OUTSIDE IN TOKYO
JEAN-PIERRE & LUC DARDENNE INTERVIEW

ロベール・ゲディギャン『キリマンジャロの雪』インタヴュー

3. 育った環境の影響で、12歳の頃にはデモに参加していた

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OIT:そこのコミュニケーションが断絶しているということですか?
RG:そこがやはり一つの大きな世代間の溝であると言えるし、あとやはり今問題なのは、少なくともヨーロッパの歴史の中で初めて子供たちの暮らしが親の世代より豊かにならないという状況が出てきています。どういう時代であっても、親よりも子供の暮らしの方がよいという、そういうサイクルの中で自分たちはきていると思うんです、今までは。こういうことはかつて無かったと思います。子供たちの暮らしの方が親よりも貧しいという状況は。

OIT:そうですね。先進国と言われているところはみんなそうですね。そこを敢えて乗り越えさせようとするあなたが映画で提示する答えは、どの時点で考えられたのでしょう。最初からそれを目指して脚本を練られたのですか?
RG:それは最初から思っていましたね。私は自分の近くにあるものに関心があるので。だから自分が今までアンガージュマンしてきた環境とか、自分が育ってきた環境とか、そういった環境がこの映画の中で描かれているのです。

OIT:監督の子供時代はどんな感じだったのですか?クリストフの弟たちのような子供の年代は。
RG:クリストフの弟たちは10歳、12歳くらいですが、その頃にはもうデモに出ていました。。

OIT:え、そうなんですか!?
RG:育った環境がものすごく革新的な環境だったのです。だから湾岸労働者がほとんどを締めるような地域で生まれ育ちましたから、周りは全部そういう人たちでコミュニストやアナキストのような、そういう環境だったのです。だから早い時期からそういうデモに参加して、闘いの中で育ったのです。

OIT:当時、問題提起されていることの自覚はあったのですか?
RG:もちろん。マルクスも読んでいました。だからもちろんどんなスローガンを掲げたデモかということもちゃんと認識していました。そして自分が大きくなったら革命家になりたいと思っていたので、そのための勉強もしていました。

OIT:最初のデモ体験は何歳で、どのようなものだったのですか?
RG:12歳です。68年5月の体験もあったし、その時代は4週間とか5週間とかずっとストライキをしていた時代でした。高校生でしたけど。

OIT:その瞬間の記憶というのを教えて頂けますか?どういう状況だったのしょう。
RG:すごく高揚していました。やっぱり自分達のアイデンティティみたいなものが明確に感じられた時代だったし、あと、それに対するプライドみたいなものもすごく感じていました。とにかく自分たちが今の体制に反対している、レジスタンスをしているのだという、そのような高揚感がとてもありましたね。今の若い世代とはやはり大きく違って、抑圧されているのだという意識がありました。そんな時代の流れの中、そのような潮流を全ての若者が目の当たりにしているわけだから、そこに参加する仲間たちの数たるや、ものすごい人数なわけです。だから連帯感とか友情とか、そして友愛とか、そういった感情が芽生えるのをとても感じられた時代でした。

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