OUTSIDE IN TOKYO
Todd Haynes INTERVIEW

トッド・ヘインズ『ワンダーストラック』インタヴュー

2. 人生の舵を切るのにはエネルギーがいる。
 そのエネルギーが欲しくて、30代の終わりに再びディランを聴きまくった

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Q:他の国ではそうでもないんですか?
トッド・ヘインズ:国によっては反応が薄かったりすることもあるよ(笑)、でも日本では皆とても喜んでくれるから、嬉しいね!

Q:映画を拝見して、本当に丁寧に作っているんだなということが伝わってきました。今までの監督作品は全て好きなのですが、今回、これを作ろうと思った決め手になったもの、創作の上で監督を動かすものは何なのでしょう?
トッド・ヘインズ:作品ごとに、これひとつ、というものはないんだけど、僕の人生の中から生まれることもあるし、ポップ・カルチャーや映画への個人的興味の中から生まれることもある。例えば、『アイム・ノット・ゼア』(07)の場合だけど、僕は高校の時までボブ・ディランをよく聴いていたんだけど、それ以降は全く聴かなくなっていた。ところが、30代の終わりに、色々なことの移行期に自分の人生があたる頃、ニューヨークを離れてポートランドへ行って『エデンより彼方へ』(02)の脚本を書いていた時に、急にディランを聴きたくなったんだ。その時は、ただディランを聴くだけじゃなくて、それ以上のものを得ることが出来た。僕は、思春期独特のエネルギーというものにもう一度立ち戻りたかったんだと思う。人生はどちらに舵を切ってもいいんだけど、それにはエネルギーがいるんだよね。そのエネルギーを必要としていたから、ディランを聴きたくなったんだと思う。その頃はブートレック盤をよく聴いてたんだけど、自分でも驚くほど深くハマって聴き込んでいたね。でもその時は、まさかディランの全楽曲を使える権利を得ることになるとは思っていなかったよ!ご存知のように、デヴィッド・ボウイもカレン・カーペンターも、曲を使う許可を得ることは出来なかったわけだから。むしろ、その方が普通なんだけどさ。

Q:そう考えると、今回『ワンダーストラック』と出会ったのも、監督の今の年齢だからこそ出会ったと言えるのでしょうか?
トッド・ヘインズ:確かにそういうところはあるかもしれないけれど、元々、僕は西海岸育ちで、それが厭になってニューヨークへ渡った、原作者のブライアン・セルズニックは東海岸育ち、僕がいつも一緒に仕事をしているキラー・フィルムズのプロデューサー、クリスティン・バションはニューヨークで生まれ育っていて、美術監督のマーク・フリードマンも生粋のニューヨーカーだ。だから、関わった皆にとって、とても共感できる物語だったということもあるね。そもそも僕はブライアンの歴史というものに対する、そして映画というものに対する愛のある接し方が好きなんだ、この2つのものが彼のコンセプトの中でしっかりと際立っている、そういう作品だから僕は凄く惹かれたのだと思う。先程の作品を選ぶ時のモチベーションという話にも関わってくることかもしれないけれど、今までの作品とは違うことをやりたいという気持ちもあるんだ。今までも時代物を多く手掛けてきているけれども、1920年代を撮ったことはないし、今回は何よりも子どもたちの物語であるということに惹かれたね。一般に子どもたちが見ると言われている映画とは一風変わった、ちょっと奇妙な映画になるだろうと思ってね。ブライアンは、子ども物の作品を多く書いているけれど、どれも普通の作品とはちょっと変わってるんだよね。そんな所にも可能性を感じたんだ。



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