OUTSIDE IN TOKYO
FILM REVIEW

『唯一、ゲオルギア』


激動の祖国ジョージアの文化・芸術・政治の歴史と現在を総括した、
“語り部の持つ魅惑”に満ち溢れた傑作ドキュメンタリー
上原輝樹

「ボルシェビキの暗い時代は、現在の悲劇に直結している」と本作のナレーターが語る時、“脚本”、“コメント”でクレジットされているのがオタール・イオセリアーニ監督、その人の名前のみであるので、ここで語られていることはイオセリアーニ監督自身の見解であると見て良いだろう。映画好きの間ではよく知られているフランスのテレビ局「ARTE」向けに作られた本作は、「第一部:序曲」「第二部:誘惑」「第三部:試練」の三部で構成され、尺は約4時間弱に及ぶ、大作ドキュメンタリーである。ここでイオセリアーニが言う“ボルシェビキ”とは、1918年3月のロシア革命でプロレタリア独裁を実現したレーニン率いるボルシェビキ党が、1922年にソヴィエト社会主義共和国連邦が成立してからは“ソ連共産党”と呼ばれるようになったものの、その起源を敢えて名指ししたものであり、“現在の悲劇”とは、この作品が制作されていた当時、ジョージア(グルジア)の国民が現在進行形で直面していた内戦(1991〜1993年に起きたグルジア内戦)の悲劇のことを指す。

この作品はまさに、母国ジョージアが内戦の悲劇、惨劇に巻き込まれている最中に作られた作品であり、イオセリアーニ監督の語りも、彼のフィクション作品の特徴である、“ノンシャランとした陽気さ、のどかさ、洒脱さ”といった美徳からは一線を画した作品に仕上がっている。本作の編集に携わったマリー=アニュス・ブランは、これこそがドキュメンタリーという形式に求められる“歴史的厳密さ”であって、イオセリアーニ監督は、“この作品の中でインタヴューをした人物が制作途中で亡くなることもあったり、祖国の歴史を俯瞰し、総括するという失敗の許されない重要な任務を帯びていたことを理解した上で、テレビの尺に収まるように厳密に内容をまとめようと、かなり辛い思いをした”のだと語っている(※1)。それでも尚、マリー=アニュス・ブランも指摘している通り、この映画にはイオセリアーニ監督ならではの、“語り部の持つ魅惑”に満ち溢れているのである。



激動の歴史を持つ一国の文化・芸術・政治の歴史を、4時間弱の尺にまとめ上げるという困難な仕事の中でも、“魅惑的な語り部”イオセリアーニの声を伝える “ナレーター”として、その重責を担ったのが、ニコラス・レイの自伝(「ニコラス・レイ ある反逆者の肖像」)の著者、映画批評家、映画史家として知られるベルナール・エイゼンシッツである。エイゼンシッツの声は、冒頭の一文に続いて、「19世紀初めにロシア帝国に併合されて以来、ここ2世紀の間、ジョージアはヨーロッパから孤立していた。1917年10月に革命が成功し、一時期独立を勝ち取るが、再び赤軍に制圧された。ソ連が崩壊した今は、懐古主義者が率いるロシア軍との不平等な戦争に巻き込まれている。」と続け、ジョージアの映画作家たちの作品群と自らが撮ってきた作品、そして、テレビ用のアーカイブ映像を用いて、祖国の歴史と現在を総括することを宣言して、この映画の始まりを告げている。

「第一部:序曲」では、26世紀にも亘って、ギリシア、ローマ、ペルシャ、アラブ、トルコ、モンゴル、ロシアと次々に敵が攻めてきた、侵略に対する祖国の戦いの歴史を鳥瞰しつつ、スクリーンには自然の要塞である北部コーカサス山脈に今も残る、初期の教会に描かれたフレスコ画の“武装した天使”の絵が映し出されていく。“天使”ですら武装している誇り高い戦士の国、見事な建築の修道院が居並ぶキリスト教の国、個人主義と高度な教育が行き届き、豊穣な国土にも恵まれた豊かな国として、監督の祖国の歴史・文化・芸術がその起源にまで遡って紹介されていく。イオセリアーニは、侵略者たちは、ジョージアの人々が誇る文化、宗教、軍事力、生産力を何度も破壊し、東のアジアと西のヨーロッパが交差する南コーカサスの文明の要衝、首都トビリシに至っては27回にも亘って破壊してきたのだと語る。

