タハール・ラヒム演じるジャンが、パリ郊外の駅に到着した電車のホームから降りくると、そこにはもう、黒沢清的としか形容しようのない、都市と田舎、現在と過去の境目で再開発が進むロケーションがスクリーンを浸食している。インターフォンを押し、名を名乗り、錆び付いた門を開けて、築数百年かという屋敷の中に招き入れられたジャンを迎えるのは、大きな鏡、螺旋状の階段、自然と開く扉、、、堂々たる幽霊譚の始まりを告げるオープニングである。
しかし、『ダゲレオタイプの女』は単なる”幽霊譚”ではない。本インタヴューでも監督が語っているように、当初のアイディアは、イギリスでホラー映画を撮るというものだった。その”ホラー映画”とは、先日アンスティチュ・フランセで行われた監督とクリス・フジワラ氏との対談によれば、1960年前後にドラキュラやフランケンシュタインシリーズで人気を博したハマー・フィルムの”古典ホラー映画”を無意識の内に意識していたものだったという。しかし、その企画は時間の推移とともに二転三転し、映画の中核は、古い屋敷を舞台に、”古典的”な人物造形の父親が、娘を使って妖しげな創作行為に没頭する”現代”の幽霊譚へとハイブリッドな変転を遂げた。
それ故に『ダゲレオタイプの女』では、”古典ホラー映画”と”現代映画”、”恋愛映画”、幾つものジャンルが、ひとつの映画の中で鬩(せめ)ぎあっている。オリヴィエ・グルメ演じるステファンは、自分の基準を娘や他者に押し付ける傲慢な男、古典的な物語の系譜に属する専制的な人物であり、娘のマリー(コンスタンス・ルソー)は、そんな父親のことを「父は死者と生者を区別できない」人間であるとジャンに語っている。このマリーの台詞は、いみじくも、美しい老婦人の「死はまぼろしですよ」という台詞について本インタヴューで監督がふと漏らした「死は、意外と今存在している延長線上の何かなのではないか?」という言葉と符号する。そして、そんな監督の想念をフィクションの中に引き継いだかのように見えるステファンの末路がどのようなものになるかは、自らが現代的なフレンチホラーの金字塔(以上のもの)として挙げた(http://www.outsideintokyo.jp/j/news/fantastiquefrance_2016.html)ジョルジュ・フランジェ『顔のない眼』(60)において既に予見されていると言って良いだろう。
しかし、だからといって、専制的な父親に反抗した娘と、その恋人が、その影響下から抜け出し、映画が21世紀フェミニズム的な疾走を見せてくれるのかといえば、そんなことはない。銀板上の実物大のマリーと初対面を果たしたジャンが、電車で自宅アパートメントへ帰る、その間に流れるグレゴワール・エッツェルの余りにも美しく、甘美なスコアが”恋愛映画”を予兆させ、「自分の人生を手にしようと」一途に誠実な人生を歩むかに見えたジャンは、あろうことか、マチュー・アマルリック演じるヴァンサンの”メフィストフェレス的”登場を切っ掛けに、”欲”に駆られて人生を狂わしていき、現実的な希望は一瞬の内に潰えてしまうからだ。しかし、その現実における希望が潰えた時点から、映画はまさに、幻想の希望の次元を滑らかにスクリーンに立ち現し、現実と虚構の淡いを疾走しはじめる。しかも、”幽霊譚”であるはずのこの映画には、明らかに21世紀の現代的な人間像、”途方に暮れる人間”の姿が生々しく刻印されているのだ。全く以て、大胆な嘘の描写をキービジュアルとして押し出して来る、この全き虚構の産物が、これほどの現実感と生々しさを伴って迫って来るのはなぜなのか?黒沢清監督が、その映画ならではのマジックの一端を明かしてくれたインタヴューをここに掲載する。
1. イギリスで何かホラー映画を撮らないか、という誘いが発端だった |
