OUTSIDE IN TOKYO
Gaspar Noe Interview

ギャスパー・ノエ『エンター・ザ・ボイド』インタヴュー

4. 夢は、実際には5秒とか10秒だと言われている

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OIT:あなたは映画のとても早い段階でショッキングな要素を持ってきますね。男もとても早い段階で死んでいく。『アレックス』では逆から始まり、ショッキングな要素は最初に来る。ビビッドな映像から。それはなぜ?明らかに意識的な選択だよね?
GN:僕のほとんどの映画では、必ずとても暴力的なシーンがある。『カルネ』『カノン』もそうで、『カルネ』では馬が屠殺される。そしてふたつ目の暴力シーンは、映画の真ん中あたりで、顔を殴られる。最初のシーンでは、男が太った女を殴り、最後にはもうひとつ、娘との暴力的なシーンがある。『アレックス』では、男が最初にボコボコにされる。そしてレイプ・シーンがある。この映画でもまたふたつの暴力的なシーンがある。車の衝突と、最初に男が撃たれる瞬間。僕は観客が座った時から目覚めさせるのはいいことだ思うんだ。この場合、クレジットが、観客を目覚めさせるように作られている。クレジットによってバチンと電気ショックを受けるようになる。そうすれば人は楽しくなって、ああ、映画が始まったとなる。なにしろジェットコースターは急加速から始まらなければならない。自分の映画の作り方に似た映画が1本だけあるんだけど、『ストレンジ・デイズ』の最初のパートだ。でも男がひとつのビルから別のビルへ飛び移り、地面に叩き付けられる。僕はもうその頃、この脚本を書いていて、僕より先にいい視点での映画を撮られたと思ってすごく残念だった。でも地面に叩き付けられたあとは、ふつうの映画になって、ああ、よかったと思った。次の瞬間から、霊のあとをついていくという素晴らしいアイデアを、その監督は思いつかなかったからね(笑)。でも僕の映画では、最後の女性が主人公の妹でなく、母親だったことにも気づかせる。そして細かい点に注意していれば、男が妹のセックスしているのを傍観しているシーンで、同時に自分の母親の顔も見る。そしてもう1人の女がセックスしているシーンでもまた母親の顔が見える。そして最後にも母親の姿が見える。彼の友達のアパートで見たものと同じだ。すると街全体がスケール・モデルのようなになり、彼は自分の両親と一緒にいて、自分の身体から出てくる話ではなく、自分が死んでいく間に夢を見ている話だということが分かる。映画はつまり、その人が死んでいくんだけど、彼は死にたくなくて、夢を作り出していることになる。そして最後に、自分が生まれた瞬間を思い出し、この世を去る。そしてその先が無である、ということだ。

OIT:すると、映画の後半をまとめるとわずか…。
GN:そう、数秒の出来事だ。全ての夢は、実は5秒とか10秒だと言われている。夢を見る時、朝に目覚めて、もう20分、30分も夢を見ていたような感覚がある。でも脳が夢をダウンロードしているのはたった5秒とか10秒なんだ。

OIT:そこで『死者の書』と繋がるわけだけど。
GN:それが僕の言いたいことなんだ。DMT (Dimethyltryptamine:幻覚剤の一種)について人は実際に見えないというんだ。

OIT:それだけに、映画全体がほぼ数秒のことを描いたものであると。
GN:そう。だから男が売人の部屋から出てくる時、DMTが死ぬ時みたいな感覚で、ほんの数秒で自分の全人生が見えて、それが究極のトリップだって話をする。それは人がこの映画を不満に感じるところでもあるみたいなんだ。鍵がわかりやすすぎるって。『マルホランド・ドライブ』(01/デヴィッド・リンチ)みたいに、監督が鍵を握っていて、映画が完全には理解できない、みたいなものとは違う。僕の映画の場合、全て何が起きているか分かるように、下線が引いてある。初めて見た時は映像に目が行って、素通りしてしまうかもしれないけど、二度見れば、映画はとてもストレートだ。ある意味、精神的なものを扱うにはストレートすぎるくらいに。

OIT:あなたはそれで満足?
GN:まあね。それに映画は資金を集めなければいけないから。もっと実験的であったなら、資金を提供してくれるよう説得できなかっただろう。でもDVDのために、もっと実験的なオルタナティブ・バージョンを入れるか考えようかな。もっと不可解なものにして。でも同時に、それは様子を見るとして、映画にはもっと長いバージョンもあって、フランス版がそうだ。でも日本で上映されるのはアメリカと一緒で、つまり18分短い。DVDでディレクターズ・カットを入れる時にその18分の部分は、長いバージョンに入ることになるかもしれないね。

OIT:それでもエンディングは変わらないんだよね?
GN:そう、エンディングは同じ。実際、ひとつのバージョンはフィルム8巻で、もうひとつのカンヌや映画祭で上映されたバージョンは18分長い。実際、それは土曜に一度だけ上映(フランス映画祭2010)されるみたいだから、そうしたらロング・バージョンを見ることができるよ。



