OUTSIDE IN TOKYO
NOBUHIRO SUWA INTERVIEW

諏訪敦彦監督、『ユキとニナ』(09)以来、約8年振りとなる新作がフランスから届けられた。主演を務めるのは、ヌーヴェルヴァーグの”申し子”ジャン=ピエール・レオー、自らの役で出演し、日本の観客にとっては、2014年10月の初来日以来、4年振りの映画館での再会となる。リュミエール映画発祥の地、南仏のラ・シオタ周辺で撮影されたこの映画には、トム・アラリ、アルチュール・アラリ、ポーリーヌ・エチエンヌといったジャック・ブラック組の”ヌーヴェルヴァーグ”の遺伝子を今に受け継ぐ現代フランス映画の俊英たちが参加し、元祖ヌーヴェルヴァーグのジャン=ピエール・レオーと邂逅を果たしているばかりでなく、その邂逅の場に、人生で初めて映画作りに手を染めた”子どもたち”が立ち会っているという事実が、この映画に満ち満ちている豊かな色彩と、スクリーンに漂う多幸感を裏付けている。『ユキとニナ』で見るものの心を奪った美少女、ノエ・サンピがカメオ出演を果たしているところも見逃せない。

とはいえ、『ライオンは今夜死ぬ』は、”死”に彩られた映画でもある。「死とは出会いだ。70歳〜80歳は人生でも最高の時間だ。分別がなくなり、死者と生者の区別もなくなる。来るべき出会いに準備をするのだ。」映画に満遍なく散りばめられた、素晴らしい台詞の数々の由来は、ジャン=ピエールの父親がかつて書いた戯曲からのものであったり、スタッフが発した即興的な台詞であったり、サルトルからの引用だったり、様々だが、諏訪監督は自分の手柄は全くないと謙遜する。ここに掲載する文章を通じて、諏訪監督の言葉に触れて頂ければ、それが謙遜であることは誰の目にも明らかだろう。子どもたちとの映画作りの現場、伝説の俳優ジャン=ピエール・レオーとの共同作業、”民主的な映画製作”の探求といった様々な主題を通じて、諏訪監督の作品や言葉は、硬直した制度的なものに揺さぶりをかける。その揺さぶりが何を生み出すのかはわからない。ただ、『ライオンは今夜死ぬ』という映画が、”映画とはかくあるべし”という既成概念に穴を空け、そこに一陣の自由の風を吹き込んだことだけは間違いない。

1. 役割分担をするってことを、まずは教えるのが一般的なんだけど、
 絶対それはやりたくなかった

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Q:諏訪監督は、今作に先だって「こども映画教室」に参加された体験のことを話されていましたが、参加してどんなことをお感じになられましたか?
諏訪敦彦:最初は軽い気持ちだったんです。誘われた時、子どもの作る映画ってすごく面白いんですって言われて観たんだけど、正直言って、そんなに面白いかなって思ったんですよ。子どもが作ったものをぽんと観ただけでは分からないことがいっぱいあって、そこに至るプロセスがすごく面白いんですね。絶対大人は口出しをしないという鉄則があって、黙って見てると色んなことが起きてくる。子どもってそんなに自由奔放で発想が豊かなのかというと、決してそうではなくて、結局自分が好きな映画とかに既定されているわけです。だから映画をやるとなると、忍者やりたいとか、刑事やりたいとか、そういうのがいっぱい出てくる。でも大人と違うのは、ころっと変わる、先入観はいつでもすぐ壊れる、映画ってこうだって思ったらそうじゃないかもしれないとか、これも面白いとか、こんなことも出来るとか、気付きの瞬間っていうのが沢山あるんですよね。大人にはなかなか訪れません、大人の先入観はなかなか変わらないでしょう。それを壊すには相当な努力がいるし、恐らく自由になってくっていうのは本当は凄く長い時間がかかることなんだけど、子どもは変わるのが早い。

