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OLIVIER ASSAYAS INTERVIEW

オリヴィエ・アサイヤス:『クリーン』『ノイズ』、そして、現在撮影中の新作について語る

3. マギーはミュージシャン、シンガーになりたがっていた

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今度は映画『クリーン』について聞きたいんだけど、もうずいぶん経ってますね。まだ覚えてますか?
もちろんだよ(笑)!

2004年の映画で、明らかに、それに以前にマギー・チャンとは仕事していましたね。それで、まずは振り返ってもらって、その映画がそもそもどう始まったのか教えてもらえるかな?
そうだね。映画は僕がマギーのために脚本を書いたことから始まった。彼女にインスパイアされた映画だったから。脚本を書く前から、基本的なストーリーとアイデアはもうしばらくの間、決まっていたんだ。でも実際にプロジェクトが動き始め、書きたいという気にさせたのは、やっぱり『イルマ・ヴェップ』を作った後に感じたフラストレーションが理由だね。1996年のことだったと思うけど、僕はマギーを香港映画のアイコンのように使っていた。彼女は映画スターであり、彼女自身をおかしなフランス系インディペンデント映画作りの枠に入れて、コメディへと転嫁させた。でも最終的に、僕も、彼女自身を演じることになった彼女も、あの映画ではあまり探求する余地がなかったと感じていた。一緒にもっと空間を探求できなかった。彼女の演技のより人間的な要素をね。そして『イルマ・ヴェップ』のマギーのキャラクターはーーーもちろん、それが撮れたことはうれしかったけど、彼女にできることという意味でかなり制限されている気がした。それは彼女の演技、感情、普遍的な感情の表現という意味でね。その感覚がずっと頭の隅に残っていたんだ。それをいつか、西洋映画の中のありがちな中国人ではない役柄をマギーのために書きたいと思った。アジア人だろうと、ヨーロッパ人だろうと、中東だろうとアフリカだろうと、彼女が女優として演じることのできる、普遍的な感情を表現できるキャラクターということだ。そしてマギー自身がいくつもの文化の間に立っているという複雑さや、最終的に現代性を使うことができると思った。彼女は中国人だ。そしてロンドン育ちの香港っ子だ。それにその後の時間をほとんどパリで過ごしている。僕らは、短い期間、いや短くもないか、結婚していたわけだから、僕ら2人の人生にとって重要な要素だ。彼女は日常の中で、3つの違う文化の中で、広東語、ブリティッシュ・イングリッシュ、フランス語の3つの違う言語を話す。そこに何か強くオリジナリティーのあるものがあると感じたんだ。それでその周りから映画を構築し始めた。そしてマギーはミュージシャン、シンガーになりたがっていたのに、それは実現していなかった。それでその願いを、映画に使えると思った。映画が結果的にどんなものになったにしろ、それは結局、再びマギーと一緒に映画を作りたいという欲求から始まったんだ。

そしてあなたが言ったように、人がかつて持っていた夢の中に自分を再発見する、この場合は音楽だけど、ということだよね。その要素はどう作っていったの?この映画に持ち込もうとした音楽のライフスタイルに関して。
いろんな意味で、僕が物語を構築し、形作っていった方法は、映画をあるバブルの中で始める感覚だった。それは麻薬のバブルでもある。ロックのライフスタイルのバブルでもある。そして最終的に、その2つを結びつけるステレオタイプのバブルだ。多くの場合、ミュージシャンたちはステレオタイプに引き寄せられてしまうものだ。多くのロック・バンドのライフスタイルは、自分たちがどのように生き、行動し、考え、動きというのを完全なステレオタイプに適応することで維持している。でも最終的に、それは現実から分離された、完全に守られた世界を生み出すだけだったりする。だから僕は、現実から完全に分離されたキャラクターから始め、それを彼女自身のカリカチュアにすることだった。彼女も周りからそう見られている。そしてそこから自分の本質へ徐々に回帰していき、現実に立ち返り、再び人間的になるという。最終的に彼女はそれを達成するだけでなく、音楽を通して、ある気付きへの道を見つけることにもなるが、それも完全に今までと違う道となる。クレイジーに生きればいいというようなおかしな抽象的な考えに基づいた音楽ではなく、真実味のある人間的領域を持ち、心から出てきたものだ。