OIT:それで監督が見ている視点、見たい視点というのは映画の視点と合致するもの?僕の印象では、顕微鏡写真のような感覚も覚えて、小さな細胞やダニといったものを撮影した写真があるでしょ?それは複数の色で構成されていて、どこかサイケデリックな印象もあったりする。それがあのビルの線や色彩と重なるのかな、とも考えたんだけど。
GN:いや、人がトリップしている時は、例えばだけど、アヤフアスカという魔法のドリンクがあって。

OIT:うん、あなたは試した?
GN:ペルーにいた時にね。フランスや他の地域では法律で禁止されているから、ペルーでしかできないんだけど、人が『トロン』のようだという、あの線のある幻覚が見られるんだ。

OIT:で、あなたもそれを見たんだね。言い方を変えれば、彼がトリップしている描写は、あなたの思い描いていた通りの描写になった?
GN:そうだね。とても僕は正確なイメージを持っていた。例えば、『トロン』のビジュアルを、スタッフのピエール・バファンに見せて、東京のスケールモデルにミックスして、あの独特の線があって、と説明した。そのために日本で撮ることにしたわけだし。でもオリジナルのポスターにあるように、多くの人が『トロン』を思い浮かべる。でも『アルタード・ステーツ』の続編をやらないかとオファーを受けた時、サイケデリックな映画に持ち込めるイメージを説明して、その時、すごくいい本を読んだ。アメリカのジャーナリスト、ダニエル・ピンチベックの『BREAKING OPEN YOUR HEAD』という本で、アヤフアスカの幻覚を説明していて、それがとてもよく似ていたんだ。

OIT:あなたはある時、人間の行動を、生命の法則のままに生きる動物のように説明していて、人間に必要以上に感情や物語を読み込まないことについても話していたけど。監督として、感情論と距離をおいた見方をしようとしているのかなとも考えたんだけど。
GN:そうだね。でもこれは、僕が今まで作った中で一番複雑な映画だと思う。技術的にもとても複雑だ。複雑になるとは思わなかったことでさえも(笑)。例えば、赤ん坊が母親のオッパイを吸うシーンでさえ。実際、現場で赤ちゃんは、自分の母親ではない女性に近づくのがいやで泣き叫ぶ。それで一日中、ギャーーーって。それで赤ちゃんを入れ替えても、またギャーーーってわめく。ただ飛行機の中で赤ん坊が母親のおっぱいを吸う、という、紙の上では簡単に思えたことが本当に不可能に思えてきて。でもセットの飛行機で、エキストラ50人がいる中、赤ちゃんを連れてきたら泣き叫んで、エキストラもみんな、その場から我慢できなくて逃げ出したくなる状況は予想がつかなかった。それと、鏡の前で主人公自身の視点で撮るのが複雑になるのは分かっていたんだけど、それは逆にうまくいった。スタジオのクレーン撮影も複雑だった。でも素晴らしいチームだったよ。ビジュアルを担当したピエール・ブファンは僕が夢見ることのできる最高の人だし、『アレックス』でも一緒だったブノワ・デビーも素晴らしく、色彩が好きだし、僕は彼の照明が大好きだ。マルク・キャロも日本でのアート・スーパーバイザーで、デザイナーの太田喜久男も天才だ。周りにたくさん素晴らしい人がいて、日本のエグゼクティブ・プロデューサーでもあるジョージーナ・ポープも素晴らしい仕事をしてくれたし、母親が元女優だった5歳の少女を見つけられたのも幸運だった。あの少女は僕でなく、母親が演出しているんだ。でもすごくおかしくて、とても愛らしい子だった。映画というのはいろんな出会いの産物でもある。その瞬間に、そういう人たちに出会えたことがとても幸運だ。それに妹役を演じたパス(デ・ラ・ウエルタ)も最高だった。

OIT:それで映画が完成した今、このあとはどうなるの?
GN:もうベッドに入って眠るだけさ(笑)。

OIT:次の映画は?
GN:ポルノをやるかも。スクリーンで。

OIT:以前、映画を作る前にこの映画もポルノだと説明してませんでした?
GN:そう、前はね。でもこのポルノは3Dで提案しているんだ。実際フィクションの映画だけど、キャラクターたちの性生活に焦点を当てたい。だからそういう意味ではポルノになる。今ではバカげて見えるから、エロティックな映画はやりにくい。もしくは、本物をぶつけるしかない。でもそれはやるかもしれない。あとは、これも3Dでやりたいと思うんだけど、ホラー映画のオファーがある。これもワイルド・バンチだけど。最近『LAKE OF FIRE』(06)というドキュメンタリーを見たんだけど、『アメリカン・ヒストリーX』(98)を撮ったトニー・ケイの映画で、アメリカの中絶について映画だ。コマーシャルやミュージック・ビデオや映画で稼いだ自己資金で、その金をつぎ込んで、アメリカの中絶支持派、中絶反対派のドキュメンタリーをセルフ・プロデュースで撮った。そのドキュメンタリーが素晴らしく、15年かけて撮っている。僕もその2本の映画のうちのどちらかを、そういう感じで撮りたいと思って。それは一方でドキュメンタリーも撮りながら、どっちのテーマにするかはまだ決めてないけど、テーマさえ決まれば、大きなクルーと大きな資金ではなく、フッテージを貯めておいて、休日のサンデー・フィルムのようにできればと思う。毎週日曜、その作業をする感じでね(笑)。


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