OUTSIDE IN TOKYO
Jeanne Balibar Interview

ジャンヌ・バリバール『何も変えてはならない』インタヴュー

3. 映画は例え、それがアート映画であっても、産業の一部でいることがとても大事

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OIT:おっしゃる通りだと思います。
JB:本当に関係ないことだし、リー・ストラスバーグという男は、本当にマヌケだと思うの(笑)。

OIT:よくぞ言ってくれました。それでは、突然、媒介のように役柄が降りて来て、乗り移ったかのように役に成り切る、というようなことは信じていないということですね?
JB:まあ、でも、媒介であるというのは信じてるわ。でも役柄に成り切るなんてないわね(笑)。

OIT:すると、もっと乗り物のような感じですか?
JB:そうね。私たちは、フィルムのような存在だと思うの。フィルムの上にフィルム(映画)があり、フィルムの中にまた別のフィルムがある、というふうに。つまり、それが私たち。一般的なことが全て私たちの上に焼きつけられる。私たちの身体に、顔に、瞳孔に。役者は鏡だと思うの。私はそう思う。それは例えば、ペドロの映画に、とてもはっきり見てとれると思うの。
ジャック・リヴェットの映画もそう。彼の映画はそういう信念の元に成り立っているわ。彼がそれをどう考えているかは分からないけど、(少なくとも)私はそう思う。部屋に女優、それか女性が一人いるとする。(彼女を通して)そこにある世界を見てとれる。世界の何かがそこで語られている。でも部屋にいるのは女の子一人。私の意見では、リヴェットは、ヌーヴェル・ヴァーグの監督たちの中で一番政治的な人だと思う。でも彼は一度も政治の映画を撮ったことがない。彼は人の身体に政治がどのように表出するのか、そこに何が起きているかを映しとるの。

OIT:そうですね。確かにそういう役者もいますね。逆に、演技をする前に、ウィンクをするかのように、何をしようとしているのか分かってしまう人もいます。ところで、リヴェットと仕事する時は、彼とどんなことを話し合うのですか?どう演技すべきか、言ったりする?彼が求めていることを説明して、その通りにやることを求めたりしましたか?
JB:どうだろう……。まず、リヴェットは役者の話をするのが好きなの。一緒に仕事している私たち以外の、他の役者について話すのが好きね。私たちは(現場でも)本当に長い時間を、いろんな俳優や女優について話して過ごした。映画の歴史についても。そして最近の映画についても。例えば、こんな議論もした。私が『恋ごころ(原題“Va Savoir”)』に起用された時、2人で会って、いろんな話をしていたら、話題はすぐに役者と演技になったの。私はロビン・ライト・ペンのことが好きで、彼もそうだと言った。それでロビン・ライト・ペンについて30分も話してたの。そのおかげで私に役を与えることにしたと思うの(笑)。基本的に、ただ会話をして、彼が、「ヨシ!じゃ、僕と一緒にこの映画をやらないか」と言ったの。私たちはいつも、役者、特に他の役者たち、つまり他の俳優や女優について話していたけど、彼はそういうことがとても好きで、とても関心があったの。まあ、私も好きだったから何の問題もなかったんだけど。それ以外は、役柄についてとか、その映画で何をしているかについてとか全く話に出なかった。寺島しのぶさんとの(トークショー)でも話したんだけど、彼は実際にこう言っていた。自分が女優を決めた時点で、彼女の方が僕よりもずっとその役柄について知っているはずだ。(逆に)その役柄について知っているのはまさに彼女で、僕はそれに比べたら何も知らないも同然で、映画自体についてもそうだと話していた。彼の映画には、常に彼を表す存在がいるの。カメラに映る存在として。『恋ごころ』ではセルジオだった。『ランジェ公爵夫人』では私の演じた役。彼は常に、「ジャンヌ、君ならどうする?」って聞いてきた。朝、現場に入ると、彼は「君なら何をする?君ならどこへ行く?カメラはどこにあってほしい?」と聞いてきた。基本的にそうだった(笑)。もちろん、カメラがどこにあるべきか知っているのは彼なんだけど、それでも、彼は役者に、最初にそう聞いてから決断を下していた。そういう人なの。まあ、カメラがどこにあるべきか、とまでは言わないかもしれないけど、でも、(君なら)どうすると思う、とは聞かれたわ。もちろん、役者なら、こういう仕事をしている時点で、おそらくカメラがそこにあることはないだろう、くらいは分かるものでしょ(笑)?

