OUTSIDE IN TOKYO
Stephen Nomura Schible INTERVIEW

スティーブン・ノムラ・シブル『Ryuichi Sakamoto: CODA』インタヴュー

3. 世の中が何らかの“最終楽章”に向かっているように感じられる

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OIT:現場ではどのように撮ったのでしょう?
スティーブン・ノムラ・シブル:撮影は本当に流動的で、その場その場で方法を選びました。カメラマン、自分、録音の3人というのが最も典型ですが、陸前高田のコンサートでは、カメラを3台廻して、スタッフは6人でした。ご自宅での撮影は、多くは息子さん(空 音央)が撮ってくれているので、とても親密な雰囲気のものもあったり、バッハの“コラール”の話をしていた時は、今までに何度も一緒に仕事をしてきたトム・リッチモンドというベテランのカメラマンに撮ってもらったり、僕もカメラを廻すこともありましたけれども、坂本さんが急に弾き出すものですから、最後の方の“コラール”の時も急に弾き出されたので、あれを撮り損ねていたら、今頃どういう映画になっていたか、想像もつかないですよ。

OIT:この映画には『CODA』というタイトルがついていますね、“最終章”という意味かと思うのですが。
スティーブン・ノムラ・シブル:それは不思議と、最初に撮り始めた頃から、頭の中にはあったんですね。もちろん、坂本さんが80年代に作られた『CODA』というアルバムも大好きですが、それは意識せず、主に2つの理由があります。世の中が何らかの“最終楽章”に向かっているように感じられる。説明してしまうと、例えば、福島の原発事故のことや、それだけではないですけど、色々と感じられる、感覚的なことがあって、そこで音楽家と出会って始まることがある、というのがまずひとつ。もうひとつが、先程の構成として、新たな音楽が完成するところ、そこが映画の最終到達点としてある、最後はそこでガラッと変わってほしかったんです、最後は言葉も理屈もなくて、ピュアな音楽表現で終わりたかった。それを意味して“CODA”と付けていましたが、途中で、タイトルを変える、変えないという話も出て来たんですよ。ご本人がご病気になるという、予期せぬ事態が起きてしまったものですから。

OIT:確かに、人類の“最終楽章”という感じは、この映画から伝わってきました。ちょっとメランコリックな感じはありますよね。
スティーブン・ノムラ・シブル:メランコリックではありますね。どうしてかな?自分が暗いのかな(笑)

OIT:いえ、そうではないですよ。
スティーブン・ノムラ・シブル:時代は確かに暗いですよね。明らかにYMOの時代とは違うわけですから。

OIT:それがあるから、坂本さんが今、“コラール”を作らざるを得ない、ということと響き合う。
スティーブン・ノムラ・シブル:そうですね。そうして、シンプルに色々な意味が掛け合って響いてくれれば良いかな。



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