OUTSIDE IN TOKYO
TALA HADID INTERVIEW

タラ・ハディド『ハウス・イン・ザ・フィールズ』インタヴュー

2. カメラを持っている私と撮られる人の間にはある種の“管”のような
 特別な関係というものが必要になってくると思います

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OIT:その美しい舞台の中で監督は映画を撮ったわけですけれども、何年間かこの地域に住まわれたのでしょうか?

タラ・ハディド:7年の間、少しづつ撮っていきました。2ヶ月滞在しては戻り、4ヶ月滞在してはまた戻り、3ヶ月滞在して、1ヶ月滞在してというような形で、結局7年掛かったという感じです。秋に滞在したこともあるし、夏に滞在したこともあります、春にもいきました、そうした形で長い時間を掛けて撮影をしました。はじめてその山間部に到着した時、すぐにカメラを回そうとは思いませんでした。まずは、そこにいる人々と知り合いになったのです。

すると、彼らが家に滞在してほしいということでお家に招待してくれたのです、つまり私はゲストだったんですね。撮る人と撮られる人、カメラを持っている私と撮られる人の間にはある種の“管”のような特別な関係というものが必要になってくると思います。ですので、まず私がゲストとして呼ばれて、それに伴ってカメラもゲストとして招かれたと思っています。ゲストというのは家のルールに従わなければいけませんから、その家族や村、民族のルールに従わなければいけません。

彼らに敬意を持ち、時間をかけて知り合い、ゲストとして滞在していくことで、少しずつ関係を築いていきました。そうして7年という歳月をかけることで、彼らにとって私がカメラを回すことが居心地が良いと思えるような関係性を築くことが出来たのだと思います。そうして長い時間を掛けたことで、私、そしてカメラという存在があるということ、そしてその歳月の中から生まれた現実と非現実、虚構、フィクションといったものの関係が生起し、それが発展していきました。

人々が繕っているという意味ではなく、そこにカメラがあったからこそ、長い時間を経て、彼らが自分の話を語り始めるということが起きたのです。仕事をしたり、自分達の生活を営む中から、ある種のフィクション的なもの、演じることが、有機的なものとして立ち上がってきました。そこには、いつもとは違う行動も含まれているでしょう、普通の生活とカメラの前でのアクションとも言うべき演技的な振る舞いが有機的に生起して、彼らの生活の中でその均衡が築かれていったのだと思います。

それは7年という時間を掛けた、その贅沢さのおかげで発展していった関係でした。ある種のメタフィクション、現実を超越したことが起こりました。そのリアルとパフォーマンスの間、演技と現実の間の有機的な関係というものが7年の歳月をかけることによって生まれてきたのだと思います。


OIT:今、監督がおっしゃったことは映画から伝わってきました。その点もこの映画の重層的な美しさのひとつだと思います。それに関連して、例えばアラビアンナイトのような物語は、いわゆる“額縁小説”とか“フレーム・ナラティブ”と言われていますね、フィクションの一形式ですが、この映画は、吟遊詩人が前半、中盤、最後の方とか出てきて、そうした“額縁小説”の枠を作っているようなところがあります。映画自体はいわゆる“ドキュメンタリー”作品ですし、監督が仰ったような意味で有機的に生成された、語られた物語だと思いますが、こうしたフィクションの手法を敢えて取り入れていますね。



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