OUTSIDE IN TOKYO
TALK SHOW



傑作と呼ばれる映画には、その映画を見る前と後で、見る者の視点を変えてしまう圧倒的な力が備わっている。モーリス・ピアラの『ヴァン・ゴッホ』もそうした作品群のひとつであると言って良い。アンスティチュ・フランセ東京で行なわれた『ヴァン・ゴッホ』公開を祝すアントワーヌ・ドゥ・ベック氏(「カイエ・デュ・シネマ」元編集長)と廣瀬純氏(映画批評・思想家)によるトークショーは、そんな途方もない作品『ヴァン・ゴッホ』の核心を炙り出し、”知られざる巨匠”モーリス・ピアラの複雑さの中心に迫る素晴らしいものだった。ここにそのトークショーの採録を掲載する。採録原稿に映画史を踏まえた豊かな注釈を加えてくださった、廣瀬純氏に感謝申し上げます。
(上原輝樹)

1. モーリス・ピアラは、パラドックス、逆説そのものの人なのです

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廣瀬純:モーリス・ピアラという映画作家はどういうわけか日本ではこれまでほとんど知られないままにとどまり続けてきました。フランスではそもそもどのような作家だとみなされてきたのか、その辺りのことをまず、ピアラについての著作(「モーリス・ピアラ事典」レオ・シェール社、2008年)もあるアントワーヌ・ドゥ・ベックさんに少し詳しく話してもらえればと思います。
アントワーヌ・ドゥ・ベック:今日はアンスティチュ・フランセ東京にお招き頂いて、モーリス・ピアラのお話しを出来ることをとても嬉しく思っています。モーリス・ピアラっていう監督自体は、パラドックス、逆説そのものの人なんですね。それが一つのパラドックスじゃなくて、色々な一連のパラドックスに満ちた人です。まず、ひとつ申し上げますと、海外では、日本に限らずアメリカでもモーリス・ピアラという監督は全く知られていない、作品自体も殆ど観られていない、そういう監督でありながら、フランスでは、20世紀後半の映画監督たちの中で最も重要な一人であり、甚大な影響力を持っているという風に考えられています。2003年の彼の死から10年程経っていますけれども、今、フランスの若い映画監督に、「あなたに影響を与えた映画監督は誰ですか?」「あなたが映画監督になりたいと思われた作品はなんですか?」と聞きますと、モーリス・ピアラという声が、あるいは『愛の記念に』(83)や『ヴァン・ゴッホ』(91)に影響されて映画監督を目指したという人が非常に多いんですね。そういう意味で、一つ目のパラドックスというのは、フランスでは非常に有名で非常に評価もされている、10年前に彼が亡くなった時、新聞や雑誌は10ページ程のページを割いて、彼の作品について特集記事を組んだ、それほど評価されている監督にも関わらず海外ではそうした評価は全く得ていない、それがモーリス・ピアラ監督のまず最初のパラドックスです。二つ目のパラドックス、それはピアラが何故海外でこれほど無名かということの理由の一つになると思うんですけれども、実はピアラの年齢から言うとヌーヴェルヴァーグとほぼ同世代なんですね。トリュフォーやゴダールに比べれば少し年上ですらあって、本当であれば同じ時期にデビューしていてもいい監督なわけですけれども、少しヌーヴェルヴァーグに乗り遅れたというところがあります。若いヌーヴェルヴァーグの監督達は最初批評家をしながら、そして25歳ぐらいで、50年代後半に監督としてデビューするわけですけれども、ピアラのデビューはそれよりも10年遅れて、最初の長編映画というのは69年なんですね。その遅れてきたということは、彼が海外で他のヌーヴェルヴァーグの監督に比べて評価がされていない、あるいは知られていないことの一つの理由になっていると思います。そしてそこから繋がってくるのが三番目のパラドックスです。それはピアラの性格からくるものなんですけど、強い怒り、そして暗いもの、辛辣なものを彼自身が映画の中に、あるいは彼自身からもそれを発散していて、それはヌーヴェルヴァーグから遅れてしまったことに対する屈辱感、同世代でありながら遅れてしまったことに対する屈辱感からくるものがあると思います。四つ目のパラドックス、これが最後のパラドックスであり、非常に興味深いところなんですけれども、彼は映画監督として本当に大文字のAで始まるべきアーティストであり、作家だという風に考えられる映画監督です。非常にパーソナルな素材を扱い、パーソナルなスタイルを持ち、自分で選んだテーマで、自分の好きなように映画を作り出してきた人です。そういう意味で大文字のAで始まるアーティストでありながら、ポピュラーであるということに非常に拘った人です。まず庶民的という意味のポピュラーで言えば、彼は、人物を描く時に、誰かをヒーローとかヒロインにするというよりも、庶民というか、それぞれの人々を際立たせる映画を撮っています。庶民との連帯感であるとか、同胞愛というものが、皆さんがご覧になった『ヴァン・ゴッホ』の人物像の中にも見られたと思います、非常に民主主義的なキャラクター造形をしていると私自身見ています。ポピュラーのもう一つの意味、人気があるという意味では、観客にもとても愛されている映画を作ったということですけれども、ピアラの映画は実際何百万人の観客動員を記録している。もちろんヌーヴェルヴァーグの人達もゴダール、トリュフォー、ロメールの作品はヒットしたものも多いですし、観客の動員数も多かったわけですけれども、正にモーリス・ピアラの作品もそうだった。彼自身は10本ぐらいしか長編映画を作っていませんが、そのうち一つとして失敗作がない。これは私の主観ですけれども、恐らく世界の映画監督の中で唯一全ての作品に成功した映画監督じゃないかと思います。フランスの映画監督の中でも、これだけヒットを飛ばし続けていた監督はいないでしょう。今、皆さんがご覧になった『ヴァン・ゴッホ』は、フランスでは130万人くらいの観客数を動員しましたし、『愛の記念に』も数百万人の人達が観ています。全部合わせますとフランスでは、607万人くらいの人達がピアラの映画を観たということになります。そういう意味でポピュラーであるということ。先ほど最後のパラドックスと申し上げましたが、もう一つ最後のパラドックスがありました。ピアラ監督というのは、実は何で有名かというと非常に性格が悪いということで有名な監督でもありました。いつもたらたらと不平不満ばかり言ってるような監督だった。例えば撮影でも、どちらかというと上手くいかない現場を好んだ、そういう“上手くいかない”というところから彼はエネルギーであるとか、バイタリティーを掬い上げていた。撮影現場では常に緊張感があって、正にピアラはそれを求めていた。もちろん数人のスタッフとの間には友情もありましたし、寛容さで結ばれた関係もあったわけですが、常に“上手くいかない”というテンションの高いものを求めていた。私自身は、それが非常に興味深いと思って、彼のキャラクターを評してピアラ をemmerdeur (オンメルドゥール)という風に名付けたわけです。うるさいやつ、めんどくさいやつ、つまり厄介ごとを挑発的にわざわざ作りだす人ですね、上手くいきそうなところをわざと上手くいかないようにするとか、何か引っかかるとか、何か上手くいかないということを敢えて探す人、そういうところがまたアーティストというものを形作っている、クリエイティブな部分に繋がっているところがあると思います、それがパラドックスなわけなんですね。フランスの80年代の10年間というのはほとんどモーリス・ピアラの栄光の時代と言ってもいい、『愛の記念に』から『ヴァン・ゴッホ』にかけて10年間、本当にフランス映画の中心にいたわけです、観客動員も凄く多かったわけですが、彼の作品はまるで黒い太陽のような塊で、それは決して明るい太陽ではなくてマイナーなところで意地の悪い部分っていうものを輝かせながらフランス映画の真中に君臨していた、そこにフランス映画の一つのオリジナリティがあると思います。そういう風に愛されても常に不平不満を抱いている、そういう人がフランス映画の真ん中にいた、そのこと自体がフランス映画のオリジナリティだと思うんです。そして、もう一つエピソードを話したいと思います。モーリス・ピアラの映画の特質、キャラクターというものを如実に語るのが『愛の記念に』の最後のシーンです。この最後のシーンで家族の団欒というか、親類を集めた食卓のシーンがあります。この映画では実はピアラ自身がサンドリーヌ・ボネール演じるヒロインの父親を演じているわけです。そのシーンは、父親無しでサンドリーヌ・ボネールのヒロインの家族がみんなで食事をしている、父親はシナリオ上は家を出ていて蒸発したか、あるいは死んでしまったか、とにかく父親は存在しないという風になっているわけですけれども、なんとピアラはスタッフや役者に何も予告せず、現場からちょっといなくなったかと思うと、彼の父親としての唯一の衣装であるちょっと薄汚れたようなコートをひっかけて、その撮影現場の食卓に現れる、そこにいる技術スタッフも役者達もそんなことはまるで聞いていなかったわけですが、そんなことはお構いなしに彼はテーブルの椅子に腰掛けて、そこにいる人達一人一人に向かって、少し仕返しをするように、あの時はああしたな、こうしたなという風に一人ずつを非常に辛辣に批評していくわけです。このシーンは本当に素晴らしいシーンだと思います、本当にそこにはエネルギーが溢れている、でもそのエネルギーは決して輝かしい美しいものではなくて、酷く黒い悪質なエネルギーなのです。まるでモーリス・ピアラが意地の悪い才能でもってこの映画を牛耳った、そういうところがある素晴らしいシーンなんです、これがピアラの映画の核心をついてるシーンだと、私自身思っています。


