OUTSIDE IN TOKYO
MICHALE BOGANIM INTERVIEW

ある村の幸せな春の午後。人々はプリピャチ川で過ごしていた。洗濯や川遊びで愛する者たちとの幸せを噛み締め、それがずっと続くように感じていた。その夜、突然状況が変わるまでは……。 1986年4月26日。現ウクライナのソビエト連邦のチェルノブイリ原子力発電所で爆発事故があり、風に乗って刻々と拡散され、「理想のエネルギー」と謳われた原子力がヨーロッパ中、いや世界の脅威となった瞬間だった。それからほぼ25年を経た2011年、ようやく、初めてのフィクション映画と言っていい、チェルノブイリの原発事故を扱った『故郷よ』が撮影された。そして地震と津波という状況は違えど僕らは再び取り返しのつかない事故を目の当たりにする。2011年3月11日、福島第一原子力発電所事故からほぼ2年が経とうとしているが、僕らの脳裏には、震災・事故を直接目の当たりにしていなくとも、あの惨事の様子が脳裏に焼き付いている。

だが放射能の流出をコンクリートで堰き止めた「石棺」と呼ばれるチェルノブイリだけでなく、近隣の土地は未だ放射能に汚染され、人が安全に暮らすにはほど遠い環境だ。突然の強制退去で着の身着のまま、生まれ育ったプリピャチから引き離された住人は流浪の民のように、心はそこに置き去りにしたままよそで生活している。あの午後、森林警備隊の責任感の強い隊員、ニコライはいつものように出勤前の林道を走っていた。ふだんは見ない数の兵士や物々しい戦車など、戦時中のような違和感に不審を抱く。川で婚約者ピョートルとボート遊びに興じていたアーニャは、その日、幸せな結婚の日を迎え、家族を集めた宴に幸せを噛み締めていた。家族写真を撮り、2人は見つめ合って手を取り、音楽に体を揺らす。だが結婚したばかりの夫は突然消防隊員として呼び出され、慌てて出かけていく。レーニン像は不気味な黒い雨に濡れる。一人息子のヴァレリーと川で植樹をしていたアレクセイは突然の事態に戸惑いながらも仲間からの報せを受け、事の深刻さを一瞬にして悟る。だが彼は公務員としてその事実をみんなに知らせることができない。そんな彼は黒い雨が降り注ぐ中、必死に傘を集めて人に配り始める。戻らない夫を探して病院に駆けつけたアーニャも、結婚式半ばから彼と会うこともなく、彼が苦しみながら息を引き取ったことを知る。人々はバスに押し込まれ、町から退去させられる。チェルノブイリの近隣にあり、住民のほとんどが原発の仕事に従事する「幸せな未来の町プリピャチ」は以来、廃墟と化す。

その10年後、アーニャは冬のプリピャチへ入っていく。彼女は廃墟と化した街へ観光客を乗せるバスのガイドをしていた。結婚写真を撮った銅像の前を見上げる彼女。写真を撮る観光客たち。森林警備隊のニコライは守るべき森林を無くしながら、村に留まることを選んだ。空き家となった近所の家には行く宛のない難民たちが不法占拠を始めていた。追い出そうにも、武器を持ち、激しい戦争状態を避難してきた移民に太刀打ちできるはずもなく、静かな共存を余儀なくされていた。とは言え、隣人たちが戻ってくることもないだろう。大きくなったヴァレリーは避難先から母に黙ってプリピャチ観光に参加する。彼にはあの日以来行方不明となっている父アレクセイを探す目的があった。彼が足を踏み入れた故郷は廃墟と化し、声も音もこだまする。

各々が失った故郷に心を残し、落ち着く場所を見つけられずにいた。アーニャは諦めと寂しさを埋めるために、夫の親友を含めた複数の男とつきあうが、誰にも心を託すことができない。制限区域外のスラヴティチに母親と住みながら、ガイドの仕事をやめられない彼女。美しい彼女のカツラの下がどうなっているかは伺い知れない。

