OUTSIDE IN TOKYO
Jean-Pierre Jeunet Interview

ジャン=ピエール・ジュネ『ミックマック』インタヴュー

2. 僕の玩具箱から全てのアイデアを出して放り込んだのがこの『ミックマック』だ

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OIT:あなたには自分のヴィジョンがあり、それをアートワークにする力があり、そしてそれを自分で表現、提示する力がある。それでもあなたは、よりたくさんの人と関わる“映画”に拘っていますね。それはどうしてですか?
JPJ:どうだろう。僕は8歳の時分から映画のようなものを作っていたから。8歳の時にパペット用の小さな劇場を作り、それからしばらくして、3Dのフィーチャーがあるビューマスターを手に入れて、絵の順番を替えるために切り落としたりしていた。そして16歳の時には両親の友達が家にスーパー8のカメラを持って訪れた。その瞬間をはっきり覚えている。あのカメラの振動をね。それはシンプルで、すぐに理解できた。カメラを買えば監督になれ、映画が作れる。だからこそ、常に作り続けていることが自分にはとても大切なことなんだ。

OIT:その頃、カメラを回した時の感覚は今でも感じられるものですか?
JPJ:もちろん。僕は作るのが好きなんだ。ステージで友人たちと過ごし、作る喜びを味わうことがね。

OIT:では、どう変化しましたか?そうした映画を撮る最初の衝動から、現在の、より大規模な映画に変化してきた間に、最初の衝動を保つためにどう自分の中で対処しているのですか?
JPJ:映画のサイズは重要じゃないんだ。ショートフィルムを撮る場合でも、例えば、シャネルNo.5(のCM)はとても予算が大きかった。『エイリアン4』も大きな予算だった。でもそれは小さな映画でも同じことだ。つまり、クリエイティヴィティのプロセスは同じだ。ストーリー、絵コンテ、編集も同じこと。でもしばらくしてから、リスクがあるとすれば、それは情熱を失ってしまうこと。もちろん、映画6本を撮った後では同じパッションを保てなくなっていても仕方がない。そうして新しい方向性を見つけていくものだ。この映画も本当は3Dで撮りたいと思ってた。今はそのためのカメラが登場したけど、僕らは少しだけ時期尚早だった。だから次の映画では変えていかなければいけない。デジタル・カメラはものすごいスピードで変化してきた。2年もすれば、4Kで撮影できるようになるのは確実だろう。しかも、より小さなカメラでね。

OIT:人間大砲も3Dで見たいシーンですね。
JPJ:もちろん!そうしたかったね。『アバター』が公開されるのは聞いていたけど、僕らが早すぎた。でも今は少し後悔してる。もしできていたら、完璧だったのにってね。

OIT:では、次回作は3Dに期待ですね。
JPJ:テーマによるけどね。人が会話しているものでも、おもしろい話なら、やらない理由はないかも。

OIT:何年か前に、ポンピドゥーセンターに行った時、ヒッチコックの映画のために描いたダリのスケッチの展覧会があったんです。彼は膨大な数の絵コンテを描いていて、4000ドルしかもらってなかったらしいですけど、まあ、それは絵コンテの話で思い出しただけなんですけど、『ミックマック』に話を戻すと、自分の中の全ての要素をこの映画に注ぎ込んでいる印象を受けるのですが。
JPJ:まさにその通りだね。

OIT:それはどのようにしてそこへ至ったのでしょう?
JPJ:僕は2年間を20世紀フォックスのために過ごしていた。『Life of Paris』のために。それはもう大変な戦いだった。インドでロケハンして脚本を書き、絵コンテも書き、モデルを組み立て、3500枚の写真を撮り、いつしか2年経っていて、撮影したくてうずうずしていた。そんな僕の玩具箱から全てのアイデアを出して放り込んだのがこの『ミックマック』だ。それが思いのほか早く出来上がった。

OIT:その時、何が入り、何が入らないかはどうやって決めたのですか?
JPJ:感覚の問題だね。物語が大事だ、それにディテールも。砂糖とコーヒーが完璧な配分になるジョークとか、地雷やサッカー場のジョークとかもね。

OIT:撮影に入る前は何が必要かはっきり分かっているものですか?それとも、常に変化していくものですか?
JPJ:うん、はっきりと分かってるよ。とても厳密に分かっていて、ストーリーボードにそれを描いていくんだ。時々、自然から贈り物をもらうこともあるし、役者からもらうこともある。役者から何か提案されるのはよくあることだ。それは贈り物のようなもので、おお、ありがたい、ってことになる。そんなこと考えてなかったよって。違うものでも、ノッてしまうことはあるよ。映画にとってそれが正しい方向ならね。

OIT:それは(主演の)ダニー・ブーンのような役者がいれば尚更ですね。
JPJ:その通りだね。彼はとてもクリエイティブで穏やかだ。この映画は特に、脚本を書いた時点では、扉を開いたままにしておいたんだ。例えば、指と手を鳴らして、子供たちにそれを見せるシーンがあるけど、僕はダニーに、子供たちに見せられることは何かないかなって聞いたんだ。そしてあのアイデアが生まれたんだ。

OIT:あれはあなたもできるんですか?
JPJ:僕?僕はさっぱりできないよ(それでもゆっくりとやってみるが…)。彼は素晴らしい役者だよ。

OIT:監督としては、いろんな即興要素も映画に盛り込んでいく傾向があるのですか?
JPJ:マーティン・スコセッシはこう言った。即興は撮影前に採り入れるものだと。実際の撮影になるともう遅すぎるんだ。そんな師匠が見ているから気をつけなければいけないね(笑)。僕も撮影前は役者たちと一緒にたくさん作業する。武器商人のシーンは特にそうだった。時間をじっくりかけて、コメディーの要素を見つけようとした。バカげておどけた人たちと、武器商人たちとの間にいいバランスを見つけなければならなかったから。

OIT:それに以前の映画からも引用していますね?前の作品、例えば、『デリカテッセン』など、小さな、しかし違うモチーフなどを採り込んでいますね。それを入れることは、撮影前から決めていたんですか?どういう部分を入れたいと思っていましたか?『デリカテッセン』はそのシーンを作り直したわけですよね?
JPJ:あれはただのジョークだよ。この映画では、自分に制限や限界を作りたくなかった。例えば、映画の中の映画のポスターのジョークとか。意味の整合性はないし、映画では禁止事項だと思うんだ。でも僕はどうでもいいと思った。おかしいと思ったから、自分でリスクを取ればいいと思った。『デリカテッセン』のジョークも、まあ、問題はないさって。撮影できること自体がうれしくて、僕は全く問題を感じなかった。フィクションだし。でも、もちろんリスキーではあったね。カートゥーンやスラップスティックに、武器売買のようなシリアスな問題を合わせるとなると。

OIT:『アメリ』への参照も入れました?
JPJ:いや、『アメリ』の参照も入れたかったんだけど、代わりに『デリカテッセン』にしたんだ。

OIT:ペインティングや照明とか、『アメリ』を想わせるものもあったような、ないような。風景画やランプシェードの使い方とかは?
JPJ:うーん、それはなかったかな。

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