『ヴァン・ゴッホ』
原題:Van Gogh

11月2日(土)より、シアター・イメージフォーラムほか、全国順次ロードショー

監督・脚本・台詞:モーリス・ピアラ
撮影:エマニュエル・マシュエル、ジル・アンリ
カメラ:ジャック・ロワズルー、ダニエル・バロー
録音:ジャン=ピエール・デュレ、フランソワ・グル メイク:ジャッキー・レイナル
衣装:エディット・ヴェスペリーニ、ティエリー・デレットル
美術:フィリップ・パリュ、カティア・ヴィシュコフ
編集:ヤン・デデ、ナタリー・ユベール
製作:ダニエル・トスカン・デュ・プランティエ
出演:ゴッホ:ジャック・デュトロン マルグリット:アレクサンドラ・ロンドン テオ:ベルナール・ル・コク ガシェ:ジェラール・セティ ヨー:コリーヌ・ブルドン カティ:エルザ・ジルベルシュタイン アドリーヌ:レズリー・アズライ

1991年/フランス映画/160分/ヴィスタ
配給:ザジフィルムズ

フランス映画の知られざる巨匠 モーリス・ピアラ
オフィシャルサイト
http://www.zaziefilms.com/pialat/


フランス映画の知られざる巨匠 モーリス・ピアラ
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