OUTSIDE IN TOKYO
SONO SION INTERVIEW

園子温『希望の国』インタヴュー

5. 色々なところで発信すれば勇気が湧く、その勇気の一つになれればいいだけ

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OIT:めちゃくちゃシュールですね。
園子温:だから、僕はあそこが被災地です、こっからあっちのコンビニは被災地じゃないって。

OIT:あえてこう柵をひかなくてもっていうことですよね。
園子温:はっきりそこで分けたいなと思って。稲川淳二で怖がってるようなのは被災地とは言わんぞと(笑)。仙台の街中の商店街でよくミュージシャンがボランティアコンサートやってるけど、お前らそこは被災地じゃないから(笑)。だから、そういうのいっぱいありますね。やっぱり、放射能問題でも鈍感さっていうべき場所がいっぱいあって、20km圏内で柵が分かれてる、ばしっと分けられた向こう側の人はみんな避難した、こっちの人はいていいよ、って。そのぎりぎりの柵で、立ち入り禁止の所にゲーセンがあるんです。そのゲーセンでは女子高生がゴーストタウンにいるゾンビゲームのシューティングやってて、その窓の向こうはゴーストタウンなのわけで、ゴーストタウンが向こう側にあるのにゾンビのシューティングやってるお前らいかがなもんなのって思って、向こうの人みんないないんだよ、どんだけ鈍感なのか、何だろうこの風景と思って。こういう境界線、やっぱりこうなると被災地あっちだと思って、こんなとこでのんびりとゾンビゲームやるお前は被災してないって言えるなとか、色々あるんですよ。東京に行って自宅でガイガーつけるとやっぱり放射能あるし、なんだろう、何処から来るんだろうと思って音が強くなるとこ見たらクーラーの空調のフィルターで、それ洗ったらちょっと低くなった、だからここも被災地だって言い方もできる。僕の部屋も被災してるし、だから考え方は色々様々ありますけど、少なくとも逆に言えばコンビニと石巻ははっきり言う、僕は津波はないけど、原発に関して言えば僕は被災してると言っていいんじゃないかなと思うんですよね。だからみんなが福島県民になったつもりで、この問題に関してはちょっともう一回考えようっていうのは当初この映画を作る時のテーマだった、やっぱり自分の家でビーってガイガー鳴るのは最初はすごく衝撃でしたから。

OIT:分からないことだらけでした。
園子温:今だって整理されてるように見えてるだけで整理されてない、ただ静かになっただけで。みんなガセネタ掴まされて一回失敗したら、もう騙されないぞでただちょっと閉じてるだけだと思う、どんな情報に対しても。それが偽か真かは分からないから両方ともほっとこうって。また変なもの掴まされるくらいなら何も手に触らない、でもそれもあんまり良くないと思うんだよね。

OIT:そうですね、その辺も次入ってきそうな感じですね。でも結局、最後に出て行くわけじゃないですか、違う場所に、そこの先も被災地っていえるわけですよね。
園子温:放射能に関してはきりのない、限界のない、終わりのない被災だよ。

OIT:じゃあ、敢えてこういう作品を撮った上で、映画の意味ってなんですかね?
園子温:映画が出来ることで、やっぱりやれることはやっとこうっていうのが、自分のこの映画を作った気持ちですね。

OIT:自分に出来ること。
園子温:自分の出来るところで。たとえば、あの人がそういう風に言葉を発したか、そういう曲作ったか、とか色々あると、僕もちょっと揺れてたけど、やっぱり脱原発って思ってもいいんだって、みんな心一つ一つは弱いんで、そういう人達が一つずつ声を上げれば、だったら僕もそう思うっていう風になれると思うし、そういう色んなところで発信すれば勇気が湧くと思うんです。その勇気の一つになれればいいだけです。やっぱりみんな黙ってるとね、戦時中だって、戦争良くないよね、やっぱりね、とか言ってもさ、みんな思ってたらしいんですよね、風呂場で、銭湯とかでコソコソしゃべってたらしいね。でもやっぱり、あんまり声が少ないと声にならない、勇気持てないけど、やっぱり一人一人は何となく思ってたんだ、その何となくが声がでかくなれなかったのは戦時中だったと思うんだけど、やっぱり今回もそうだと思って、別に難しく考えなくていいと思うんですよね。

OIT:今、監督がこの『希望の国』のような感覚で肩を並べて他の映画として共有できるっていう、リアリティを持って見れるっていう映画は最近あったんですか?
園子温:日本でですか?

OIT:日本じゃなくてもいいです。
園子温:最近何があったかな、ちょっと思いつかないですけど。

OIT:割と映画は見る方ですか?
園子温:見るけど片っ端から忘れていっちゃうんです(笑)。でも『ロゼッタ』(ダルデンヌ兄弟/1999)とかはいいですよね、『ロゼッタ』っていうのはロゼッタ法っていうのを作っちゃったから。それすごくいい事だと思うんですよ、小さい子を働かしちゃいけないっていう法律を、あの『ロゼッタ』っていうののおかげで作られたと、過酷なことさせちゃいけないって。映画にも力があるっていう一つの一例を示したんで。やっぱり変えれるものは変えれるんですよ、変えれないと思ったら、変えれないけど、もしかしたらやれるかもしれないじゃないですか、そういうのがちょっとでもあればやってった方がいいと思うんです。映画で出来ることは少ないかもしれないけど、でもやっぱり一人一人がこう何かするだけで、違うものは違うんですよ、変わんなくはないです。

OIT:元々、映画の中での社会的意識っていうか、そういう題材っていうのは考えて作られてきた?
園子温:今までは考えてきてないです。これは『ヒミズ』以降の問題でしかなくて、それ以前はそういう、考えても何もコミットするべきものがなかった。『ロゼッタ』ってすごいな、法律を作っちゃったよっていう、ああいう映画作れたらいいなって思ったけど、それが一体何の映画なのかは分かんなかった、3月11日の前は。

OIT:分かりました、次も楽しみにしています、ありがとうございました。

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