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4. 作った後に手応えが残るものは、インフルエンザに罹っちゃったみたいな、 |
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OIT:ニューヨークのパーク・アベニュー・アーモリーで行われたライブの模様を収めた映画『坂本龍一 PERFORMANCE IN NEW YORK: async』もスティーブンさんがお撮りになったのですね。
スティーブン・ノムラ・シブル:今年の4月に撮りました。やはり、新たな音楽が生まれるとなると、そのお披露目があった方がいい、それも何年も考えていたことなのですが、たまたまパーク・アベニュー・アーモリーの他のコンサートに坂本さんが行かれたら、キュレーターの方とお会いして、演奏のプランが決まったそうです。それで、撮りますか?という話になったんです、今年の1月位のことでした。最初は3台位でカメラのアングルを決めてシンプルに撮ることを考えていたのですが、テレビ局から資金援助を受けることが決まって、その条件として、もっとカメラの台数を増やしてくれということになった。それも撮影の一週間前にバタバタと決まったのですが、結局、4Kのカメラを8台回すことになりました。撮影監督のトム・リッチモンドさんとは、クラプトンのドキュメンタリーを撮った時も、そのような撮り方をしていたので、本当にリハーサルなしの一発撮りで撮りました。
OIT:録音はどうされたのですか?
スティーブン・ノムラ・シブル:録音は、坂本さんのチームがエンジニアで入ってくれました。
OIT:それは安心出来ますね。
スティーブン・ノムラ・シブル:そうですね、今思えば、面白い機会でした。全ては瞬発的に起きたという感じでしたが。
OIT:監督は、ソフィア・コッポラの『ロスト・イン・トランスレーション』(03)の制作に関わった後、エリック・クラプトンのドキュメンタリー映画『Eric Clapton: Sessions for Robert J』(04)を撮られて、その後、10年程、キャリア的にはブランクの期間がありますね。
スティーブン・ノムラ・シブル:その期間は何かを作りたいんだけど、何を作りたいのかが分らないというのと、日本と海外の架け橋になるような仕事をしながらも、方向性に悩んでいたという感じでしたね。同時に食べていくために、企業のドキュメンタリー映像やブランド映像のような仕事をしていました。
OIT:じゃあ、今回の作品で坂本さんとの出会いがあって、素晴らしいチャンスになったという感じでしょうか?
スティーブン・ノムラ・シブル:そうですね、最初に、連絡だけはしてみようと思ったんです。まさか、撮ってくださいという返事が来るとは思っていなかったので。でも、急に、あと1週間で日本に行くけど、撮影したければどうぞと、日本ではイベントもやるしということで、イエスという返事が来た。カレンダーを見ると、もう次の日には撮影の準備が出来ていないと間に合わないという感じだったのですが、まあ撮ってみようと思ったわけです。
OIT:坂本さんも映画の中で言っていますが、「映画というのは急にやってくる」と。
スティーブン・ノムラ・シブル:そうですね、自分の経験でもそうですね。もちろん、自分の意志でこういうものを作りたいというものがないといけないと思いますが、同時に、作った後に何らかの手応えが残るものというのは、インフルエンザに罹っちゃったみたいな感じ(笑)というか、被害者という意識ではないのですが、別のものが乗っ取りにくるみたいなね、何とか終わらせなければいけない、という状態になり、そこからはもう、どう作品として成立させるか、みたいな感じですよね。
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