24歳の青年ダヴィッド(ヴァンサン・ラコスト)は、パリのアパルトマンの管理人をしながら、植栽のアルバイトを引き受け生計を立てている。英語教師をしているシングルマザーの姉サンドリーヌ(オフェリア・コルブ)と比べるといささか頼りなさげで、姉に頼まれた一人娘アマンダ(イゾール・ミュルトリエ)のお迎えにも、アパルトマンの部屋を貸すことになっているインド人観光客が遅れてきたというそれなりの理由があるとはいえ、大遅刻をして迎えに現れ、姉の顰蹙を買ってしまう。ふて腐れたダヴィッドがその場を去った後に描かれる、アマンダとサンドリーヌ母娘の「Elvis has left the building」という英語表現を巡るふたりのやり取りとダンスの場面が素晴らしい。
アパルトマンの管理人という仕事柄、年齢も若いのだし、こういうこともしばしば起きるに違いないと思わせるのが、ダヴィッドとレナ(ステイシー・マーティン)との出会いである。ピアノ教師をしながらミュージシャンとして活動しているボルドー出身のレナとダヴィッドの出会いは、レナがアマンダにピアノを教えるという豊かな副産物をも姉弟家族にもたらすことになる。ミカエル・アース監督は、この若い二人の祝福すべき出会いを、アパルトマンの窓から窓へペンをソックスに包んで投げてみたり、緑豊かな公園で二人が偶然鉢合わせ、レナが陸橋の彼方まで走ったところで、スマホ越しにデートの誘いを飛ばしてみたり、ダヴィッドの恋心が軽やかに空間を飛翔していく演出を施してみせ、ヌーヴェルヴァーグが描いてきた”裸のパリ”の日常描写に新しい一場面を描き加えている。
しかし、ある事件が起き、彼/彼女らの日常が一変する。公園で惨禍を目撃したダヴィッドは茫然自失の態で、アマンダと向き合うことになるだろう。昨日まで自らの生計を立てるのがやっとだった若者が、7歳の少女の世話を見なくてならないという窮地に追い込まれていくのだ。映画は、突如起きた惨劇によって失われた命の儚さ、それ以上に、残された者たちの身に降り掛かってくる困難の数々を日常生活の具体の中で繊細に描いていくことで、現実と地続きの映画的現実を紡ぎ上げていく。この作品を見たものにとっては改めて言うまでもないことだが、2015年11月に起きたパリ同時多発テロが、この映画に大きな影響を与えている。
映画という虚構の世界に生々しい現実が映り込むことは決して珍しいことではないとはいえ、ギヨーム・ブラックの『7月の物語』(2017)然り、ヌーヴェルヴァーグ直系の瑞々しい日常描写の虚構の中に突如として亀裂が生じるさまを目撃することはやはり新しい事態であると言わざるを得ない。そこに21世紀のリアリティが宿る。ダヴィッドは街中で感情を抑えきれず泣き出し、レナも体と心に傷を負っている。最も若々しく瑞々しい恋人たちが傷つき、フラジャイルな存在として描かれていく。それでも、パリの街は魅力を放ち続け、壮年の母親たちが支援の手を差し伸べ、7歳のアマンダが漲る生命力で傷ついた若者を勇気づけさえするだろう。現実と地続きであるだけに、この映画はより眩しい光、虚構の世界ならではの軽やかさを必要としたに違いない。ミカエル・アース監督は、重力から放たれた恋心と街を疾走する自転車、ウィンブルドンのテニスコートを飛び交うテニスボールといった、映画的運動が往来する不可視の軌道を軽やかに散りばめて、愛すべき音楽家と俳優たちとともに21世紀を生きるパリの肖像画を私たちに届けてくれた。
1. 映画を撮りたいと思って内容を考えたというよりは、 |
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OUTSIDE IN TOKYO(以降OIT):作品を拝見しまして、日常の描写がとても瑞々しい、まさに21世紀のヌーベルバーグという感じを受けました。しかし、そこには現代のリアリティが突然映り込んでくる。それで変わってしまった、その後の人々の生活をリアリズムで描いています。最初にこの作品が作られた経緯を簡単に教えていただければと思います。 ミカエル・アース:たくさんのことが重なって一本の映画になります。今回は自分が住んでいて、よく知っている場所パリ、今日のパリを映画に捉えたいと思いました。パリの美しさや脆さ、テロの後の傷ついたパリ、そうしたパリを見せたいと思った、そして、偶然父親の役を果たさなければならなくなる父性の話、その若者と小さな子が一緒になり、一つの悲劇を巡って一緒に支え合いながら生きていく姿を描きたいと思ったのです。さらには、私のこれまでの作品ではなかったことですけれども、感情表現に正面から取り組むという、ある意味メロドラマ的表現に初めて挑戦してみたいと思ったこと、そういうたくさんのことが重なって、一つの映画になりました。映画を撮りたいと思って内容を考えたというよりは、色々なことが重なって、私に映画を撮らせたという感じです。映画を撮る必要性を感じて、それぞれの素材が凝集されて映画を撮らなければいけない、撮らざるをえないというような状況で今回の映画を撮りました。 OIT:実際の経緯としては、脚本を書いている時にたまたまテロが起きてこの物語に反映されたということなのか、その辺を教えていただけますか?
ミカエル・アース:脚本はテロがあった後に書き始めたものです。もちろん、これはテロについての映画ではありませんけれども、テロがあった後のパリを描きたいという風に考えました。ですからもちろんテロの影響は受けています、それがパリの日常でもあるわけです。そうしたことを映画の中で証言したい、例えばメディアでテロについて語られていることや、政治家が話すようなこととは別に、映画の中でフィクションとして身内の不幸というプリズムを通して描きたいという風に考えたのです。
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『アマンダと僕』 原題:AMANDA 6月22日(土)より、シネスイッチ銀座、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国順次公開! 監督・脚本:ミカエル・アース 共同脚本:モード・アムリーヌ 撮影監督:セバスチャン・ブシュマン 音楽:アントン・サンコ 出演:ヴァンサン・ラコスト、イゾール・ミュルトリエ、ステイシー・マーティン、オフェリア・コルブ、マリアンヌ・バスレー、ジョナタン・コーエン、グレタ・スカッキ © 2018 NORD-OUEST FILMS – ARTE FRANCE CINÉMA 2018年/フランス/107分/ビスタ 配給:ビターズ・エンド 『アマンダと僕』 オフィシャルサイト http://www.bitters.co.jp/amanda/ |
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