ギヨーム・ブラック監督は、ヴァンサン・マケーニュを主軸に据えた、短編映画『遭難者』(2009)、中編映画『女っ気なし』(2011)、長編デヴュー映画『やさしい人』(2013)を撮り、エリック・ロメールやジャック・ロジエが撮った”ヴァカンス映画”の後継者、ヌーヴェルヴァーグの後継者のひとりとして早くからその作品が注目されてきたフランスの俊英監督である。ギヨーム・ブラック監督の作品は、監督の知っているパリ郊外の地で撮影されることが多く、自らの人生の体験や記憶が何らかの形で作品に映り込んでおり、作品の中で中心になるのは、多くの場合、”孤独”を抱えている人物である。そして、そこで描かれるのは、恋愛感情であり友情であり、境界線を引くのが難しい恋愛未満の友情的・友愛的感情であることが多い。
こうしたギヨーム・ブラック監督作品群の特徴に加えて、更なる彩りの豊かさ、人種の多様性、社会性といった厚みが加わることになったのは、短編ドキュメンタリー映画『勇者たちの休息』(2016)以降、2部構成の長編第2作『7月の物語』(2017)、そして長編映画第3作品目にあたる本作『宝島』(2018)といった作品群で、ドキュメンタリーとフィクションの間を往来するようになったことと無関係ではないだろう。『勇者たちの休息』以降は、製作体制にも変化があり、『ONODA 一万夜を越えて』(2021)で知られる製作会社bathyspereがその名を連ねるようになっている。恐らく、ブラック監督の中では、ドキュメンタリーとフィクションでは映画様式上の明確な区別があり、ドキュメンタリー作品では、撮影と編集を同じスタッフが手掛けている。学生とのワークショップ映画という性格を持つ『7月の物語』は別として、『勇者たちの休息』と『宝島』では、撮影をマーティン・リ(or リット)、編集をカレン・ブネヌが手掛けており、これは、ブラック監督が、ドキュメンタリーにはドキュメンタリーの撮り方と編集作法があると考えていることの証左ではないだろうか。
このように大枠ではドキュメンタリー映画としての体裁をとった上で、『宝島』では、部分的にフィクション演出がなされている場面が多くある。そもそも、ドキュメンタリー作品においても、編集作業とは無数の”物語”たちを構築する作業であるとするならば、そこに作り手の意図が働くのは明白であり、”純粋”にドキュメントであると言い張る必要もない、そこからはむしろ”純粋”に<映画>としか言いようのないものが、かつてエリック・ロメールが『友だちの恋人』(1987)で訪れた場所、セルジー=ポワントワーズにあるレジャー・アイランドから官能性豊かに立ち上がってくるばかりである。ここに、ギヨーム・ブラック監督の最新インタヴューをお届けする。
1. 映画の中で、子ども時代にやっていなかったことを物語として作り、 |
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ギヨーム・ブラック:(ZOOMの)背景写真がとても綺麗ですね。 OUTSIDE IN TOKYO(以降OIT):ありがとうございます(笑)。これは溝口健二監督の作品『山椒大夫』(1954)の一場面から拝借したものなんです。
ギヨーム・ブラック:あー、それはちょっと分からなかった(笑)。 OIT:今日はお忙しい中、お時間を作って頂いて、ありがとうございます。監督にお会い出来てとても嬉しいです。早速質問に入らせて頂きます。ギヨーム・ブラック監督は、今までフィクションとドキュメンタリーの間を行き来して作品を作ってきましたが、『宝島』では、そうした試みがついに大きな果実として実っているように思います。今までの監督の作品は全て拝見していますが、個人的には一番好きな作品です。まず単刀直入にこの素晴らしい撮影を一体どのような体制で行われたのかを教えて頂けますでしょうか?
ギヨーム・ブラック:そのように言って頂けてとても嬉しいです。撮影は4人の小さなチームで行いました。撮影スタッフは、カメラマン、録音、助監督、私の4人で、カメラは一台です。夏の2ヶ月半の間、公園の中で撮影をしました。本当の意味でドキュメンタリーとして、実際にあった場面をそのまま撮ったところと、ドキュメンタリーに演出を加えて、もう一回、今やったことをやってみてくださいと言って、シーンを繰り返してもらったり、ちょっと私が挑発をして何かをやってもらったりということはありました。この作品ではそのように異なる成り立ちのシーンが混在しています。ただ、セリフを書いたり、シナリオを書いたりということはしていなくて、現場で全てを作り上げています。 OIT:今まで監督の映画を見てきて、大笑いしてしまうということはあまりなかったのですが、あの水上スキーのシーンで爆笑してしまいました。今のお話の流れで言うと、あの場面は撮れてしまったということになりますでしょうか?
ギヨーム・ブラック:あの場面は完全に一度切りのドキュメントなのですが、あの場面に出てくる若者たちは、夏の間に何度も撮影しています。公園にいる女の子たちをナンパする男の子たちですね。それで彼らが水上スキーをやってみたいと言うので、私たちも一緒に行って、やっているところを撮影しようということになりました。ちょっとコメディのような面白いシーンになりましたね。 OIT:この映画は、子どもたちが親の同伴も許可証もなく公園に入ろうとして、警備員につまみ出される場面から始まります。その子どもたちはその後、何回もこの映画に登場して、警備員とイタチごっこを繰り返すわけですね。こうしたこと自体が、この“宝島”の楽しさのコアにあるように感じたのですが、監督ご自身も子どもの頃にこうした経験があったのでしょうか?
ギヨーム・ブラック:子どもの頃、私はこの近くに住んでいて、時々、公園に遊びに行きましたが、私の場合はいつも両親に連れられていました。ですから、映画の中のヤンチャな子どもたちのように、思春期ならではの自由な気持ちで禁じられていることをやってしまって冒険するというようなことはまったくなかったんです。そういう意味では、私自身は彼らとは正反対の“良い子”の子ども時代を過ごしましたので、映画の中で、子ども時代にやっていなかったことを物語として作って、その時代を生き直しているという感じなんです。撮影に入る前、あの公園に出入りする人たちをずっと観察していたのですが、何度もお金を払わないで入ろうとする子どもたちを見掛けて、その状況が面白いなと思いました。最初は、この場所は自由で何でも出来る場所だと思っていたのですが、その内、色々な制約や、やってはいけないことのルール、障壁があったり、禁止事項があったりする、その両者の緊張関係がここで見られるということに気付いて、それを映画に入れることが出来たら面白いなと思ったわけです。
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『宝島』 英題:Treasure Island 3月2日(水)よりJAIHO(https://www.jaiho.jp/)にて配信 監督:Guillaume Brac 製作:Nicolas Anthome - bathyspere 撮影:Martin Rit 助監督:Fatima Kaci 音響:Nicolas Joly, Arnaud Marten 音響編集:Manuel Vidal ミキシング:Simon Apostolou 編集:Karen Benainous 音楽:Yong-jin Jeong カラリスト:Gadiel Bendelac フランス/2018年/97分/カラー/デジタル/日本語字幕 |
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