OUTSIDE IN TOKYO
JOSE LUIS GUERIN INTERVIEW

ホセ・ルイス・ゲリン映画祭 ホセ・ルイス・ゲリン インタヴュー

4. 自分が撮った素材を観ていると、
 それはまさに観客として観ていた時の映画的な記憶と自分が対話していることが分かります

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OIT:自分にとって、起きたことを映すことと、作られた状態とのブレがふと立ち現れたのは、イントレが動くシーンでした。そこがきっかけだったのですか?
JLG:はい、いつもそうですが、その時は常に近所の人が窓から見ています。その視点を守ろうとしながら、フレーム自体はフィックスで撮りたいと思いました。それが自分の中で建築的なイメージだったためにそういう風に撮りました。それは父親が息子に階段の作り方を教えている、あの場面でも見られると思います。父親がとても厳しく、息子が1cmの失敗をする時があります。線を引く時に1mmの違いでも起きるのは鉛筆の芯を削っていないからだと言うところです。厳格な職人というのはとても的確です。ですからそんな父親の言葉を活かすには自分が手持ちで揺れながら撮っていたのでは活かすことが出来ません。職人のお父さんを際立たせるために、こちらも職人気質でしっかりしたフィックス・フレームで撮って、そこで構成を考えて撮らなければならないわけです。建築現場でドキュメンタリーを撮る際にとても素晴らしいのは、各階で同じことが繰り返されることです。ですから一階で撮った時にその後見て、分析して失敗したと思ったら、どこが失敗したのかを考えて、もう一回同じことを2階で撮ることができるのです(笑)。

OIT:最後に一つ聞かせて下さい。先ほどブレッソン的な音について話してくれましたが、ジョン・フォードの故郷であり、『静かなる男』のロケ地で『イニスフリー』という映画を撮られていますね。そこでの(映画的)参照も含めて、これからどのように進めていこうと考えているのでしょう。
JLG:私は誰の後にも着いて行きたくないので、映画人の真似というか、後を継いでいこうという気はありません。自分の目の前にある人生や生命を撮っていきたいと思います。でも自分が撮った素材を観ていると、それはまさに観客として観ていた時の映画的な記憶と自分が対話していることが分かります。ですから偶然ももちろんあります。『工事中』の撮影の時にちょうど小津監督のレトロスペクティブがあったので、毎日撮影が終わると全員で観に行っていました。ですから、その時におそらく幾つかの場面に関しては小津監督の構図に影響を受けているところがあります。小津監督の視点のとてもおもしろいところは、集団性というか、『お早よう』(59)の中の兄弟間の言い争いとか、対立があるということを分からせるために、そこに焦点を当てるのではなく、外から色々と来るもの、たとえば隣の人だったり、別の登場人物とか、そういう脇役が集まって来てそっちの方へ行きながら対立を表します。そういう構図(※)がとてもおもしろいと思いました。ですから、『工事中』はもちろんそこに色んな人たちがいるので、一つのエピソードについて、その中心ではなく、それによって、たとえば近所の人だったり、道端で寝ている人がどんな影響を被るかというところから撮っていったのです。

OIT:時間が限られている中、ありがとうございました。また別の機会に続きをお願いします(笑)。
JLG:(少しはにかむような笑顔を見せて言う)そうか、それは時間がなくて申し訳ない。

トレードマークのハンチングを被ったホセ・ルイス・ゲリンは、自分の作品のことを語るのを好まないにも関わらず、話し出すと、とても丁寧に、とても長く語ってくれる。そして取材の後、(先日訪れた)サンフランシスコで撮影した港湾労働者が仕事をもらう時の映像を見せると興味深そうに見てくれた。ドキュメンタリーを映画芸術と掛け合わせ、独自の映画世界を構築する彼は、ペドロ・コスタやジャ・ジャンクーのような同時代の“誠実”な映画作家たちと視線を共有する監督という印象を裏切らない、映像に真摯な好奇心を持つ人だった。


(※)小津監督の『お早よう』の構図について、テーブル上のグラスを使って説明するゲリン監督

左写真:
小津監督はエピソードの中心(指差している)を描くために

右写真:
(他のグラスを中心の周囲に並べて)その周囲の人々を描くことで中心を炙りだす

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