OUTSIDE IN TOKYO
KUROSAWA KIYOSHI INTERVIEW

小森はるか『息の跡』インタヴュー

5. 手放せる、みたいなものが映画だなって思ったんです、作者との距離というか

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OIT:ここで少し、小森さんの過去のことを聞かせてください。小森さんは、映画はたくさんご覧になっている、所謂シネフィルみたいな方ですか?
小森はるか:ではないと思います、観てない訳じゃないですけど、友達に教えてもらって映画を観るようにはなりました。

OIT:お名刺を拝見すると、肩書きが、映画作家じゃなくて、映像作家なんですね。それはご自分なりの考えがありますか?
小森はるか:あると思います。まず私が通った学科は先端芸術表現科っていうところで、映像に限らず、踊る人もいるし絵を描く人もいるし、自分が伝えたいことに合わせてメディアを自由に選んでいいっていう学科なんです。映画の学科がある美大を受けようとは思っていました。それは映画を作りたいっていうよりは、物を作る時に自分は不器用だしセンスもないから、映画なら共同作業なので、わたしでも関わるのりしろがあるんじゃないかなという感じだったんです。舞台美術とか何でも良かったんですけど、何かの一員になって物作りが出来るなら居場所があるだろうくらいに思って映画にしたんです。

OIT:非常に謙虚な理由ですね。
小森はるか:他に思いつかなかったんだと思います。それでたまたま映像だったんですけど。先端芸術表現科に進学しましたが、そこは映画を教えてくれる学科じゃなかったんです。だけど、なぜわたしは映像で表現するのかってことを根本から考えなければならなかった。その後、映画美学校に通うんですけど、そこではじめてわたしが思っていた「映画」とは全く違う「映画」と呼ばれるものを知って、とても興味を持ちました。だけどその「映画」っていうものとも、大学で私が作ってた作品は違うような気がしました。私がやってるのは映画でもないんだなって思ったんですよね。

OIT:だから映画作家とは言いづらい?
小森はるか:言えないですね。

OIT:映像作家っていう方が、幅広くて、まだ自分らしい、映画と言われている枠がむしろちょっと限定され過ぎてるんじゃないか、原理的過ぎるんじゃないかという感覚ですか?
小森はるか:そんな気はします。

OIT:でも蓮實重彦さんには映画であると言われてしまった。
小森はるか:蓮實さんは言ってくれたけど、誰が見ても「映画」と呼べるものではないものをつくっている気がします。私自身も映画だと思ってないです。それがもしかしたら、あと100年とか経ったら、それが映画と普通に呼ばれてるのかもしれないけど。とにかく映像を使って何かをやってる人だっていうくらいでいいというか。

OIT:自分がその方がいい?
小森はるか:そうですね。

OIT:ただ、この作品は映画であるとしかいいようがありませんし、しかも、ヒットするんじゃないですか?と思ってるんですけど。
小森はるか:だったら嬉しいです(笑)。たしかに、これは映画だと思います。ただ、何が境い目なんだろうと考えるのですが、秦さんと編集をしてる時に、自分が手放せる、映画がちゃんと自立して歩いてく、ってところにまで持って行かないといけないと言われたんですよ。手放せる、みたいなものが映画だなって思ったんです、作者との距離というか。他の作品も、もちろん人に見せるし、手放してもいると思うんですけど、自分が作品の側にいて責任をとれるようにしておきたいし、自分たちの手で運んでいって展示をしています。だけど、映画ってそういうものじゃないんだなと思いました。誰のものでもなくなるっていう感じ。

OIT:ただ映画としか言いようがないものになるという。
小森はるか:というものなんだなと思いました。

OIT:それを今回体験されたと。
小森はるか:そうですね。私が何を言っても無駄というか、これはもうこれとしてあるっていうような。



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