OUTSIDE IN TOKYO
Jean-Pierre Jeunet Interview

ジャン=ピエール・ジュネ『ミックマック』インタヴュー

3. 僕は自分を特にフランス人として見ていない。フランス人どころか、自分はETだと思ってるよ。

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OIT:そうですか。ところで、あなたの映画作家としての立ち位置はフランスでも特異ですよね。アーティスティックであると同時に、ディテールに拘り、エンタテインメント性も兼ね併せている。あなたは自分自身のそういう立場をどう見ていますか?
JPJ:僕は自分を特にフランス人として見ていないんだよね。フランス人どころか、自分はETだと思ってるよ。地球外生命体だ(笑)。ある意味、僕の映画はフランス映画ではあるんだけど、パリを扱って。

OIT:スタイリッシュでもありますね。
JPJ:まあね。でもフランス人って感じではないね。フランスでは時にとてもリアリスティックな映画を撮るからね。僕はリアリスティックなものは好きではないから。フランス的なやり方が好きではないんだ。それなら想像力の方を好む。ティム・バートン、テリー・ギリアムなど、強いスタイルと映像的なおもしろさがいい。でもフランスではそんな彼らは嫌われている。もちろん、みんなではないけど、そういう人が多いんだ。

OIT:でも、あなたは商業的にも成功していますよね。
JPJ:そうとも言えるね。それに僕の映画は世界中に売られている。それは大きな幸運だ。

OIT:では、商業的に成功しているから好きじゃないのかもしれないですね(笑)。
JPJ:うん、そうかもしれない(笑)。そしてフランスでよく言うのは、彼らは前に好きだったものを嫌う(笑)。とてもフランス的だよ。

OIT:リアリズムは好きではない、ということですが、リアリティという点ではどうですか?
JPJ:ドキュメンタリーは大好きだよ。ナショナル・ジオグラフィックを見るのも大好きだ。ただし、一視聴者としてね。ドキュメンタリーを撮りたいという意味ではなく。僕はリアリティーを変質させるのが好きなんだ。そのままの状態を撮ることは自分にとって退屈だ。まるでコピーを撮っているみたいだ(笑)。

OIT:では、信じられるという意味でのリアリティはどうですか?リアリティそのもの。信じることができるリアリティは?
JPJ:そういう意味では、『アメリ』の方がずっとリアリスティックだった。そこに自分もいることが想像できるわけだから。彼女はシャイで、自分の人生を変えようとした、それは自分が作った、最もリアルな物語だ。それに同じくらいのポエティックだ。だからこそ機能した。ある意味、奇跡だったと思う。一生に一度の奇跡だ!

OIT:『アメリ』の(成功の)後、『アメリ』を作ったことを後悔するような瞬間って一度でもありましたか?その後、誰もが、次の『アメリ』を見たがるような状況はなかったですか?
JPJ:どの監督も同じさ。もちろん、楽な事ではない。一度成功すると、また同じような成功を期待される。そしてもちろんそれは不可能だ。だが僕にはその幸運があった。とてもパーソナルな映画で、大きな成功をおさめることができた。どの監督も成功を願わないわけがない。僕に不満はないよ。

OIT:あなたの監督としてのキャリアを振り返ってみてどう思いますか?自分自身が見る、あなたのハイライトは?
JPJ:『アメリ』が大きな瞬間だね。とてつもない満足感を得られた。僕の最もパーソナルな映画で、僕にとって最も重要な映画だ。もうこれで死んでもいいよ(笑)。たまに、実際にもう死んでいるんじゃないかと思う時がある。楽園にいるって感じだ。誰もがキャラクターや役柄を演じていて、例えば、『トゥルーマン・ショー』みたいに、いやその逆バージョンみたいだね(笑)。

OIT:その後、あなたは自分の子供時代を振り返る映画(『ロング・エンゲージメント』2004)を作りましたね。どうそこに至ったのですか?
JPJ:自分で物語を書くと、すごくたくさんのディテールを入れるんだ、すごくたくさんの事柄を。『アメリ』、また今度の『ミックマック』の後、3年くらいは乾いて空っぽになる。だからそういう時は、本をベースにして脚色して作るのにいいタイミングだ。『アメリ』の後に『ロング・エンゲージメント』を撮った理由は、本をベースにした映画を撮るタイミングだったし、この後も、脚色できる本を探しているんだ。ここでまたパーソナルな物語を書くことはできないよ。しばらく、まあ、2、3年は必要だね。自分の玩具箱がまたディテールでいっぱいになるまで。

OIT:そうですね。この映画には、『アメリ』も『デリカテッセン』も集積されている気がします。もう、全てやってしまったわけですね。
JPJ:『デリカテッセン』と『ロスト・チルドレン』のあと、『エイリアン4』をやった。でもそれは僕の書いた物語ではなかった。そしてまた『アメリ』の後は順繰りって感じさ。

OIT:そしてアメリカ、つまりハリウッドで映画を撮ることを経験し、そこで感じた…。
JPJ:違いかい?一番大きな違いは自由だ。フランスでは完全な自由がある。誰かに何かを説明する義務もなくて、自分がボスだ。プロデューサーであり、監督でもある。でも、もちろん素晴らしい経験だった。そして自由もあった。ある意味ね。でもそれには人を説得しなければいけないし、毎日、闘わなければいけない。それは骨の折れることだ。でも僕はそれも誇りに思っている。悪くないと思う。まあ、違うゲームのやり方にすぎないし、やってよかったと思う。だから、アメリカの役者を使って、また1本やってみてもいいかもしれない。でもフランス的な自由度でやりたいね。どこかで妥協点を見つけて。フランス的な自由とアメリカの役者で。

OIT:ということは、ある程度、自由がなくても撮れる自負があるとも言えますか?
JPJ:いや、今は自由がほしい。自由を失うのは大変すぎるよ(笑)。

OIT:またダニー・ブーンと一緒にやりたいですか?
JPJ:ダニーは素晴らしい男だ。彼が『Bienvenue Chez Les Chtis』での成功の直前に彼と契約したんだ。そんな彼の映画は2100万人の観客動員を記録した。『タイタニック』のようだ。信じられないし、すごく嫉妬したよ(笑)。私にとっては、世界でも『アメリ』が一番の成功作だ。僕ら2人の競争心みたいなものさ(笑)。でも彼はとてもいい人だよ。成功しても変わらない、同じ人だ。いい人で、おかしくて、とても礼儀正しい。とても独創的で、クリエイティブで、時にとても技術的にうるさい。それもすごくいい。

OIT:そのためのアイデアはありますか?
JPJ:いや、それも今は探しているところさ。

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