『ラビット・ホール』は、今やハリウッドを代表する女優と言うべきニコール・キッドマンが、デヴィッド・リンゼイ=アベアーの同名戯曲に深い感銘を受け、自ら映画化に動き、プロデュースと主演を務めて創り上げた珠玉の一品である。
郊外の端正な住宅街に暮らすベッカ(ニコール・キッドマン)の日常は、8ヶ月前に愛する一人息子を事故で失って一変した。以来、そのあまりにも大きな空虚を埋めるかのように、ジムで汗を流し、庭の手入れに精を出し、子供部屋を改装し、息子の生きた痕跡を消していくことで、人生最大の喪失を乗り越えようとしている。一方、夫のハウイー(アーロン・エッカート)は、息子が写っている写真やビデオを観たり、子供部屋に残る息子が生きた痕跡に触れることで、その悲しみを癒そうとしている。夫婦に起きた最大の悲劇に対して、それぞれ異なったアプローチで日常をやり過ごすしかない、ふたりの間には次第に亀裂が生じていく。
どちらか一方の考え方がおかしいとか、起きてしまった事態に対するどちらかのアプローチが間違っているというわけではない。夫婦にある日突然訪れた悲劇が、善悪を超えて彼らの日常を押し潰してしまうのだ。そんな時、人は一体どのように振る舞うことができるのか。脚本を書き上げた同名戯曲の原作者であるデヴィッド・リンゼイ=アベアーと監督を任されたジョン・キャメロン・ミッチェルは、“ぎりぎりのユーモア”を彼らの日常に忍び込ませることで、この難局を見事に乗り切ってみせた。映画を観終わった後に、すぐにもう一度観たいと思わせる、非常に完成度の高い小品の誕生である。“小品”であることの佇まいが、本作に必須であるはずの“親密さ”を担保しており、その“小ささ”こそが素晴らしい。そして、その“小ささ”の背後には“大きな岩のような悲しみ”が隠れている。
そもそも、愛する6歳の子どもを失った夫婦の“喪の時間”を描いたともいえる戯曲に何故彼女はそこまで惹かれたのか、そして、その絶望を経験した親は一体どのように残された日常の時間を過ごすことができるのか、プロデューサーとして、そして、主演女優として、この難しいテーマに正面から挑んだ勇敢な映画人、ニコール・キッドマンのオフィシャル・インタヴューを掲載する。
(上原輝樹)
1. 自分をクリエイティブに向かわせる場所とは、自分が恐れを抱く場所でもあるのです |
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Q:あなたが映画をプロデュースしようと思うのはどのような理由からですか? ニコール:私はいつも、極限の題材を扱った映画に興味を抱いています。私が作る、ほとんどの映画のテーマは、さまざまな形で現れる愛です。だから私は人々が愛を渇望するとき、人々が愛を失うときに、その人々に興味を覚えるのです。子どもを失うということは、自分が行きつく中でもっとも恐ろしい場所です。そして、自分をクリエイティブに向かわせる場所とは、自分が恐れを抱く場所でもあるのです。 Q:映画化が決して容易ではないデヴィッド・リンゼイ=アベアーの舞台劇「Rabbit Hole」を映画化することを、どのように決断したのでしょうか?
ニコール:まず、この作品のテーマを信じていました。それに私は、作るのが難しい作品を支援するのが好きなのです。考えられないような重い悲劇にさらされながら、とても異なるリアクションをするこの夫婦に、本当に心を鷲づかみにされました。ベッカとハウイーの夫婦は、それぞれのやり方で悲しみに暮れながらも、一緒に生活している。それがとても面白いと感じましたし、私自身がベッカを演じてみたいと思いました。ブロードウェイの舞台では、シンシア・ニクソン(『セックス・アンド・ザ・シティ』のミランダ役が有名)が鮮やかにベッカに命を吹き込んでいましたが、そこで私は、このキャラクターを映画ファンに紹介することができればという考えに夢中になったのです。
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『ラビット・ホール』 原題:Rabbit Hole 11月5日より TOHOシネマズ シャンテ、ヒューマントラストシネマ渋谷にてロードショー 監督:ジョン・キャメロン・ミッチェル 脚本・同名戯曲原作者:デヴィッド・リンゼイ=アベアー プロデューサー:ニコール・キッドマン 出演:ニコール・キッドマン、アーロン・エッカート、ダイアン・ウィースト、サンドラ・オー 2010年/アメリカ/83分/カラー 配給:ロングライド © 2010 OP EVE 2,LLC.All rights 『ラビット・ホール』 オフィシャルサイト http://www.rabbit-hole.jp/ |
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