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TETSUYA MARIKO INTERVIEW

真利子哲也『イエローキッド』インタヴュー

3. 沢山の映画を知って、意識的にそこに挑戦して、それよりももっと良いものを作っていきたい

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ビルの屋上からお金をばらまくシーン、横浜らしい夜景で観覧車が見えていますけれども。
時間との兼ね合いで極力大学の近くで撮影をしたのですが、何とかアメコミ風にしたくて。アメコミって、夜の高層ビルの屋上に立つようなイメージがあるじゃないですか。

ニューヨークとかのイメージですね。そこで、マンガではなく、アメコミにしたという時に、黒沢さんとの対談で、真利子さんが、ちょっと物語を大きくしたかったという事を仰っていて、その“大きく”という感覚は、日本のマンガとアメリカのコミック、すなわち“日本”ではなく“アメリカ”、あるいは、“グローバル”と言った時の“大きさ”に関連しているのでしょうか?
そうした事も含めつつ、アクションとかヒーローもの、スパイダーマンとか、バットマンとか。そういうのは、自主映画ではなかなか手を出せない話なんですけど、派手な物語も突き詰めれば主人公の葛藤という典型的なことが浮かび上がるのでそれを手がかりに“大きく”行きたかったという感じです。

今回特に意識をした映画はありますか?
すごく邪魔だったのが『コミック・ストリップ・ヒーロー』という映画がありまして、アラン・ジュシュアという人の1960年代のフランス映画なのですが、今回の、コミックと現実がカットバックするスタイルの脚本を書き終えた時点で、この映画にぶち当たりまして。この映画が正にアメコミと実写のカットバックで構成されている映画なんです。これを知ってからは、1週間位脚本が書けなくなりました。今書いたものが、もう映画として作られている。そこでこの映画を凄く意識して、とにかくこの映画から離れようと。で、オタク的要素の強い『コミック・ストリップ・ヒーロー』に対抗して、英雄願望の強いボクシングの要素を入れようと。そうしてこの映画から離れようとしてやっている間に、これより良い映画を作れば良いのだから意識せずにやろうという感じになり、次第にこちらの映画の世界が自ら立ち上がってきました。しかし、そもそも今の時代に、全くオリジナルな映画など出来るのだろうかという思いはあります。映画に登場する漫画家の服部が100年前のイエローキッドを堂々と下敷きにして漫画を描いているのも、こうした考えに因るところにあります。

そうですね。情報が発達しているから、調べれば大概の事はわかってしまうし。
ただ、じゃあ、色々なものを見てしまうとマイナスになるのかと言うと、そうではなくて、色々な映画を知っておいて、意識的にそこに挑戦して、それよりももっと良いものを作るということだと思います。

真利子監督の場合は、そういう所が皮相的、厭世的ではなくて良いですね。タランティーノとかも沢山見ることで有名な人ですが。因みに、今、丁度新作が公開されていますけれども。
あ、僕、それまだ見れてないんです。みんなから面白いぞって言われるんですが、時間がなくて、、、

あー、それは残念ですね。素晴らしいですよ〜(笑)。じゃあ、映画は、沢山ご覧になるわけですね? たまにあまり見ないという方がいらっしゃいますが。
はい、見てるほうだと思います。ただ、本当に一番よく見ていた高校生くらいの時は、将来映画をやるなんて思ってもないわけですが、ビデオ屋さんで探している時間がもったいなくて、知識もなかったりするので、もう並んでいるのを端から順に借りて見ました(笑)。そうすると、タイトルも監督名も覚えてないんですね。その後、色々な本とか雑誌とかで知識が入ってきて系統立てて見ようと思って観ると、もう見たことあるな、みたいな事が結構ありました。

じゃあ、映画館でも見るし、DVDやビデオでも見るという感じですか?
この前、ピンク映画の女池充(めいけ みつる)監督と話したんですけど、映画館とビデオ・DVDで、どっちを多く見てますか?って聞いたら、彼は映画館だって言ってました。僕と同じくらいの世代ですと、大概、ビデオ・DVDの方が多いと思うんです。僕も、たぶん、ビデオ・DVDの方が多いと思いますね。映画を普段見ない方は尚更、興味がない限りなかなか映画館に来てくれませんよね。僕の親なんかでも、この映画ですら映画館で見てくれない(笑)。

でも公開されれば見に来てくれますよね?
いや、DVDで見たからとか言って、来てくれないんですよ。僕が、全然違うんだからって言っても、わかんないみたいで。悲しいことかもしれないんですが、そう考えると映画ってほとんどの人にとってはビデオ・DVDなのかもしれないので、そこは否定しちゃいけない事実だなという問題意識はあります。

ところで、真利子監督の場合は、過去の作品や本作もそうですが、現実と非現実が混じり合うというストーリーテリングの作品が多いわけですが、例えば、ジョナス・メカスなどのプライベート・フィルムが社会性を持ってくるというような系譜をイメージしたのですが。
イメージ・フォーラムにいたので、ジョナス・メカスを含めて、実験映画をかなり見ている中で影響を受けたと思います。その頃、個人映画をだいぶ見ていて、自分の身の回りを撮りながら社会を反映させるというものが多かったので、初期は自分でもそうした作品を作っていました。

先日の黒沢さんとの対談で、オバマ大統領が来日した時の話を例に、例えば、世の中的には、オバマ大統領が来日している、それと同時に人々のプライベートの生活があって、その両方を描くというような映画を次に作りたい、というような事を仰っていましたが。
“記憶”や“意識”に関する映画を撮りたいと思っています。オバマのこともそうなんですが、自分とは全然関係なく見える社会上の出来事も、実は何かしらの関連があるかもしれないという話です。個人レベルで言うと、一緒に住んでいる人がいて、その片方がどこかに旅行に行っている時に、その残った方の人は、そこに居ない人のことを何らかの感覚で感じている、記憶と関係するのかもしれないのですが。居ないものも居るような意識になって、結構日常でもありながら、もっと大きく考えると日本に居ながら世界、地球全部で何らかの事件とも関係しているのではないか?っていう極端に言えばそれくらいの“意識”です。それは、演出的にも、こういうフレームを作っていますという時に、ワンカットの中でここに写っていない人間とか出来事というのが、このフレームの中を演出していたりするじゃないですか、そういった映画を撮りたいなというのがあります。奥行きで見せると言うか。写ってないものを見ている人に意識させて、写っているものにも違った意味が施される、それって凄く深いし、ぞくぞくするアイディアだと思うんです。

最後に、『イエローキッド』をひとことで言うとどういう映画でしょうか?
映画全体を見た時に、あ、こういう映画でしたね、というわかりやすい終わり方にはしたくなくて、その後に、何かを議論できるような映画になっていてほしい。そのためにはやはり、そこまでの物語をずうっと理解してもらう必要があるので、物語がちゃんと伝わるという事は意識して作っています。

本作は素晴らしい作品でしたが、今後も、更に遠くへと挑戦して行こうという姿勢が伺えて大変楽しみです。
これからも更にがんばります!

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