そんなチェルノブイリの影響を直接受けた近隣のプリピャチを実際に訪れ、そこで撮影しながら『故郷よ』を作ったミハル・ボガニムはパリ在住のイスラエル人だ。流浪の民と呼ばれる彼女の背景がこの廃墟と結びつけたのだろうか。フィクションとしては初めてと言ってもいいチェルノブイリの事故を題材にした映画を撮りあげた。その距離が功を奏したのか、感傷的になり過ぎない距離感とロシア映画を思わせる映像美とペースで、人気のない故郷に囚われたままの元住人たちの経験を2部にわたって描いている。事故の起きた日とその10年後。もちろん、漏れた放射能の問題は解決したわけではない。そこに人が安全に住める環境はないし、もしかしたら反永久的に訪れることはないだろう。福島を題材にした映画は早くも現れているが、ここまで距離を保った映画が登場するまでは、まだ時間がかかるのではないかと思わせる。そこで、ヨーロッパですでに映画を公開してきたボガニム監督にじっくり話を聞いてみた。その話はロシア映画の影響から哲学者のポール・ヴィリリオまで及ぶ興味深い時間となった。

1. 強制退去を余儀なくされ、
 故郷から遠く離れることが精神的にどれだけ傷つくものかを見せたかった

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OUTSIDE IN TOKYO(以降OIT):東京国際映画祭での上映は見逃してしまったのですが、この映画は、おもしろいと言っては語弊がありますが、ようやく見られてとても興味深いものでした。タイミング的にも、福島で起きた状況と重なってきました。それは他の国の観客とはまた違う見方だと思いますが。
ミハル・ボガニム(以降MB):そうよね。まず、チェルノブイリの原発事故はヨーロッパ中の人々に大きく影響を与えた大惨事でした。彼らは皆その時のことをとてもよく覚えていて、かなりトラウマを受けています。でも福島の事故から直接的な影響は受けていないと思います。もちろん、その様子を見守っていたと思いますが、直接の脅威に曝されたわけではありません。それでもこの映画はチェルノブイリがヨーロッパの人々にとって差し迫った恐怖であったこともあり、フランスでの公開時にかなりの反響がありました。誰もがその時のことを覚えていたのです。

OIT:放射能が拡散していくヨーロッパ地図の映像はいまも鮮明に覚えています。
MB:あの「雲」が欧州全域に拡散していく様子ですね。だからこそ日本人にとっても身に迫る体験であり、鮮明な記憶として残っているのではないかと思います。この映画を作る動機のひとつは、チェルノブイリのフィクション映画がこれまで作られていなかったからです。もちろんドキュメンタリーはありますが、私はどうしてもフィクションに拘りたかった。フィクションと言ってもチェルノブイリについてだけ語るのではなく、人々にとって、また登場人物たちにとっても強制退去を余儀なくされ、故郷から遠く離れることが精神的にどれだけ傷つくものかを見せたかったのです。それにフィクションの方がずっとセンセーショナルに見せられます。映画的な体験を通して、より大きな脅威として体感してもらうために。この映画を語る視点を見つけるのはかなりむずかしいし、観客もそこにいたかのようにあの惨事を体験してほしかったのです。まるで自分がチェルノブイリにいるかのように。映画の主人公たちもチェルノブイリで起きていたことを実際に見ていないのです。
それから時間についても語りたかった。あの大惨事がタイムレスだということ。そのために映画を2つのパートに分けました。人々が惨事の後も影響を受け続けることを見せるために。それが一時的なものでなく、長く長く続いていくことを。

『故郷よ』
英題:LA TERRE OUTRAGEE

2月9日(土)よりロードショー

監督・脚本:ミハル・ボガニム
共同脚本:アントワーヌ・ラコンブレ、アン・ウェイル
編集:アン・ウェイル、エルヴェ・ド・ルーズ、ティエリー・デロクル
撮影:ヨルゴス・アルヴァニティス、アントワーヌ・エベルレ
音楽:レシェック・モジジェル
録音:フランソワ・ウァレディッシュ
美術:ブリュノ・マルジェ
キャスティング:マリオ・トゥア
出演:オルガ・キュリレンコ、アンジェイ・ヒラ、イリヤ・イオシフォフ、セルゲイ・ストレルニコフ、ヴャチェスラフ・スランコ、ニコラ・ヴァンズィッキ、ニキータ・エムシャノフ、タチアナ・ラッスカゾファ

©2011 Les Films du Poissons

2011年/フランス・ウクライナ・ポーランド・ドイツ/108分/ドルビーSR/ヴィスタ
配給:彩プロ

『故郷よ』
オフィシャルサイト
http://www.kokyouyo.ayapro.
ne.jp/



第24回東京国際映画祭:
『失われた大地』上映時のレビュー
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