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PEDRO COSTA INTERVIEW

ペドロ・コスタ:映画が震える瞬間

4. 映画が震え始める

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カメラの位置にはどんな選択があるのでしょう。
あまり直感的ではない。今は時間をかけている間に見えてくる。カメラ位置を見つけるのに長い時間がかかる。適した言葉を見つけるにも時間がかかるように。それは私の映画が人に頼っているからだ。空間の中の人間に。別に美しいフレームを作り上げるためではない。バランスを取るのは大事だ。美しければそれに越したことはない。でもそこに到達するのに長い時間がいる。あるシーン(『タラファル』は、歩道に2人の男がいるところから始まる。そこで私は少しずつ動いてみる。いい場所を見つけるのに1〜3週間かかる。5センチしか動かない時もある。そのまま成立する場合も。在るべき場所から少ししか離れていないことも。すぐそこでも前に見えていなかったことは多い。私自身が見るしかないんだ。一人が何かをやり、別の男が他のやり方で演技して、こうするだろうという中でも、ここからそこに辿り着くまで1ヶ月かかることもあるんだ。

客観的に見ると、最終的にどんな距離を求めているのだと思いますか?
なぜ私にそんな質問をするんだい(笑)?私はチャップリンじゃないんだ(深く溜め息をつく)。真実のためかな。とても難しい質問だ。他の人に聞いてみてよ。何かを見るのに、一番いい方法なんてこの世に存在しない。フレームを決めるために、唯一の場所、空間の中の唯一の地点なんてないはずだ。フレームの中に全ての力があると自分さえ感じていれば、うまく結びついていく。百万の1秒でも、その場所が分かるものなんだ。
それに、私が見つけようとしている場所は危うさが大事だ。私は固定されたポジションで撮ることが多いが、私がカメラを多く動かさないのは、資金があまりないという理由もある。わずかな動きでできてしまう場合もある。そうでなければ、できるだけシンプルにしたい。でもショットが固定され、全く動かない状況は、本当は存在しないと思う。でも小津安二郎の映画を考える時に意味がある。小津は私にとって“たくさん震える”人だ。スタッフが震えるだけでなく、俳優の笠智衆も少女たちも震える。彼らがぶるぶる震えると、映画全体が震え始める。あくまで私の好みだが、それは固定されず、常に動いている。そんな震える目線が出会う、本当に危うい場所がある。その危うさがフレームを決めるわけで、人間的でなければいけない。全ての偉大な映画作家や写真家や絵描きはそんな危うさに震えるべきだと思う。神経質で、しっかりしない程度に。逆にしっかりし過ぎると、それは良くない証拠なんだ。

あなたが尊敬するというストローブ=ユイレのドキュエンタリー(*1)もそんな震えを追求していますね?
ストローブ=ユイレの映画からは、彼らの生き方/仕事の仕方を感じとることができる。全てがそれを表現している。アイデアを失うことなく、彼らはもっと難しいことをやってのける。部屋も人もそうだが、彼らは何もない空間にも危うさを見つけられる。私にはそれができないこともある。彼らにはそんな部屋でも何かが見えている。それはとても難しい。『東京物語』で、最初に父親と母親が東京にいる娘に会いに行く。家があり、父親と母親の姿が見えて、空間の中の彼らの居場所が見え、映画の最後に、また同じ場所が見えるわけだが、そこには父親しかいない。母親はいないのに、母親の空間はある。空間の中に人の場所を捉えること。それが難しいんだ。人が残した何か、声のこだまを。そのショットの中の存在感が素晴らしい。だから映画は素晴らしい(笑)。それができる可能性があるから。

あなたの中でビデオとフィルムの違いは?
私はフィルムで作るようにビデオを使っている。そこに違いはないと思っている。だがビデオで海や山や自然を撮るのはバカげていると思う。解像度が低いから、いいものにはならない。葉っぱを撮っても35ミリの方がまだいい。写真もデジタルでなくフィルムがいい。今はまだそういう状況だ。でないと壁にぶつかってしまう。でも私にはいいツールで、私のやり方では大きな35ミリカメラと同じように撮る。同じアプローチ、同じアイデア、同じ姿勢。でもそれではお金がかかってしょうがないし、こっちのやり方は時間がかかる。私は時間がかかる方を選ぶ。特に彼ら(フォンタイーニャスの人々)とやるなら急がせてはいけない。彼らのような人たちと一緒に作業し、早く早くと急かすのはおかしい。彼らはあることをやるにしてもやり方を知らないから、自分で方法を見つけなければいけないんだ。

だが1年半かけて撮影するにはある程度の予算は必要ですよね?
確かに予算は必要だ。金は基本的に人に払うためだ。私たちはみんな同じ金額を受け取る。私も音響技師も友人もヴェントゥーラもみんな、毎月、工場で働くように。だから基本的にそれで金は消える。あとはテープ代。音響はデジタル録音だ。音響はテープさえない。カメラもHDやカードやメモリーで始めるから、基本的に予算は人が食べるためにある。それにポスト・プロダクションは基本的に金がかかるが、普段なら私が電話で解決する。こういうものを作ったから、これが見られるように手伝ってもらえないだろうかって。あちこちから少しずつね。そしてサウンド・ミックスもやる。それだけは今もすごく金がかかるね。

例えば『タラファル』の予算は?
たいしたことないよ。1万5千ユーロかな。とても小さな予算で、私たちだけの分だ。もちろんそこにポスト・プロダクションは入るけど。元々は3、4日で完成するはずのものだった。でも私が工夫をして、1ヶ月やることができた。今では(俳優の)彼らも慣れてきて、一人が鏡を持てば、もう一人がマイクを持つ。そして演技する彼らがフレームを出たら、マイクを持ったりしてる(笑)。

ますます次の映画が楽しみです。
神々と金がうまく助けてくれればそれも可能になる。金も少しは必要だからね。


*1
ダニエル・ユイレ/ジャン=マリー・ストローブ 映画作家の微笑みはどこに?(Daniele Huillet,Jean-Marie Straub Cineastes-Ou Git Votre Sourire Enfoui?)(2001)
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