Q:成長していくところが見られるっていうことですか?
諏訪敦彦:成長っていう面ももちろんあります。それは映画の特質だけど、「こども映画教室」の時に僕の回から始まったことがあって、フィクションで台本を書かないで、即興でやるんです。それと“監督”を決めない。監督は誰で、撮影の人は撮影やってとか、それが“映画製作システム”なので、役割分担をするってことを、まずは教えるのが一般的なんだけど、絶対それはやりたくなかったんです。そんな大人の真似事みたいなことを子どもがやって何が面白いのか。そうしたら意思決定するのに、案の定大変なことになるわけですよ。子ども達5人ぐらい1チームで話し合いがぐちゃぐちゃになる。ぐちゃぐちゃになるのは、どうやって意思決定したらいいかっていうシステムがないからですよね、一般的な映画だったら監督が決めればいい、その監督が決めればいいっていうシステムを与えちゃえば紛糾しても監督の彼が決めるんだよっていうことにして、まあスムーズにいくんだけど、それがない。ぐちゃぐちゃになるっていうことは、強い子がいて、意見言えない子とかもいるという関係が前提になるので、それを乗り越えていかなきゃいけない、それは人間として乗り越えなきゃいけないわけです。見ていると、泣いてる子がいて、どうしたんだよお前と聞くと、僕は本当は刑事やりたかったんだよーって(笑)、どうする?刑事いれちゃおうぜみたいな話になって、突然刑事が出てくる、それで、この子達はなんとなく乗り越えていく、なんとなく意思決定をしていく、この“なんとなく”していくっていうのはすごくマネジメントは大変だけど面白いことだなと思ったんです。その時、彼らはある 人間的な関係を乗り越えていく経験をする、それを取っ払っちゃうのが“システム”なんですね。映画の職業教育だったら話は別で、どういう仕事をやるのか、映画のキャリア教育として映画を捉えるんだったら、録音の人はこういう仕事なんだねとか、よく東京の小学生達がやってる、NHKの放送体験みたいなことをやれば社会教育にはなるんだけど、人間教育にはならない。僕は彼らはどういう風に映画を発見していくのかなっていうことに関心があった。例えば、小学生でも今の子達は映画のことよくを知っているから、詳しい子がいるグループなんかは最初からカット割りして撮ったりする。小学1年生でもFinal Cutで編集しますからね。でもそうやってカット割りしてすごく映画的に撮ったグループと、全く初めてで手持ちでだーっと撮りっぱなしで撮ってるチームとかが、撮影してきたやつをみんなで見るんですよ、そうするとカット割りしてきたものより、わーっと撮ってるやつの方が面白い。そうすると変わるんですよ、違う、こうじゃないんだと。ここどうする?カット割るか、こいつの演技の白熱が途切れるから割るなとか、僕は何も言ってないんですよ、そういうことが平気で起きてくるんですよね。子どもたち自らが映画を発見していく。


『ライオンは今夜死ぬ』
原題:LE LION EST MORT CE SOIR

2018年1月20日(土)より、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国順次ロードショー

監督・脚本:諏訪敦彦
プロデューサー:吉武美知子、ジェローム・ドプフェール
共同製作:定井勇二
脚本協力:久保寺晃一
翻案:エレオノール・マムディアン
撮影:トム・アラリ
音響:フローラン・クロッケンブリング
ミキサー:エマニュエル・クロゼ
編集:マルシアル・サロモン
美術:トマ・グレゾー
チーフ助監督:イネス・ドゥ・ラ・ブヴィエール
音楽:オリヴィエ・マルグリ
出演:ジャン=ピエール・レオー、ポーリーヌ・エチエンヌ、イザベル・ヴェンガルテン、アルチュール・アラリ、モード・ワイラー、ルイ=ド・ドゥ・ランクザン、ノエ・サンピ

© 2017-FILM-IN-EVOLUTION-LES PRODUCTIONS BALTHAZAR-BITTERS END

2017年/フランス、日本/103分/カラー/ビスタ
配給:ビターズ・エンド

『ライオンは今夜死ぬ』
オフィシャルサイト
http://www.bitters.co.jp/lion/
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