OUTSIDE IN TOKYO
Jeanne Balibar Interview

ジャンヌ・バリバール『何も変えてはならない』インタヴュー

2. 私が興味あるのは、演じないこと。とにかく、私は自分自身であるだけ

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OIT:何への退屈?
JB:物事のつまらなさよ。それはイギリスやアメリカで(音楽的に)起きたことを見れば分かるでしょ。みんな、何もやることがなかったから。特に若い人たちは。ただ地下室で管を巻いて、何かが起きるまでひたすら待つの(笑)。そういうものだと思うわ。と言って、音楽をやっている人が働かないというわけじゃないのよ。逆に、すごくたくさん働いてると思う。すごくたくさん。自分たちがやることについてもたくさん考えている。それでも、たいていは何もすることがなくて、その場にいるだけのところから始まることは多いと思うの。一晩中、日がな一日。まるでキンクスの歌みたいに。「All day and all the nights」って(笑)。だから、ペドロはそうやって私たちと一緒にたむろしてただけなの。もうバンドのメンバーって感じ。テレビ・クルーが乱入してきて、気に障るとか、そういう感じでは全くなかった。彼ともう1人も、バンドのメンバーという感じだった。そして同じ場所で過ごした。そこで実際に起きていることに反応しながら。私たちがコンサートの準備をしている間も、ペドロは自分の側の準備をしていて、私たちがリハーサル中も、彼は自分のやるべきことをやっていた。ホイルをいじったり(笑)!私たちみんなが何かしらいじったり、手を動かしたりしていて、みんなが同じ体験を共有していたの。だから彼が邪魔だと思ったことなんてないわ。

OIT:でも同時に、彼の撮影の仕方として、とても近い距離で撮ることが多い気がするんです。限られた空間で撮影するのも好きなようだし、多くの場合、フィックスで撮る。だからカメラがとても近くにある感じだと思うんです。でも、まあ、あなたはそんな状況に慣れているのかも……。
JB:そうね。慣れてるわね。

OIT:でも、他のメンバーはどうでしたか?
JB:たぶん、ペドロは私に集中していたと思うの。だから彼らも、自分たちが映画に入っていることをあまり意識していなかったと思う。まあ、実際に、彼が私にフォーカスを当てていたのも事実だし。それだからか、他のメンバーは撮影されていることにさえ気づいていなかったかも。それに、みんなが音楽を作ることに集中していたから。みんな、本当にやるべきことがあったからね。

OIT:カメラが気になるほど余裕もなかったってことですね(笑)。
JB:そうね、私たちも集中してたわね。もちろん、ペドロも。彼はそんな状態を映像として捉えたかったんだと思う。そんな、(みんなが)集中している状態を。

OIT:ばかばかしい質問かもしれないけど、映画のために撮影される時は、役柄も、ある世界感も与えられるわけですが、逆に、自分自身として音楽を作り、その準備をしている時とは感覚的に違うものですか?同じカメラの前にいるのでも、映画の世界に入り込んでいる自分と、自分で音楽を作り、演奏している時とでは、自分にとって異なる体験や感情だったりするのですか?つまり、あなたが、違う人、違う存在、になったりしますか?
JB:(考えて、長い沈黙の後、にやりと笑みを浮かべて言う)とてもトリッキーね(な質問ね)。(と言うと、また沈黙した後、口を開く)いいえ、違わないと思うわ。でも(そもそも)私が興味あるのは、演じないこと。それは間違ったやり方かもしれないけど。とにかく、私は自分自身であるだけなの。これはあくまで私の考えで、私がモダンな演技と呼ぶ方法論なんだけど。私は、役を演じているのでなく、ただ生きた素材として(そこに)存在しているだけなの。形もなく、ただその場いるだけ。形のない、生きた“素材”として(笑)。物語、照明、メイク、まあ、メイクはあってもなくてもいいけど、とにかく、映画の仕事をしている他の人、もちろん監督や編集の人も含めて、みんなが“私”というキャラクターを作り上げていくの。これは私の考えだけど、私たち役者はキャラクターを作るべきでないと思っているの。私以外のみんなが作っていけばいいの。

