OUTSIDE IN TOKYO
JERZY SKOLIMOWSKI INTERVIEW

イエジー・スコリモフスキ『エッセンシャル・キリング』インタヴュー

4. 目下の望みは、奥深い森の庵に引きこもって絵を描くことだ

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OIT:ポランスキーの映画にあなたの絵画が使われていることは知っていたのですか?
JS:そう、『ゴーストライター』で使ったんだよね。

OIT:そのことは話しましたか?
JS:交換について?いやいや(笑)。

OIT:では友情の交換というわけでもなかったんですね(笑)。
JS:それはないな。自然なことだったから。彼は私のペインティングが好きだからね。そこで家の装飾をする時に、君の作品を飾ってもいいかと聞くものだから、どうぞどうぞといくつか選んでやった。でもそこに繋がりはないよ(笑)。

OIT:ところで、今度は王様の役を演じるんですよね?この後すぐ撮影に入るのですか?
JS:そうなんだ。東京からそのまま、その役のためにブカレストの現場に入る。

OIT:なぜそういうことになったのですか?はまり役のような気がしますが。
JS:(笑)彼らはポーランドで役者を探したが見つからなかった。そして偶然、プロデューサーがクラクフの映画祭に来た。オフプラス・カメラ国際独立映画祭といい、私は審査員長で、クロージング・セレモニーで賞を授与するためにいた。プロデューサーはイタリア人でジャーナリストと、王様役が見つからないと話していた。そして私が壇上にあがるのを見て「スコリモフスキが監督で残念だ。役者なら王様の役にぴったりなのに」と言った。するとジャーナリストが「彼は役者さ」と言うと、私がたまに演技に手を染めているのを知らなかったプロデューサーが授賞式の直後に小走りでやってきて、王様の役に興味はないかと言った。「なくはないけど、とりあえず脚本を読ませてくれ」と私は言い、数週間考えた末にやることにした。

OIT:どこに惹かれたのですか?
JS:1683年9月11日、ウィーンで大きな戦いがあった。9・11がその復讐だという歴史家もいたほどだ。トルコがヨーロッパに侵略し、ウィーンを包囲。ウィーンの後はローマへなだれ込み、キリスト教を滅ぼすだろうと噂された。ウィーンにはヨーロッパ中の王が集まり、防御策が練られ、そこで白羽の矢を立てたのがポーランド王(ヤン3世)率いるユサール軍だった。大きな羽根の強力な騎兵で知られる。まあ、こんなに血筋のいい我々がポーランドの王を司令官として迎えるのはいかがなものかという意見も出たが、彼らに選択の余地はなく、蛮人と呼ばれたポーランド王は戦いに勝ち、キリスト教世界を救った。それが有名なウィーンの戦いだ。

OIT:あなたは救世主なのですね(笑)。
JS:そう、私が救世主だ(笑)。

OIT:でもそうしている間にも、私たちはあなたの次の監督作を早くも待ち焦がれているのですが(笑)。
JS:あり得るかもしれないが保証はできない(笑)。

OIT:まだ準備ができていないのですか?
JS:さっぱり見当もつかない。目下の望みは『エッセンシャル・キリング』の宣伝のワールドツアーと王様の役を終えて、奥深い森の庵に引きこもって絵を描くことだ。もう2年も描けていないのだから。

OIT:2年間ずっと筆をとっていないんですか?同時には無理なんですね。
JS:そう、一緒にはできない。

OIT:それなら待つしかないですね(笑)。
JS:よろしく頼むよ(笑)。


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