OUTSIDE IN TOKYO
ICIAR BOLLAIN INTERVIEW

イシアル・ポジャイン『オリーブの樹は呼んでいる』インタヴュー

4. この映画は、たとえ無力であっても諦めずに抵抗を示す精神を讃えています

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OIT:更に言うと、『エル・スール』には、スペインの内戦、フランコ独裁政権という時代背景がありました。本作は、もちろん、もっと後の現代を描いていますが、ここでも世代間の断裂、対立が描かれています。
イシアル・ポジャイン:そうですね、もちろん時代は違うけれども、“同じスペイン”を描いているのだと思います。スペインという国は変革を遂げて、色々なことを乗り越えて来た。スペイン人というのはかつて農民が多かったのですけれども、若い新しい世代というのは、お金儲けをすることにより興味があって、農業から離れて行き、古い価値観と戦うという傾向がより顕著になってきています。

OIT:三人がドユッセルドルフに到着して、企業の前で座り込みを始めるわけですが、そこに環境NPOのデモ隊が合流してくるんですね。とても痺れるシーンで、あの場面で、この映画の底流を流れていた“抵抗の映画”という本質がついに露になったという感覚を覚えました。
イシアル・ポジャイン:この映画は、妥協をしない、長いものに巻かれない、物事が正しい方向に進んでいない時に、何もなす術がない、何も変えることが出来ないと思ったとしても、やはりやらなくてはいけない、とにかくやってみる、という精神を讃えています。妥協して甘んじて受け入れるのではなくて、もうダメだと思ったとしても、そこでさらに抵抗をするということ。ドユッセルドルフのデモに参加する人達にしても同じことです。デモの参加者たちは、オリーブの樹のことよりも、この企業の自然破壊的な姿勢に対して怒っているわけです。非常に強大な力を持っているものに対して、たとえ無力であっても諦めずに抵抗を示すという精神を讃えている映画だと思います。

OIT:この映画を見て面白いと思ったのは、そうした“抵抗の映画”としての本質は表面上隠されていて、観客はアルマに魅せられて映画を見ていると、いずれドイツに連れて行かれ、そして、このサウンドデモと遭遇して、抵抗の精神と出会うことになる。この辺の物語の持って行き方がとても巧みです。勿論、そこには脚本の狙いがあったと思うのですが、オーガニックな映画作りのプロセスの中で生まれて来た側面もあるのでしょうか?
イシアル・ポジャイン:私がポールの脚本に対して思うのは、幾つもの多様で示唆的な要素が、多面的に書き込まれているということなんです。表面上は、3人がオリーブの樹を取り返しに行くという単純な物語のようにも見えるわけですが、仰って頂いたような“抵抗”についての映画でもあるし、何を一番大切なことだと思って生きて行くのかということ、そして、“許し”というテーマ、そうした多様なメッセージが込められている脚本なんですね。そうした様々な要素がある中でも私にとって一番強く響いたのは、アルマの内面的な旅というテーマでした。彼女は内面に強い葛藤を抱えていて、そこで自分なりの決着をつけなければならなかった、自分を見つけ出し、自分と和解すること、それが私が最も惹き付けられた主題でした。ですから、帰りのトラックの中で彼女は、自分で自らを克服するというか、そのことを手放す、そこで自ら終止符を打ちますよね。自分と非常に近い人との関係でとても苦しんだ、そのことはとても辛いことだけれども、そのことを許す、自分で決着をつけることが出来れば、彼女はそこから再び歩み出すことが出来る、幸せになることができる、アルマはそこに到達したのだと思います。

OIT:帰りのトラックの中のシーンはとても良いシーンでしたね。やはりポールさんが脚本を担当された、ケン・ローチ監督の『天使の分け前』(12)の顛末を想起させるところがありますけれども。
イシアル・ポジャイン:(笑)確かにそうですね。持ち帰るのが、オリーブなのかウィスキーなのかの違いがあるくらいでしょうか(笑)。ただ、あまりあからさまなハッピーエンドにしたいとは思っていなかったんです。あまり分かり易いハッピーエンディングで終わるのではなくて、そこからまた新しいスタートを切ることが出来る、樹をそのまま持ってくるよりも、更に新しいことを始めることが出来る、より意味のあるエンディングになったのではないかと思っています。セカンドチャンスを貰ったのだから、今度は正しくやろうということだと思いますね。ただ、ポールはこのエンディングに辿り着くまで、随分苦労をしたんですよ。結果的には、とても良いものになったと思っています。



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