OUTSIDE IN TOKYO
JOSE LUIS GUERIN INTERVIEW

ホセ・ルイス・ゲリン映画祭 ホセ・ルイス・ゲリン インタヴュー

3. 『ゲスト』の時は、撮りながら好きな音を全部メモして、もう一度音だけを録りに行った

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OIT:たとえば、撮っている時にあらかじめ補填する、補足するような音を録っておくのではなく、改めて録りに行く理由をもう少し聞かせてください。
JLG:私はわりと音の編集とか、音を載せるのにすごく時間がかかります。『影の列車』でも『工事中』でも、全ての映像の撮影が終わった後に、録音技士と残って、そこでもう一回録る、音を、街の音だけを録ります。ですから、他の映画では撮影が終わったばかりの時に、その音を録ることで逆にどこに沈黙を置くかとか、音を無くすこと、そしてまた繰り返し音を使うことで、どのように映画の映像を別のものに変えていくか、反映させるか、映像だけだったらここまでなんだけど、音を付けることによってどう変容させるかいうことをいつも考えています。なので、(たとえば)真空の音というのは非常に限定されるわけですね。カメラがあるし、映像を撮っているので、自由度というのが非常に狭まるわけですが、映像をオフにして音だけを録るということになると、自由に音が録れるわけです。ですから、なるべく色んな音を録って、それを構築していくことによって、映像にもっと深みが出るというか、映像を、さっき言ったみたいに、映画にしていく作業をいつもしているのです。不思議なことに、観客は音に関して全く意識がありません。たとえば、一つのドキュメンタリー映画を観ていると、これはやらせなのかどうかとか、そういうことには一生懸命観るんですけど、音に関しては意識的に聞いている人がほとんど観客の中にいないと思います。だから私は、音によって時空間が変えられると思っています。なので、映像だけでは同じように見えていても、音が変わることで時間、空間なりが変わる。映像が違っていても、バックに流れる音が同じであればそのまま繋がっている。そういう音によって時空間を演出しているのです。

OIT:感情も音でコントロール、というか、していますよね?
JLG:もちろんそうです。メタファーや雰囲気、温度、それにポーズというか、無音にすることとか。そういうことで本当に厚みが出ると思います。なので、私はこの『ゲスト』の時は、撮りながら、好きな音を全部メモしていました。その場で好きな音をメモしていったのです。撮っている時点から、もう一度あとで録音技士を連れて戻ってくることが分かっていたからです。ペルーの人たちの叫び声だったり、コロンビアの車の音だったり、香港の路面電車の音など、そういうものは非常に想像力を掻き立てる音ですから、それをもう一度必ず録りにくるだろうと思いました。

OIT:その考え方は(バルセロナの歴史地区“エル・バラル”の再開発現場を1年に亘って撮った)『工事中』でも同じですか?
JLG:そうですね。一つ違うところは、今回の『ゲスト』は自分一人でまず撮りましたが、『工事中』はチームで撮影しました。つまり、そこにはスタッフがいるので、録音技士に全部一緒に録ってもらいました。特に『工事中』の場合、あの地域は映像的にたくさん情報をくれるものがそれほど多くないので、ほとんどが音で(構成されていま)す。環境の音です。それが歌であったり、子供の声であったり、おばさんの叫び声であったり、その街の音があるからこそあの映画が成り立っていると思います。ブレッソンの有名な言葉に「目と耳どちらかを優先する」があります。そうしながら見ることが必要で、それが両方同じレベルだったら全ては無くなってしまう。瞬間、瞬間によってそれが同じレベルだと無いに等しくなってしまうのです。

OIT:映画自体の作り方にも興味があるのですが、『工事中』はどのように撮られたのですか?カメラは何台でしたか?
JLG:『工事中』のトークにはいらしてないのですね?チームは学生7人です。あの企画は元々ドキュメンタリー映画大学の企画として作り始めました。ですから、そういう風に大学から提案された時に、では学生たちが自分に与えてくれるものとは何かと考えました。技術はまだ全くの初心者なので、そういうことは期待出できないし、一体何を自分に与えてくれるのだろうと。そこで考えた時に、彼らが私に与えてくれるもの、それがとてつもなく価値のあるのは、時間でした。企画の段階で、『工事中』を撮るには3年くらいの年月が必要だと思いました。毎日そこに行って一緒に時を過ごすということが必要でした。学生たちはそれを出来るが、プロならとてつもないお金がかかってしまうために無理です。そしてまた学生たちも自分たちに何が必要かをよく分かっていました。一番重要なのは、とにかく映像の現場で働く人たちとの関係を作ることです。本当に長い期間の共生というか、共に暮らすことが必要です。そしてだいぶ経ってから、人が対話する場面に必要なのはフィックス・フレームだと思ったので、カメラを2台にしました。私はいつも、カメラは1台、視点は一つというのを信じています。でもこの場合、対話のところは切り返しも必要だったので、2台のカメラで撮らなければならなかったのです。だから私は、映画の美というものはドキュメンタリー的に自然な瞬間を捉えることだと思いますが、その根底には古典的な美しさというか、古典の構成が必要だと思います。本当に日常生活の小さな出来事というのは、それを際立たせるためにちゃんとしたフレーム構成がされていないと、見逃してしまうような小さなことで終わってしまいます。

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