー社製作。
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