OUTSIDE IN TOKYO
Mehrdad Oskouei Interview

メヘルダード・オスコウイ『少女は夜明けに夢をみる』インタヴュー

3. 小津、キアロスタミ、ブレッソン、人物を見せる代わりに音でそれをイメージする、
 それが私が彼らから学んだことです

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メヘルダード・オスコウイ:私は、小津監督とキアロスタミ監督とブレッソン監督は自分のメンターだと思っていて、多くのことを学びました。彼らは、やはり何を撮りたくないのかということを最終的には考えていて、その代わりに音でそれを表現する、ということをしています。人物を見せる代わりに音でそれをイメージする、それが私が彼らから学んだことです。実際のところ、自分が映画を作る時、リサーチの第一ステップから、編集が終わって字幕を入れるまで、一本の映画しか見えていません、要するにそうした過程の全てが私にとってはリサーチなのです。

私は17歳の時に、初めて8mmを使って映像を撮りました。生まれはカスピ海沿いのイランシュという所で、私にとって”海”は凄く重要な存在です。17歳の時に8mmカメラを手にして撮った映像は、海辺で漁師をしているお父さんとお母さんと子供の話でした。短編映画でしたが、父が15歳の時に倒産してしまい、お金がなかったので、持っていた本をすべて売ってお金にして、その映画を撮りました。今や、そのフィルムはどこかにいって無くなってしまったのですが、それが一作目の作品でした。その後、また海を題材にした映画『母の家は入り江(My Mother’s Home Lagoon)』(2000)を撮って、その作品は山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映されました。67歳の女性コブラと病弱な母親が入り江の際の小さな家に住み、魚を捕って慎ましく生活をしているのですが、その前に、彼女たちは、男社会で商人や盗人たちと闘わなければならない、そんな女性たちの話です。

その後の作品『The Other Side of The Burka』(2004)は、日本でも今話題になっているホルムズ海峡の近くにある、イランのケシュム島に住んでる女性たちの話です。女性たちは”ブルカ”をしなければいけないという習慣があるのですが、その抑圧が嫌で自殺する人もいる、それについての話です。そして、『The Last Days of Winter』(2011)は、更正施設に収容されている少年たちの話で、施設からは海が見えないので、その少年たちを海辺のキャンプに連れて行く、そういう映画です。また『Maryam of Hengam』(2005)では、ゲシュム島の近くにある小さな島ヘンガン島は軍の訓練に使われることが多い土地なのですが、そこに一人の女性と目が殆ど見えない夫が住んでいる、軍はそこで訓練する時に、その二人に出て行くように言う、そして、爆弾を爆発させたり、色々な軍事訓練をやって、それが終わって静かになったら、彼らが戻ってくる、そういう話を描きました。

こうして私の映画を観てみると海を描いているのですが、一つ一つの映画の中の海はビジュアル的にそれぞれ異なっています。例えば『The Other Side of The Burka』の海は、女性たちが自殺するから海が荒い、一方、『母の家は入り江』の海は静かな海です。『The Last Days of Winter』の海辺に住んでいる子供たちの海は台風が来ているかのように、波が凄く高い海です。ヘンガン島の海はもの凄く静かです、つまり、私はそうしたコントラストを撮りたかったのです。軍事訓練で爆弾が爆発していても、この島の海は本当は静かだという画を撮りたかった。同じ海なのに、映画によって、自分のフィーリングによって違う見え方の海になる、荒れていたり静かだったりする。ですから、これらの映画ではどういう海を描けばいいのか、前もって考えた上で撮影しています。



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