OUTSIDE IN TOKYO
Julian Schnabel INTERVIEW

1970年代終わりのニューヨークで、若き画商メアリー・ブーンに見出され、ジャン・ミッシェル・バスキア、デビッド・サーレ、フランチェスコ・クレメンテらと共に1980年代新表現主義の画家として、時代の寵児の如く遇されたジュリアン・シュナーベルは、1996年、共にその時代を過ごした盟友バスキアの彗星の如く現れ去っていた短い半生を、ウォホールが君臨した80年代ニューヨーク・アートシーンと共に、P.I.Lのエッジの効いた「パブリック・イメージ」の攻撃的なリズムにのせて描き、映画界で鮮烈なデビューを飾った。

以降、キューバの同性愛作家レイナルド・アレナスにハビエル・バルデムが成り切って演じた『夜になるまえに』(00)(ジョニー・デップ、ショーン・ペンら豪華キャストに紛れて、あのイエジー・スコリモフスキ御大も出演している!)、マチュー・アマルリックが全身の運動機能を失ってしまう伝説的な編集長ジャン=ドミニク・ボビーを演じ、共演したエマニュエル・サニエの自然な存在感が今なお印象に残る『潜水服は蝶の夢を見る』(07)、お互いに敬愛するアーチスト同士であるルー・リードの、30年振りとなるニューヨークでの「ベルリン」ライブ再演を、シュナーベルの娘が作ったというプライベート・フィルム的映像を背後に映し出し、フィクション的に再構築されたステージの模様を捉えた『ルー・リード/ベルリン』(07)といった作品をマイペースで発表し、もはや映画監督としての地位が確立された感がある。

そんなシュナーベル監督が投げかけてきた新作が、イスラエル生まれのパレスチナ人少女”ミラル”の半生を描いた、実話に基づいた原作小説の映画化『ミラル』だ。主人公のミラルを演じたフリーダ・ピントの顔を見れば、『スラムドッグ$ミリオネア』の女の子だ!とすぐに気付く人も多いかも知れない。毎回シュナーベル監督の恐るべき人脈の広さが発揮されるキャスティングには驚かされつつ、本作はその点では控え目というべきかもしれないが、ヴァネッサ・レッドグレーヴ、ウィレム・デフォーといった名優の顔を見ることが出来るのは嬉しいし、名作『シリアナ』(06)での王族役が印象に残っているアレクサンダー・シディグ、アモス・ギタイの作品やスピルバーグの『ミュンヘン』などで知られるイスラエルの名女優ヒアム・アッバスが、私財を投げ打って、紛争で親を失った子供たちのための学校「ダール・エッティフル(子供の家)」を創設する、本作の影の主人公ともいえる女性を演じている。

ニューヨーク在住のパレスチナ人ジャーナリスト、ルーラ・ジブリールの驚くべき実体験に基づいた同名小説を読んで深い感銘を受けたシュナーベルが、創作意欲を掻立てられて、本作の企画がスタートしたというところが実際のようだが、そもそも、シュナーベル自身がユダヤ系アメリカ人であることが、この企画にコミットメントする契機のひとつであったことは疑う余地もない。とりわけ、ユダヤ系人口の多いニューヨークにおいて、パレスチナ問題という複雑で刺激の強いテーマを、ユダヤ系アメリカ人の映画作家がパレスチナ人の少女の目線で映画化する、という事態がどれほど刺激の強いことなのか、日本で暮らす私たちには容易には想像しづらいかもしれない。

しかし、シュナーベル監督は、そんな私たち日本人にこそ、この映画を観てほしい、と強く願っていることが、本インタヴューの監督の言葉から伝わってくる。どちらの陣営にも汲みしていない者だからこそ、理想を求めて非暴力的に闘うものを応援することができるという、そこには小さいけれど希望の光があるのかもしれない。かつての毀誉褒貶の激しい風雲児ジュリアン・シュナーベルの作品としては、些か大人びた印象すら与えるかもしれないが、彼が向き合うテーマは、より普遍的、人間的な深みを帯びたものへと確実に深化している。世界は、今も昔も、災いに満ちている。メディアで報道される、目を覆うばかりの醜悪なニュースばかりが私たちの姿であると俯いてばかりでは何も変わらない。日本に住む私たちも、こんな時期だからこそ、上を向いて、外に目線も拡げていく必要があるのではないだろうか?そうすると、私たちが思う以上に、世界から必要とされている私たちの姿が見えてくる。