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Q:今回の作品『ダゲレオタイプの女』は、黒沢清監督初の海外進出作品ということですが、順番としては、『岸辺の旅』(15)、本作、『クリーピー 偽りの隣人』(16)という順で撮影されています。作品を拝見して、浅野忠信さんが彼岸から現れる『岸辺の旅』と、妻が幽霊として現れる『ダゲレオタイプの女』は、同じ幽霊譚として対になっているような作品なのかなと思ったのですが、そんなことはないですか? 黒沢清:これはさまざまな偶然でそういうことになったのです。不思議な巡り合わせだなあと思います。もともとこの物語を考えたのは、もう随分前のことで、17、8年前、2000年前後のことでした。その時は、ジャパニーズ・ホラーというものがすごく流行っていたということがありまして、イギリス人のプロデューサーから、イギリスで何かホラー映画を撮らないか、ということで急遽オリジナルのストーリーを考えたものが、この作品の元になっています。これはもうバリバリのホラーでしてね、ですが、こちらは企画が流れてしまって、それから年月が経って、フランスでこれを作るという話になってから、もうちょっとホラーテイストではやりたくないなあ、という気分になり、もう少しラブストーリーのような方向にどんどん書き変えていったんです。その書き変えている最中に『岸辺の旅』の話が来たんです。
Q:なるほど。
黒沢清:というわけで、全然ホラーテイストではない幽霊の話を『岸辺の旅』でやっちゃったんですよね(笑)。『岸辺の旅』が終わって、本格的にこれに取りかかって、最終的な脚本が決定して、『ダゲレオタイプの女』が始まるのですが、また結構ホラーの方に寄せていったというね(笑)、もう二転三転して。そうした流れの中で『岸辺の旅』があったものですからね、自分の中でもそれとのバランスをどう取ったら良いものか、ちょっと困るところはありましたね。とはいえ、幽霊は幽霊ですけれども、だいぶ違ったものですから、まあ、そんなに『岸辺の旅』との共通点や相違点をあれこれ言われることもなかろうとは思ってますが。
Q:今回は、あの屋敷をロケハンで見つけて撮影されたと伺っていますが、そこには温室と、撮影をする作業所もあることになっていますけれども、それらは実際に全てそこにあったわけではないですよね?
黒沢清:ええ、実はその3カ所は全然別のところにあるんです。(屋敷の)階段のある室内が1カ所、それと温室のある屋外は全然別の場所なんです。それで作業をしている室内、あれもまた全然別にあるんです。すべて、パリから車で一時間位掛けて行ったところにあるので、似た条件のところではあるのですが、実は3カ所使っていますね。
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『ダゲレオタイプの女』 英題:THE WOMAN IN THE SILVER PLATE 10月15日(土)より、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテほか全国ロードショー 監督・脚本:黒沢清 プロデューサー:吉武美知子、ジェローム・ドプフェール 共同製作:ジャン=イヴ・ルーバン、定井勇二、オリヴィエ・ペール、レミ・ビュラ フランス語翻案:カトリーヌ・パイエ、エレオノール・マムーディアン 脚本コンサルタント:黒沢弘美 音楽:グレゴワール・エッツェル 撮影:アレクシ・カヴィルシーヌ 録音技師:エルワン・ケルザネ 助監督:アマンディーヌ・エスコフィエ スクリプター:ジュルゲンソン・美津子 プロダクション・マネージャー:エリーズ・ヴォアテ 制作主任:シルヴィ・ドゥメジエール 美術監督:パスカル・コンシニー、セバスティアン・ダノス 衣裳デザイナー:エリザベート・メユ メイク:マニュエラ・タコ ヘアスタイリスト:オウロール・レーヌ、ミルー・サネール 照明担当:ルノー・ガルニエ 特機チーフ:ジェレミー・ストーン メイキング:熊切和嘉 編集:ヴェロニク・ランジュ 効果音:ジュリー・ブレンタ サウンド・デザイナー:エマニュエル・ドゥ・ボワシュー 演奏:ロンドン室内楽オーケストラ 録音スタジオ:アビーロード・スタジオ 出演:タハール・ラヒム、コンスタンス・ルソー、オリヴィエ・グルメ、マチュー・アマルリック、マリック・ジディ、ヴァレリ・シビラ、ジャック・コラール © FILM-IN-EVOLUTION – LES PRODUCTIONS BALTHAZAR – FRAKAS PRODUCTIONS – LFDLPA Japan Film Partners – ARTE France Cinéma – 2016 2016年/フランス、ベルギー、日本/131分 配給:ビターズ・エンド 『ダゲレオタイプの女』 オフィシャルサイト http://www.bitters.co.jp/dagereo/ |
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