OUTSIDE IN TOKYO
JERZY SKOLIMOWSKI INTERVIEW

「好きなだけ撮ればいいさ」写真の了解を撮った時のイェジー・スコリモフスキの言葉が、なんとなく彼の人となりを体現していると思った。伝説と呼ばれるポーランド人監督が17年ぶりに長編映画『アンナと過ごした4日間』を撮った。しかも、スターリン批判の嫌疑で母国を追われ、イタリア、イギリス、アメリカはハリウッドと点々としてきた監督の久しぶりのポーランドでの撮影と聞けばなおさら期待が高まるというもの。若い頃からアンジェイ・ワイダの『灰とダイヤモンド』の脚本を断り、『夜の終わりに』を共同執筆して出演もし、ロマン・ポランスキーの『水の中のナイフ』の台詞を執筆するなど、当時の才能の爆発と共に歩いてきたスコリモフスキは、『Rysopis』(64)でアーンヘム映画祭のグランプリを受賞したという。だが順調だった監督生活も『手を挙げろ』のスターリン批判で上映禁止に。ベルギーで撮ったジャン=ピエール・レオーの『出発』は日本でも評判を博し、海外で旺盛な創作を続けることになるのだが、このインタビューでも語る通り、複数国の共同製作のシステムが増えると、徐々に資金提供者たちの意向に振り回されるように。その後、『ザ・シャウト/さまよえる幻響』(78)、『Moonlighting』、『Success is the Best Revenge』、『ライトシップ』など、ハリウッドにも拠点を移し、意欲的に臨みながらも、様々な口出しに翻弄され、満足の行く作品が撮れなくなってしまう。そこでボクサー、ジャズ・ドラマーなど様々な経歴を持つ彼らしく、突然、絵描きに転向を表明。大学で教鞭をとりながら、ギャラリーの後押しも受け、順調な芸術家人生を歩み始める(2009年ベルリン映画祭で彼に敬意を評した絵画展が大々的に開かれた)。だがそれでも、実は映画から離れたわけではなかった。彼が「生活のため」という俳優業が意外にも順調に行き、『ホワイトナイツ 白夜』『マーズ・アタック』、『イースタン・プロミス』など、はまり役で登場するようになるばかりか、各国映画祭では審査員を務め、様々な映画の企画が進行しつつ、頓挫するという状況は続いていた。そして彼がここで語るように現在のポーランド政府の管轄下にあるポーランド映画協会から請われ、戻ることになる。かくして挑んだ『アンナと過ごした4日間』は、ヨーロッパのどこかの小さな村で起きる現実と夢の境界を行き来するような作品として絶賛された。惚れた女の部屋に忍び込み、ただ寝顔を見つめていた小心者の男の記事を新聞で見かけた話を寝かせていた彼は、その小さなメモ程度の筋を、一見、異様ながらも愛すべき男と女の世界を作り上げた。特筆すべきは、最小限にまで排された台詞と、繰り返される視線や行動。その少ない情報を受け取った観客は、それが現実なのか男の頭にあるのか、シュールな世界にひきこまれることになる。そして時折、不穏に浮かび上がる個性的な音響の構成の秘密も彼はここで明かしてくれる。彼は取材後に、「家路」と漢字で書いてくれという。半信半疑のまま言われた通りに書くと、彼は「私の名前だ」とサングラスをかけたままニヤリと笑った。どうやら取材者全員に書いてもらっているようで、僕の不揃いの字も、「家路」の束に加えられた。そんな71歳の監督の復活を喜ぶと共に、今後まだまだ「妥協のない」映画を提供してくれることを願いたい。

1. 私は観客を混乱させたかった、簡単に判断してしまわないことを教えたかった

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OUTSIDE IN TOKYO:この『アンナと過ごした4日間』は、他の映画とはまた異なる映画体験でしたし、消化するまで、つまり、自分が見ているものと、映画が見せてくれるものが自分の中で噛み合うまで時間がかかりました。あなたは監督として、観客がこの映画をどう見て、どう反応することを望みますか?
イエジー・スコリモフスキ:映画を作る上での戦略を教えよう。まず、私は観客を混乱させたかった。人に、簡単に判断してしまわないことを教えたかった。単なる状況から、それとも、ある重要な行動から、フェアとは言えない状況に追いこまれる可能性があることを。この男を暗いやつだと思っても、私は最初から、意図的に観客を違う方向へと導き、それが男の本当の姿ではないことを示唆したかった。それが全体の戦略だ。また最終的に達成したかったのは、物語に2つの読み方があること。ひとつは、最後に納得のいきやすい、全く現実的な物語。レオン(という男)が刑務所にいる間、ナースのバラックは解体され、もしかしたら、ナースたちは他の場所へ移されたのかもしれないこと。もう一方は、隠喩的に捉える方法。それが彼の頭の中にしか存在せず、悪夢か何かであるということ。