1. 愛と教育の力で、イデオロギーとかテロリズム、
 そして軍隊、戦争というものを克服していく事ができるのだと信じている

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OUTSIDE IN TOKYO(以降OIT):映画を拝見してとても感銘を受けました。イスラエル生まれのパレスチナ人、ミラルという主人公の女性は、孤児院で育ち、そこで教育の機会を得る。幸運にも、その後ジャーナリストとして成功するわけですが、そうした難しい環境でサバイバルした女性の半生を描き、観る者に希望を与えてくれる映画だったと思います。
ジュリアン・シュナーベル(以降JS):ありがとう。そうだと思います。

OIT:監督は、『バスキア』『夜になるまえに』『潜水服は蝶の夢を見る』『ルー・リード/ベルリン』と、四作ともアーティストであったり、小説家であったり、監督の周囲にいるようなクリエイティブな人たちを描いてきたと思うんですけれども。
JS:実際に本当に近くにいたのは、ミッシェル(バスキア)だけだでしたが、私の職業に近い方々ばかりだったので、私としては彼らの事をよく分っていたつもりです。

OIT:今回の主人公はちょっと違っていて、しかも女性であるということで、シュナーベル監督のフィルモグラフィから見ると新しいと感じたんですが。
JS:これまでそうした主人公たちを扱ってきたなかで、私はいつもその人達の中の“子供”の部分に着目していたのです。バスキアの中の“子供”、ジャン=ドミニクの中の“子供”、アレナスの場合でもそうなんですけれど、常にそこには彼らの中に存在する“子供”というテーマがあったわけです。今回若い女の子を主人公に据えて、しかも彼女の目からパレスチナ問題を見るという事が今回の大きな手段だったんです。

OIT:実質的な子供であったり、抽象的な意味での子供であったり、両方あると思うんですが、やはり監督の中に子供の部分というのが凄くあるという事でしょうか?
JS:その通りです。子供たちがどんな風にチャンスを掴んでいくか、あるいは抑圧されていってしまうかっていうところで、それをどういう風に伸ばしてあげることが出来るかというのが重要な問題なわけですね。本作のミラルという主人公は、そこでどっちに行くかという岐路に立たされていた、彼女はそれを自分では決める事が出来なかった、その状況はもちろん自分が決めたのではなくて、生まれた時からそういう境遇にあった。パレスチナの人達はそうした複数の対立、そういう環境を受け入れなければいけない状態にある。その中で若い人達がどういう風に渡っていくか、どういう風にサバイブしていくかというところが非常に大きな問題なわけですが、それを愛と教育の力で、イデオロギーとかテロリズム、そして軍隊、戦争というものを克服していく事ができるのだと信じているのです。

『ミラル』
原題:MIRAL

8月6日(土)より、ユーロスペースにてロードショー!全国順次公開

監督:ジュリアン・シュナーベル
プロデューサー:ジョン・キリク
原作脚本:ルーラ・ジブリール
撮影監督:エリック・ゴーティエ
編集:ジュリエット・ウェルフリング
プロダクションデザイナー:ヨエル・ハーツバーグ
出演:フリーダ・ピント、ヒアム・アッバス、アレクサンダー・シディグ、オマー・メトワリー、ヤスミン=アル・マスリー、ルバ・ビラール、ウィレム・デフォー、ヴァネッサ・レッドグレイヴ

2010年/フランス、イスラエル、イタリア、インド/112分/35mm/DLP/カラー/シネマスコープ/ドルビーSRD
配給:ユーロスペース+ブロードメディア・スタジオ

© PATHE - ER PRODUCTIONS - EAGLE PICTURES - INDIA TAKE ONE PRODUCTIONS with the participation of CANAL+ and CINECINEMA A Jon KILIK Production © photos - JoseHaro

『ミラル』
オフィシャルサイト
http://www.miral.jp/
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