OUTSIDE IN TOKYO
Frédéric Jardin & Nicolas Saada INTERVIEW

フレデリック・ジャルダン&ニコラ・サーダ『スリープレス・ナイト』インタヴュー

4. フレデリック・ジャルダンは、サミュエル・フラーに匹敵する映画作家です(ニコラ・サーダ)

1  |  2  |  3  |  4



OIT:ノワールというジャンルで考えると、お2人が話し合っている中で模範となるような作品はあったりしたのですか?これはあるけど、こういうことはやらないようにしようとか、そういった具体的な例はありますか?
FD:アメリカ映画が多かったんですけど、フランス映画も若干ありました。直接的にそれを参考にするというよりは、そこから少し部分的にインスパイアされることが多かったです。今の韓国映画がすごく参考になって、例えばナ・ホンジン監督の『チェイサー』(08)はやっぱりすごく力があるなと思っていますね。すごくクリエイティブだし、大胆だし、今までにない馬力がある感じがして、今の韓国映画はそういう意味ですごく参考になっていますね。
NS:自分としては、この作品という参考ではなく、例えばこの作品のこのシーンという、そういう参考の仕方をフレデリックにどんどん提案するのです。例えばアメリカ映画のこのシーン。それはその作品にオマージュを捧げるというわけではなく、このシーンで使っているこれは出来そうだね、みたいな。あるいは自分たちが書いているシナリオの中で何か問題がありそうなものを別の作品の中で探しながら、こういう風にしたら問題が解決できるかもしれないみたいな。そういう割と現実的な部分の参考の仕方が多かったですね。それについては、いわゆる古典と言われるような作品ではなく、本当に小さい作品、例えば日本映画だと深作欣二監督の作品とか鈴木清順監督の作品もよく観ましたし、あと今思い出したのは『Report to the Commissioner』(75)、アメリカの小さい作品なんですけれども、そういったものを観ながら、その時は認識していなくてもそこで観たものが残照になって残るんですよね、だから自分たちがストーリーを進めていきながら、あの時のあれという風にして思い出す、そういうことはありましたね。
FD:いわゆるノワールとかジャンル映画とか、そういうのだけに捉われたわけではないです。
NS:フレデリックの素晴らしいところは、自分は同じものは持っていないけど、ものすごく無秩序なアイデアをもの凄く上手くオーガナイズすることが出来ること。色々な拘束とか制限といった自由を束縛するものが常にある中で様々なものを上手くまとめあげるっていうことが彼はとても上手だから、その拘束がむしろ彼が作るものをよりリベラルにしているという、逆説的な部分が彼にはある。アジア映画はもの凄く無秩序でカオスに満ち満ちているけれど、実は、映画的なコードがきちっとあって、それで最終的にはちゃんとオーガナイズされる。そういうような作品っていうのがあると思うんです。それはもうカオスにしてもバイオレンスにしても、めちゃくちゃなのに何かまとまっている、それがアジア映画の特徴だと思っています。そんな中でも鈴木清順監督の映画はとても印象的です。
OIT:サウンドについてお聞きしたいのですが、複雑で緻密なアクションが、それが逆にサウンドトラックのように、彼らの意識に対するサウンドトラックのようにスーッっと裏で流れているような感覚で観られたんですよね。
FD:自分は観客たちがヴァンサンの皮膚感覚を感じられるような描き方をしたかったんです。映像的にもそうですし、映画が発する音に関してもやっぱりそういう効果を出したいと思いました。今回はニコラ・エレラっていう人に音楽を担当してもらったんですけど、ストーリーの中に流れる音楽と、ナイトクラブで流れる音楽、両方を重ねて使うとか、そういう工夫をしながら、これはミキシングの話になっていくけど、二種類の音楽を重ねて使いながら、ヴァンサンの皮膚感覚を感じとってもらえるように工夫しました。
OIT:最後の質問になりますが、ノワールという自分たちが好きな映画達にこの映画は並ぶ、もしくは超えるものになったと自分たちの感覚としてありますか?
FD:そう思います、というか大満足です。小さいバジェットの作品なんだけど、最初に自分たちがこういう作品にしたいと思っていたものと、頭に描いていたものとほぼ同じものが出来たということで満足しているし、また二本目の作品を彼と作っているんですけど、それはやっぱりこの作品の出来が自分達の満足できるものだったから実現したことです。
NS:サミュエル・フラーというジャンル映画の監督がいますけど、サミュエル・フラーに匹敵する監督がフレデリック・ジャルダンだということ、サミュエル・フラーの作品は凄くバイオレンスに満ちたものですが、それはフィジカルなバイオレンスではなくて、もの凄い緻密さにおいて匹敵しているということなんです。フレデリックはサミュエルに匹敵する映画作家です。

1  |  2  |  3  |  4