OUTSIDE IN TOKYO
YANG IK-JUN INTERVIEW

ヤン・イクチュン『息もできない』インタヴュー

4. 皆さんの記憶からこの映画が消えた頃に新しい作品に取りかかりたい

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──いま近くにいる人でなくても、映画の規範、基準となる人はいますか?
Y:私と似たような感情表現をする方、おそらく自分がこう言っても、相手に言わせたら、ぜんぜん違うよって言われると思うんですけど、あえて言わせていただくと、崔洋一監督とか、北野たけし監督とか、映画の中で非常に強い感情表現をされる方はとても好きですね。今回、『息もできない』を作った後、観客に見てもらって私が思ったのは、非常に大切な、映画鑑賞の意味にもなるんですけど、自分は一人じゃないんだって思ってもらうことです。それが今回、大事かなって思います。皆さん、それぞれ違いはあっても、それぞれ家族の問題を抱えていると思うんです。でもこの映画を見た時に、サンフンにも同じような悩みがあるんだ、ヨニにも同じような悩みがあるんだ、監督も同じような環境で育ってきた人なんだ、ってことを分かってもらって、一人じゃないのかってことに気づいて、じゃ、今の状況をがんばって克服してもらって、なんとかしようと思ってもらうのが一番大切なのかなと。つまり、映画を見て、みんなで共有できることが大切かなって思います。あと、もうひとつ付け加えると、見てほしい監督、好きな監督の中では、自分とはぜんぜん違うスタイルの映画を撮っているのが市川準監督ですね。自分とはまったく映画の趣向も違うんですけど、自分はとても好きなんですね。もう、亡くなってしまいましたけど、見て下さったら気に入っていただけたかなってことも考えます。

あとは、自分が好きだと思える日本の監督さんや俳優のみんなに見てほしいと思いますね。あわよくば、これを見てくれて、実際に会えたらいいなと思っています(笑)。やっぱり人って縁が大事だと思うんですよ。だから何らかの縁ができると、繋がっていくと思うんです。だからもし仮に、これからヨーロッパで映画を撮ったり、日本で撮ったりという機会も生まれるかもしれないじゃないですか。今は世界中で、共同製作とか、いろんな国を越えて行っていますので、そういう意味でも、もし関心を持って見て下さる方がいれば、そういうふうに繋がっていくのかなって、あくまで、自分の欲で言っていることですけどね。

──いま挙げた中に、キム・ギドクは入っていませんね。
Y:一度も会ったことがないんですよ!キム・ギドク監督のオーディションは受けていると思うんですけど、その時に本人がいたかどうかもちょっと定かではないです。それに酒に酔っていたのではっきり覚えてないんですけど、キム・ギドクの作品に願書を出したこともあります。それはある俳優を募集していますという広告が出ていて、自分としては願書を書かなければとは思っていたんですけど、その日、すごく酔ってたんです(笑)。それで酔っぱらって、願書に、俳優がだめならスタッフでもいいから使ってください、みたいなことを書いて、出したこともあったんです。その頃から、演出に対して興味を持っていましたし、たぶん6、7、8年前とかで、本当に記憶が定かではないのですが、キム・キドク監督は好きなんですね。全部ではなく、初期から中盤にかけての作品が好きなんですけど。

──ギドク監督に道で会った時、「シーバル・ロマー」と言ったら何か縁があったかもしれませんね。
Y:言ってたら、きっとキム・キドク監督は、僕にハイキックをくらわしていると思います。それでOh, Sorry!!って(笑)

──この映画の反応がよいため、今後、映画が撮りやすくなるかもしれませんね。
Y:私は映画産業にまったく疎いので、どうやって出資を募るか、出来上がった作品で利益が上がったらどうやって分配するのかも、まったく分からないんです。実はこれも自分で製作もしてるんですけど、製作とは名ばかりで、家を売って、両親からお金を借りて、友達からもお金を借りて撮ったので、実はまったく仕組みが分かってないんですね。いまは製作費を出しますという人もいますし、商業映画を撮ってくれないかと監督を頼まれたのも15、16本とかあるんですが、実はぜんぶお断りしたんですよ。なぜかというと、今は作る時期ではないと思っているからです。もし作るとしたら、もう少し製作とか、いろんな勉強を積み重ねた上での方がいいと思ってるんです。次にもし映画を撮るとしたら、おそらく世の中から『息もできない』の話題が消えた頃、そしてヤン・イクチュンという私のことを、みんなが忘れて、記憶の中から消えたくらいに作るんじゃないかと思います。だから時期的には、もしかしたら、早ければ来年になるかもしれないし、2年後、3年後になるかというのは分からないんですけど、おそらくそんなやり方をすると思うんです。この『息もできない』を作るために費やした時間は3年6ヶ月くらいかかってるんです。製作もして、監督もして、演技もして、編集もして、ポストプロダクションもやって、宣伝にも加わっていましたので、エネルギーを全部使い果たしてしまった感があります。だから皆さんの記憶から無くなったくらいに、またニュー・プロジェクトを立ち上げようかと思います。以前、短編映画を撮って、演技賞をもらって、初めて観客賞をもらって、そういうふうに賞をもらうと、皆さん、どんどん飛躍していけという人が多いんです。次々と、今がチャンスだから、新しいプロジェクトをやって、どんどん行けという人が多いんですけど、私としては、作品ごとに、まっさらな状態で、初めて作る気持ちで撮りたいって思うんですね。だから殴られて喜ぶマゾのような、まあ、それとはちょっと違いますけど(笑)、本当に一から、常に積み上げていきたいって気持ちはあります。でもそんなふうに一歩ずつ階段を上がって行くやり方の人もいると思うのですが、自分はどっちかというと、のんびりと、ゆっくりとしたタイプなので、他の人とはちょっと違う進み方になると思います。

実はいま言ったような話は、自分自身を愛して、自分自身を大切にしたいと思うからなんです。現時点での自分にとっては、映画よりも日常の方が大切だと言えますね。

そんな自分をめぐるお祭り騒ぎにのらないように気をつけている彼を見ると、また本当に撮りたい題材と巡り会わない限りは映画を撮らないかもしれない。だが処女作にして作家として自分の徴を残したことはまず間違いないようだ。

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