そこにあなた自身のミュージシャンになりたいという憧れも入り込んでいる可能性は?
残念ながら、その才能がなかったから(笑)。僕には音楽の耳がない。映画で音楽をどう使うかという意味ではいい耳を持っていると言えるけど。それはすごく大事なことだ。でも楽器を弾けるとか、ピアノで正しいキーを叩けるかとかは僕にはできない。だから僕は無駄に自分がミュージシャンになりたいなどと希望を描いたり、理屈を並べたりすることがなくてラッキーだったかな。それでも音楽は大好きだし、僕の人生の重要な部分を占めているのは間違いない。僕はいつもミュージシャンとつきあってきた。自分が若い夢見る映画作家だった頃は、同世代の映画作家志望の者より、ミュージシャンと一緒につるむことが多かった。僕はずっと、ロック・ミュージックが現代世界の核心的な詩と真実の繋がりを持っていると感じてきた。そして僕の文章、映画はある意味、ロック・ミュージック、現代音楽、電子音楽の持つエネルギーにインスパイアされてきた。ある特定のシーンを撮影していて、ある特殊な感覚を捉えたい時、僕をインスパイアするのは、特別な音楽、特定の曲、特定のバンドを耳にしていた時の感情で、そのおかげでそのシーンに相応しいピッチを手に入れることができる。なので、僕にとって、音楽はインスピレーションのようなものだ。それはとても重要なインスピレーションに違いない。

映画では音楽業界や人の移動の仕方から浸透するグローバリズムの考えを扱っているよね。
うん、それには2つの要素がある。1つは、明らかにその空気を再現するむずかしさだ。映画ではいつも嘘っぽく感じるから、物語の背景としてインディ・ロック・シーンが入ると理解した瞬間から、僕は少し神経質になった。それを信憑性のあるものにするのはとても複雑になる気がしたから。それでリアルにするため、本物のミュージシャンをたくさん起用した。音楽を扱う特別なシーンでは全てそうした。彼らを実際テクニカル・アドバイザーとしても起用している。僕はトリッキーといる時、デヴィッド・ローバックといる時も、メトリックの連中と一緒にいる時も、常にこういう時はどうする、ああいう時はどうする、どう反応するってことを聞いてるんだ。ステージからバックステージの楽屋までどう移動する?どんなマイクを使ってるの?互いにどう言葉を交わしたり、ジャーナリストや仲間のミュージシャンとはどう話すの?僕にとって、それをできるだけ正確に把握するのは究めて重要なことだ。だからできるだけの参考が必要になる。もうひとつの要素は、もちろん音楽業界と僕の物語の国際的な広がりだろう。カルチャーがますますグローバル化していくのは現代化において最も興味深いし、魅力的な要因だと思う。現代のテーマで最もエキサイティングであり、究極的に、それを追求している映画作家はとても少ない。僕にとってそれは終わりのないテーマだ。その魅力という意味で。それをある意味、記録するのはおもしろいと思う。そうした道を旅して、我々の世界の新しい論理にインスパイアされる新しい物語を探求するのは本当に興味深いと思う。だから、もちろん、機会があれば必ず立ち返るテーマではあるね。それは現代世界の素地を成すものだから。

マギーは映画の中で歌ってもいるけど、彼女は音作りにも拘っているの?
最初から、脚本の段階から、僕はデヴィッド・ローバックに書いてほしいと思っていた。曲はデヴィッド・ローバックが書いている。彼はマジー・スターというバンドもやっていて、彼の音楽がずっと好きだった。彼の前のバンドも好きだったし、プロデューサーとしても、いろんなミュージシャンと仕事している。だからマギーの歌に彼がとても合う予感はあって、実際に会って依頼してみた。僕らは彼の住むサンフランシスコに会いにいった。彼に音楽を作曲するだけでなく、自分自身として映画に出てほしいと聞くと、彼はとても乗り気だった。彼はそのことを楽しんでくれたし、とても満足のいくコラボレーションとなった。彼の書いた曲にはとても満足だった。マギーがちゃんと歌えるよう、とても慎重に作業してくれた。しばらくは、一緒にアルバムを作るプロジェクトもあったようだけど、どういうわけか、それは実現しなかった。たぶん、最終的に、マギーは最後まで行くのが少し怖くなったんじゃないかな。彼女は歌いたがっていたし、映画を撮っている時はアルバムも作りたがっていた。コラボレーションというか、違うバンドとコラボレーションするアルバムを作るべきだと僕が勧めたこともある。そのことを彼女はとても気に入っていた。すごくハッピーそうだったけど、何らかの理由で、実現しなかった。プロジェクトを組み始めると、多くのバンドが本当に興味を持ってくれたんだけど。
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