最初から観客を混乱させる意図があったんですね。登場人物の設定はどう決めていったのですか?
映画の元となる話を新聞の小さな欄で読んだことは聞き知っているかもしれないが、その情報が少し間違って解釈されているようだ。記事かコラムで見た、ということだが、実際はLAタイムズで見つけた短い一文にすぎなかった。たった一行だ。(日本に)ある男がいて、あまりの恥ずかしがりであったため、愛する女性に近づくこともできず、彼のとった唯一の方法が、彼女の寝室の窓から忍び込み、その女性が寝ている姿を眺めているだけというもの。たったそれだけだ。年齢も職業も、社会的身分も、場所も、どこの村か町かも書かれていなかった。それが逆に、私には都合がよかった。その記事を10年前に読んだ時、とても強い印象が残った。それを8年間、使えるかもしれないと取っておいた。そして、いつ、どう使えるかも分からないまま、突然ポーランドに帰る機会が浮上した。長く故郷を離れていた後で。そして映画を作ることができる。自分の作りたい映画が無条件に作れるというのだ。やるしかないじゃないか(笑)。もちろん予算は限られていた。だがポーランドで映画が撮れる。その時、あの短い文章を思い出し、これだと思った。俳優は2人使えそうだ。男は窓から忍びこむ。場所はどうする?決めなければいけない。私は撮影場所の近くに住んでいた。森の中のハンティング・ロッジに。

それは昔に住んでいた場所?
いやいや、ポーランドに戻ってからさ。ほんの2年前のことだ。ワルシャワは好きじゃないから住みたくはなかった。そこで(田舎に)小さなハンティング・ロッジを買い、そこに住みたいと思った。それから、その場所でどんな映画が撮れるか考え始めた。周囲を見渡してみた。一番近い村はどこだ?ひとつひとつ疑問を挙げ始めた。そこに2人の人間が暮らし、どんな仕事をしているだろう。そうだ、小さな病院があった。それなら女性をナースにし、男は病院の最下層の従業員にしよう。2人の過去は?レイプがあった…。

最初は周囲の環境に惹かれたのですか?それとも映画作りの場所として既に意識してのことですか?
いや、最初は場所に惹かれただけだ。住む場所を探していただけ。そこに数ヶ月か、数年か、それともずっと住むことになるかどうかも分からないまま。とにかくワルシャワには住みたくないのは分かっていた。そしてハンティング・ロッジを見つけた時、そこに住みたいと思った。そこに住居を定めてから改めて辺りを見回してみた。映画が撮れることも決まった。もちろん限られた予算だが、映画を作るには十分で、それが私の望む状況だった。

『アンナと過ごした4日間』
原題:Cztery noce z Anna

10月17日(土)より、渋谷シアター・イメージフォーラムにてロードショー

製作:パウロ・ブランコ
監督/脚本/製作:イエジー・スコリモフスキー
脚本:エヴァ・ピャスコフスカ
撮影:アダム・シコラ
音楽:ミハウ・ロレンツ
録音:フレドリック・ド・ラヴィニャン、フィリップ・ローリアック、ジェラール・ルソー
美術:マレク・ザヴィェルハ
衣装:ヨアンナ・カチンスカ
編集:ツェザルィ・グジェシュク
エグゼクティブ・プロデューサー:エヴァ・ピャスコフスカ、フィリップ・レイ
製作進行:アン・マッタティア、アンジェイ・ステンポフスキ
出演:アルトゥル・ステランコ、キンガ・プレイス、イエジー・フェドロヴィチ、バルバラ・コウォジェイスカ

2008年/カラー/フランス、ポーランド/94分/35mm/ヴィスタ/DOLBY DIGITAL、DOLBY SR
配給:紀伊國屋書店、マーメイドフィルム
配給協力:(社)コミュニティシネマセンター
協力:コムストック・グループ

写真:© Alfama Films, Skopia Films

『アンナと過ごした4日間』
オフィシャルサイト
http://www.anna4.com/


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