OIT:それはおもしろいですね。
JB:だから、ただ呼吸をして、その瞬間に口にされるべきことを口にして、誰かを見つめたりするだけ。私の考えでは、役者は……、フィルムのようなもので……、実際(笑)フィルムと同じように、素材であるに過ぎず、同時に、映画の中にある全てのものが役者に刻まれていかなければならないの。それが最終的にキャラクターを作りあげるの。だから、例えば、私があなたを見る時、カメラは私を撮っていて、私が「へー」とか、何かに(わらざとらしく)反応する表情を見せたところで、おもしろくもなんともないと思うの。おもしろいのは、私とあなたの間で、カメラが何を感知できるかどうかだと思う。それに、私に何が起きるのかも分からない。それにある程度は、何が起きたっていい。でも私の役割は、できるだけカメラが(それを)読み込めるようにすることだと思う。例え、それが何であるか分からなかったとしても。そしてそこが最終的に、物語になるの。そうした出来事や、偶然から起きる物事の全てが。たぶん、ロメールだったと思うけど、映画作りで、偶然以外に必要なものはない、と言っていたと思う。それには私は全く賛成よ。でもこれはあくまで私の意見。間違っているかもしれないわ、もちろん。

OIT:そうですね。
JB:でもそれが私のやり方なの。私だって変わるかもしれない(笑)。5年後には、「ああ、もう行き止まりだわ、キャラクターの全てを作りあげるべき」だと思って、キャラクターを作り込むことが全てだと信じるようになるかもしれない。でも今のところ、自分の興味はこっちに向いているの。

OIT:それはずっと(変わらず)感じてきたことですか?演技を始めた頃から?
JB:いいえ、違うわ!これはゆっくりと私に訪れた結果なの。その理由は、私の好きな役者たちが大きいわね。私は全くキャラクターを作っていないように見える役者が好きなの。(私だって)他の役者に興味を持つのよ(笑)。

OIT:例えばどんな人がいますか?(笑)
JB:さあ、誰だろう……。例えば、1970年代のアメリカの女優とか(が好きね)。シェリー・デュヴァル、『ファイブ・イージー・ピーセス』のカレン・ブラック。そして実際に役者ではないけれど、本当に大好きな女性で、カサヴェテスの『フェイシズ』にも出ていて、それはジーナ・ローランズでない方で、そう、リン・カーリンとか。彼女は実際にプロデューサーだったのかな(この映画の脚本に関わっている頃、リン・カーリンはロバート・アルトマンの秘書で、彼に解雇された後に『フェイシズ』に出演し、オスカーにノミネートされる、という経歴を持つ)。ええと……、そうね、ルイーズ・ブルックスも好きよ。彼女たちのような役者は計画をしないの。でもキャロル・ロンバードも好き。彼女は対極だけど。それにシャーリー・マクレーンも好き。素晴らしい女優だと思うわ。どんなカテゴリーに属することも拒否する人ね(笑)。でもおかしなことになるから、この話はもうあまりしない方がいいわね(笑)。

OIT:もう終わりですか(笑)?でもおもしろいことに、そうした役者の多くがメソッド演技から出てきた人たちではないですか?つまり、キャラクターになり切ろうとする人たち。
JB:えっ、みんなメソッド演技から来てるの?そうかしら?

OIT:まあ、いま名前を挙げてくれた人たちは違う側面も持っているのかもしれないけど、彼女たちを含めた多くのアメリカ人の役者が、その出発点として、メソッド演技から出てきている人が大半のような気もするのですが。
JB:そう……。メソッド演技というのは、本当に、集団的な錯乱としか思えないのね。何かの宗派みたいに。例えば、マドンナがある宗派に属しているように。カバラだっけ。それが50年代のメソッド演技に属する感じだった気がするの。でも実際に演技とは関係ない気がするのよね(笑)。そう思わない?

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