OUTSIDE IN TOKYO
Gilles Paquet-Brenner INTERVIEW

ジル・パケ=ブレネール『サラの鍵』インタヴュー

2. 2つの時代をうまくミックスして、互いに共鳴し合うようにバランスをとらなければいけなかった

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OIT:何度も聞かれていると思うけど、なぜこの映画を今語る必要があったのでしょう。
GPB:なぜ今か…。それはまず本が出たこともある。原作は2007年に出版された。それまでは事件について語るメインストリームの作品はなかった。この(パリの)“ヴェルディヴ(冬季競輪場)の収容”について描く芸術作品がなかった。つまり、あまり多くの人に知られていなかったということだ。『シンドラーのリスト』が公開された時、まあ、自分の映画を『シンドラー〜』に匹敵すると言うわけではないけど、1994年のことで、世界中の人がホロコーストはどういうものだったか知ることになった。でもフランスではそういう作業をしてこなかった。自分たちの歴史を見つめて、どんな恥が隠されてきたのかを曝すということをしてこなかった。それで“ヴェルディヴの収容”はそのテーマに興味を持つ人たちの作業となった。それでちょうどいいタイミングだと思ったんだ。今では多少の距離も置けるようになったわけだしね。あまり入れこみすぎずに、スキャンダルとしてではなく、ある矛盾として社会が見つめ、そこから何かを学び取ることができるだろうと。その上で本に戻らなければならない。とにかっく素晴らしい本だった。映画を作るにあたって、僕は歴史家ではなく、立場はあくまで映画監督だ。きちんと記録としてドキュメントされていなければならないけど、同時にエンタテインメント性もなければならない。その内容でこういうことを言うのは妙に聞こえるかもしれないけど、それは本当のことだ。人は映画を見るのにお金を払う。なので、より広い観客に向けた、入りやすい映画でなければいけない。感情的な要素もたくさんあり、シリアスなテーマでもある。だから映画化するには格好だった。

OIT:まさにそこを聞きたいんだけど、小説を映画化する時に何が必要だと思いますか?
GPB:もちろん、まずは多くのことを取り除かなければいけない。映画よりも本の方が語る余地があるからね。どうしても必要な部分だけを残していくことになる。つまりプロットを可能な限り純化していくこと。でも本のプロットはしっかりしていたから、そこはあまりむずかしい作業ではなかった。それから、登場人物のキャラクターが観客にとって興味深いと思ってもらえるかどうかも大事だ。その例で言えば、2つの時代を考える必要がある。もちろん、そこまであからさまではないけどね。1つの時代に1942年があり、緊張感、ドラマがあり、観客の多くは生唾を飲みながら見ることになる。そしてもう一方では、ある意味、ブルジョワ的なフランス人世界がある。だからその2つをうまくミックスして、互いに共鳴し合うようにバランスをとらなければいけなかった。互いにうまく移っていけるように。そんな時、クリスティン・スコット・トーマスのような人がいるとすごく助かるんだ。彼女はそれをどう機能させるか分かっているから。観客にとって、彼女が映画の入口となるんだ。

OIT:ガイドのように。
GPB:その通りだね。だからただ比較するだけでなく、その2つの時代に向き合うことができる。その方がずっとおもしろくなる。

OIT:そこでいくつか例を考えてみてもらえますか。
GPB:この映画のためにどんなものを見たか?もちろん。

OIT:いえ、小説を映画化した場合の成功例として考えられるものを。
GPB:うーん、できるのかな。だって映画を先に見た場合、そのあとで本を読むことはないから(笑)。もうストーリーは分かってるからね。となると、先に本を読んで、映画がおもしろいと思ったかってことだけど、うーん、実際あまりないよね。『アメリカン・サイコ』はとてもいい例だと思う。映画はよかった。でも本の方がずっとパワフルだった。現代社会をシェイクスピア的に描いたものだ。でも映画は小気味のいい皮肉なコメディーとなった。だからたいていは残念な気持ちになるよね。でもこの映画にはとても満足しているよ。この小説には世界中でものすごい数のファンがいるけど、たいていこの映画を気に入ってくれている。核となる要素をうまく残すことができて、それを感じ取ってくれたんだと思う。小説の妹版というか、それで気に入ってくれたのかも。それかお兄ちゃんか(笑)。


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