OIT:例えば、もし監督の決断に従えないと思った時はどうするのですか?
JB:……あまりそういうことはないわ。(笑)

OIT:それは幸運ですね。
JB:そうね。とても幸運だわ(笑)。それにとても貧乏(笑)。同じくらい。でも、アーティストとしては、そういうことにも対処できいなければいけない。

OIT:その前にそう決断しているわけですね。
ということは、もちろん、そうした選択を、企画に入ることを決める前にしているわけですよね?ある特定の人たちとしか仕事しないように、とか。そのために企画を断ったり。
JB:(確かに)以前はたくさん断ってたわね。でも最近は前ほどじゃないわ。そういう映画への出演オファーがほとんど来なくなった。自分がどういう人間で、どういうものが好きかというのを、自分なりの立場で表明してきたつもりだから。でもね、これはいいことではないと思うの。

OIT:そうなんですか?
JB:そうね、よくないと思うわ。

OIT:どうして?
JB:それは、映画はひとつの産業であって、アート映画が偉大であるのは、その一部であるからだと思うの。映画の場合、私は、アートのためだけのアートは信じてない。映画はコンテンポラリー・アートや現代詩のような存在である必要はないの。それは、わずかな人たちのための喜びであったり、そういうものが存在することを知っている人たち、それらを引用することができたり、その価値を楽しんだりすることができる人たちのためではないということ。私がとても強く思うのは、映画は例え、それがアート映画であっても、産業の一部でいることがとても大事だと思う。それはポピュラーなアート・フォームであり、ポピュラーなアートであるから。私はそこにとても魅力を感じる。でもそれを私自身でダメにしちゃったわけね。それで今はアート系しかやれなくなった。意識の高いところとは言え。

OIT:それを後悔していると?
JB:いいえ、後悔はないわ。なぜこうなったのか分かっているから。私は母親であり、子供が2人いて、その父親は国際的な映画スターで、彼はいつも忙しく仕事している。2人ともが常に外に出ている状態では無理だと、どちらかが言わなければならなかった。だから相手が家にいて、子供の面倒を見たくなければ、私がやらなければいけないわけ。そしてもし私がやらなければいけないなら、たくさんの企画を断らなければいけないということ。そして、あえて断らなければいけない状況ならば、選択肢としては、より商業的な映画を断るしかない。だからこの10年間、基本的に、私が子供たちを育ててきたの。そしてそう言ってしまうことに問題はないわ。だって、それはとても大事なことだから。女の人はそう言うことができる。それで問題ないと。子供たちを育てることに問題はないと。それでも、(なぜか)常にそうするのも女性なのよね(笑)。
だから、それが理由よ。でも子供たちが大きくなった今、もっと多くできるようになるかもしれない。もう少し、その2つの領域を混ぜることができるようになるかもしれない。でもやっぱり、女であること、母親であることが大きいのよね。

OIT:そうですよね。ところで、映画と違って、演劇の時のプロセスは違うものですか?女優として。
JB:うーん、そうね、うーん、違うと思うわ……(笑)。

OIT:この映画で見る時、オペラの練習をしているシーンで、見ている側からすると、拷問を受けているかのようにも見えてしまうんです。それは自然な乗り物として機能することとはまた違う感覚のようにも思えるんですけど。違うエネルギー、違う方向性があるような気がします。
JB:いいえ、そんなことはないと思うわ。歌のトレーニングも、うまくいく場合、人がどのように乗り物になることを許容できるかを学べると思うの。声がちゃんと出るようにしてあげれば。人は、歌えなかったり、音程に届かなかったり、リズムがとれなかったりするけど、そこで問題は、人が何かをやらないのでなく、やってしまうからこそ機能を止めてしまうことがあるということなの。だって、みんな、基本的にシンガーなのよ。歌うことを覚えるということは、同時に、自分がやっていることを一度破壊してしまうということなの。やらなければいけないことが、却ってできなくなってしまう。そして身体に仕事をさせてあげれば、ちゃんとやってくれるものなの。だから答えは逆で、乗り物になることを、歌うことを通して学ぶことはずっと簡単なことなの。もう何年もずっと映画でやってきて、もちろん、演技をする上で、乗り物になれるようにはなってきたけど、歌うこと、特にそういう歌い方では、まあ、とても、奇妙な感じよ(笑)。

OIT:(笑)そうなんですね。
JB:私はオペラ歌手のように歌うことはできないし、そうなりたいとも思わないけど、あれは演劇的な経験のひとつだった。でもオペラに参入しようとか思っているわけじゃないわよ(笑)。あの場合は、フェスティバル・デックス(Festival D’Aix)のためのオペレッタ(『ラ・ペリコール(“La Perichole”)』をやるという目的があって、つまり、それはフランスのハイブロウなオペラフェスティバルだけど、歌う人はみんな本職の歌手ではないということがキーだったの。だから、誰でもできるんだってことを示すために行われたようなもの。本物の歌手でなくてもできると。それにみんなからブーイングが飛んできたの。それもとても楽しかった。

OIT:へー、それも楽しめたんですね。
JB:ええ。元々、そういう意図(でのブーイング)だったの。



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