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Press conference

マーティン・スコセッシ『沈黙 –サイレンス–』来日記者会見全文掲載


採録・テキスト・写真:上原輝樹
2017年1月16日 リッツ・カールトンにて
2017.1.20 update

小説「沈黙」において、遠藤周作は2つの”沈黙”について描いている。ひとつは、人間の問い掛けに対する”神の沈黙”だ。この”神の沈黙”についてマーティン・スコセッシは、ハリウッド大作映画的なスペクタクルを排し、溝口健二の古典映画へのオマージュを捧げながら、日本という風土と信仰を巡る音と声による対話を通じて、人間の精神世界の深みへと至る映画的な洞察を行っている。

もうひとつの”沈黙”については、遠藤周作による「「沈黙」についての取材報告(田中千禾夫)」とも言うべき「切支丹の里」から一節を引用する。

「切支丹学者たちはこの時代の事実考証や文化史的な意味については多くの努力を払ってはいるが、私がこの時代から何よりも知りたい「日本人と基督教」「基督教は本当に日本の風土に根をおろしたか」「強者と弱者」といった問題は全くといっていいほど語られていないのであった。 ~略~ 弱者たちは政治家からも歴史家からも黙殺された。沈黙の灰のなかに埋められた。 ~略~ 彼等がそれまで自分の理想としていたものを、この世でもっとも善く、美しいと思っていたものを裏切った時、泪を流さなかったとどうしていえよう。 ~略~ 彼等が転んだあとも、ひたすら歪んだ指をあわせ、言葉にならぬ祈りを唱えたとすれば、私の頬にも泪が流れるのである。 ~略~ 彼等をふたたびその灰のなかから生きかえらせ、歩かせ、その声をきくこと、それは文学者だけができることであり、文学とはまた、そういうものだと言う気がしたのである。」

つまり、遠藤周作が描いたもうひとつの”沈黙”とは、”歴史の沈黙”である。遠藤は、”歴史の沈黙”に抗って、”転んだ”キリシタンたち、数多くの弱者たちについての忘れ去られた、”挫かれた生”の物語を投影する人物のひとりとして”キチジロー”を造形した。そして、遠藤周作は、もしその時代に自分が生きていたらと、想像する、自分はきっと”弱者”であっただろうと。

ここに掲載する記者会見に先んじて2016年10月19日に行われた記者会見で、スコセッシは、こんな言葉を残している。 「信じるということは、おのずと享受できるものではないと思っています。自らが欲して勝ち取らなければならないものです。日々考えたり、書いたり、映画を作ったりして人間とはなんなのか、人間とは良いものなのか、悪しき存在なのか」 そして、「キチジローは我々を代表しているキャラクターだ」と付け加える。もちろん、”我々”のなかには、スコセッシ監督自身も含まれているはずだ。

わざわざ思い返すまでもなく、スコセッシが描いてきた人物は、新約聖書で言う処の”卑しきもの”たちが多かった。『ミーン・ストリート』(73)、『タクシー・ドライバー』(76)、『レイジング・ブル』(80)、『グッドフェローズ』(90)、『カジノ』(95)、『ギャング・オブ・ニューヨーク』(02)といった彼の代表作で描かれてきた主人公の多くが社会のはみ出しものたちだ。そして、こうしたスコセッシ作品のバックボーンには、キリスト教的価値観に負った”聖と俗”の思想が色濃く漂っていたことも、彼の映画を見てきたものにとっは自明のことだ。しかし、『沈黙 -サイレンス-』ほど、原作小説のみならず、原作者の思想とも共鳴し、作り手の魂の軌跡が曝け出されているにも関わらず、映画作家の痕跡がない、無私な映画も珍しい。ここに、過去の代表作との見事な円環を成す集大成を創り上げ、物質主義的社会における精神的思潮の重要性を問う、マーティン・スコセッシ監督の偉業がひとりでも多くの観客の目に触れることを願って、記者会見の全文を掲載する。

1. 一つの壮大な学びの旅、試行錯誤の旅だった

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マーティン・スコセッシ:『沈黙 –サイレンス–』を、積年の想いでやっと完成させることが出来ました。日本の皆さんにこの作品を受け入れてもらうことが出来て、今回、こうして何とか東京にやって来ることが出来ました。本当に夢がかなったという思いです。本当にありがとう。
司会:ありがとうございます。前回10月の来日時はスペシャルな映像を観させて頂いて、私も期待に胸を膨らませ、そして後日、ついに完成した作品を観させて頂きました。本当に壮大なスケールで、監督の想いがたくさんつまっているというのをひしひしと感じて感動に震えました。改めまして、日本のキャストを使ったこの映画が日本での公開も迎える今、どんなことを日本の方達に伝えたいと思っていらっしゃるか、お話し頂ければと思います。
マーティン・スコセッシ:『沈黙 –サイレンス–』は長年をかけて漸く完成に漕ぎ着けた作品なわけですが、原作を読んだのは、実は日本に滞在している時のことでした、その時に映画化したいと思ったのです。しかし、どう作るべきなのか、どうこの原作を解釈するべきなのか、なかなか自分の答えが見つからずにいたのです。自分の当時の宗教観であるとか、自分の中にあった疑念であったり、日本文化に対する理解がまだそこまでなかったということもあったと思います。それは、この作品と付き合っていく一つの壮大な学びの旅、試行錯誤の旅だったのでしょう、人生を生きていく中でも様々なことを学んでいきました。25年以上も経つわけですからね、年を重ねていくことでも色々と学んでいきました。そして、作品は完成したのですが、これで終りとは思っていません。この映画は、今も自分の心の中に掲げていて、この映画と共に生き、そして死んでいくという感覚を持っています。
司会:ありがとうございました。ではこれから記者の方からの質疑応答に移ります。

『沈黙 –サイレンス–』
英題:SILENCE

1月21日(土)より全国ロードショー

監督・製作・脚本:マーティン・スコセッシ
製作:エマ・ティリンジャー・コスコフ、ランドール・エメット、バーバラ・デ・フィーナ、ガストン・パヴロヴィッチ、アーウィン・ウィンクラー、ヴィットリオ・チェッキ・ゴーリ
製作総指揮:デイル・A・ブラウン、マシュー・J・マレク、マニュ・ガルギ 、ケン・カオ、ダン・カオ、ニールス・ジュール、チャド・A・ヴェルディ、ジャンニ・ヌナリ、レン・ブラヴァトニック、アヴィヴ・ギラディ、ローレンス・ベンダー、スチュアート・フォード
原作:遠藤周作
脚本:ジェイ・コックス
撮影:ロドリゴ・プリエト
プロダクションデザイン:ダンテ・フェレッティ
衣装デザイン:ダンテ・フェレッティ
編集:セルマ・スクーンメイカー
キャスティング:エレン・ルイス
音楽:キム・アレン・クルーゲ、キャスリン・クルーゲ
音楽監修:ランドール・ポスター、ジョン・シェーファー
エグゼクティブ音楽プロデューサー:ロビー・ロバートソン
出演:アンドリュー・ガーフィールド、アダム・ドライヴァー、浅野忠信、キアラン・ハインズ、窪塚洋介、笈田ヨシ、塚本晋也、イッセー尾形、小松菜奈、加瀬亮、リーアム・ニーソン

©2016 FM Films, LLC. All Rights Reserved.

2017年/アメリカ/162分/カラー
配給:KADOKAWA

『沈黙 –サイレンス–』
オフィシャルサイト
http://chinmoku.jp


https://uk.movies.yahoo.com/
pope-francis-welcomes-martin-scorsese-to-the-vatican-173200314.html


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