OUTSIDE IN TOKYO
KOREEDA HIROKAZU INTERVIEW

是枝裕和『奇跡』インタヴュー

2. 伽羅ちゃんが素敵だな、橋爪さんみたいな大人になりたいなとか、
 色んな思いで観ると、ちょっといい分泌物が出る感じがします

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OIT:どこからどう変わる不安があると思いますか?
HK:これについて語る自分の言葉が震災寄りになっていくかどうか、ですね。今はちょっと、それは危険だなというか、映画にとってプラスにならないと思います。担ってしまうという点では、当然、何かしら担ってしまうのでしょうが、この時期に公開するということはーーしかも、こういう内容ですしーーやはり、震災前と震災後での見え方が全く違ったという方もかなり多いようです。しかも、そのほとんどが、今だからこそ観るべきというニュアンスに変わっているので。まあ、公開する側としては悪いことではないんですよね、きっと。でも作った人間からすると、(それは)やや危険なことです。それは意図していないことだから。意図してないことに、僕がいまとやかく言うのは、それを意図としてしまう作業になるのです。それはちょっと、今は避けたい気がします。言われる分には、「そうですか。そうかもしれませんね」と言えるけど、震災を経てこういうふうに意味が変わっていると言ってしまうのは、ちょっと映画がかわいそうかなと思います。

OIT:確かに、映画そのものより、そういう目でしか見られなくなりますからね。
HK:でも映画って結局そういうものだったりするじゃないですか。

OIT:『誰も知らない』の時もそうでしたか?
HK:うーん、そうかもしれないですね。かもしれないけれど、それ以上に、やはり時代に翻弄される感じはありましたね、きっと。それも仕方のないことだと思っています。

OIT:不思議な偶然があって、例えば、戦争について撮り、その後に戦争が起きてしまうとか、そういう繋がりとはまた違うベクトルで動いていますよね。
HK:そうですね。だって地震を描いている映画ではないですからね。でもたぶん、観た人の中で、あの地震によって失われたものと、それでも感じている子供への可能性みたいなことと、この映画の中での子供の行為とか感受性みたいなものがどこかでダブって見えてくるのは、観た人の言葉を聞いてみると、きっとあるんだろうなというのは思いますけどね。

OIT:それは、救われたい、癒されたいという気持ちですかね。
HK:可能性を信じたいとか。そうして観る人の希望に合わせてきっと映画も染まっていくのでしょう。

OIT:そうですね。やはりそこばかりになってしまうのは怖いですか。
HK:うーん、怖いというか、分からないんですね。きっと僕にはもうコントロールできないんだろうな、僕がどう言おうと変わらないんだろうなって。そこはまだ正直、予想がつかないんです。

OIT:正直言いますと、色々な状況があり、こうして現実が厳しい中で人に勧められる映画が意外と少ないというのもあるかもしれないです。
HK:そういう意味で、僕もこの映画は元気になる映画だと思っているので、少なくとも僕自身は、これが自分の映画の中では一番、また観たいな、観てちょっと元気になりたいなとか、伽羅ちゃんが素敵だな、橋爪さんみたいな大人になりたいなとか、色んな思いで観ると、ちょっといい分泌物が出る感じがしますからね。震災を抜きにしても。だからそういう意味で言うと、今観てほしい映画ですよねと言われれば、そうですね、と言わざるを得ないというか、それは全然嘘ではないんですけど、やはり自分からは言えません。


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