イオセリアーニの語りは、ジョージアが陥った当時の苦境の直接的原因である“ロシア”について語る時、その調子は更に冴え渡る。「ロシアは、文化的に格上の相手に対して、武力を背景に略奪を行った。ジョージア人には正直者が多く、官僚の悪事を知った国民は反乱を起こした。司法と官僚の間に汚職が発覚したのだ。ゴーゴリが書いた悪徳の習慣は正直者の国には似合わない」と皮肉たっぷりにイオセリアーニ節を展開してみせる。イオセリアーニ監督が既に『落葉』(1966)で描いていた通りのことだが、世界最古のワインの産地としても知られるジョージアにおいて、20世紀初頭には500以上の葡萄の品種があったワインは、旧ソ連による標準化で栽培品種が制限され、1990年台には200種まで減ってしまったのだという事実を聞かされると、旧ソ連が行った計画経済の罪が一層呪わしく思われてくるが、こうした事態は、決して過ぎ去った過去のことではなく、行き過ぎた資本主義とグローバリズムの現代においても、巨大企業による種の独占と標準化という問題が現在進行形で存在していることを忘れるわけにはいかない。これは人類共通の富であるはずの<コモン>が一部の勢力に奪われていくという、極めて現代的な問題と地続きの問題である。



1917年に十月革命が勃発、レーニンがボルシェビキを結成し、1918年にはジョージア民主共和国は独立を宣言、国民は歓喜し、レーニンはジョージアを承認した。マルクスが賞賛され、人々は“地上の天国を創る”という理念を信じた。しかし、1921年、赤軍がジョージアの首都トビリシに侵攻し、共和国は崩壊した。“地上の天国”は、わずか3年で命運が尽きたことになる。仕掛け人は、レーニンとスターリンであり、時の政府は、ボルシェビキとの思想統一に専念し、“強いジョージア”を後回しにし、戦争の準備を怠っていたのだとイオセリアーニは語り、「第一部:序曲」は幕を閉じ、「第二部:誘惑」へと連なる。第二部ではソビエト連邦の成立から崩壊へ至るまでが描かれていくが、イオセリアーニの語りは、本作がテレビ向けに3回に分けて放映されるという性質のものであったことも影響しているとは思うが、完璧に時系列に沿っているというわけではなく、行きつ戻りつ、時には反復したり、ある特定のイメージに囚われたかのように、そのイメージが不思議な時間の持続を齎すことすらある、つまり、イオセリアーニが、歴史的時空を歩む中で、時には立ち止まったり、道を振り返ったり、脇道に外れたり、小休止をしたりしながら、人間的な逡巡を見せながら、それでも大枠としては、ドキュメンタリーならではの“歴史的厳密さ”に従って、クロニカルに映画は進行していくのだ。

「第二部:誘惑」で特筆すべきは、政治的には、ジョージア出身ながらもジョージアを押さえつけることに執着し、右腕のベリヤと共に11%ものジョージア人を粛清する暗黒時代を齎したスターリンの死後、個人崇拝を批判する時代が到来し、ソ連ではフルシチョフ、ジョージアではシュワルナゼが登場し、時代が明るさを取り戻したことと同時に、様々な文化が失われていく中で、“映画”が如何に特別な役割を果たしたが力説されていることだろう。「文化がなくなると人々の顔は“獣”のようになり、“文化”として、文化ではないものが紹介されるようになる。しかし、“映画”にだけは優秀な人材が集まり、世界と対等に語ることが出来た。当初、ソ連当局は“映画”の存在を見逃していた。寓話を装っていたからだ。真実は笑いの後ろに隠されていて、当局が気づく頃にはもう手遅れで、ジョージア映画は世界で地位を築いていた。ジョージア映画は、国民の生活と魂を反映しているのだ。」とイオセリアーニは語る。

1989年にベルリンの壁が崩れ、ペレストロイカの流れは必然に思われたが、軍産複合体、将軍たち、国防省、保守勢力といった古い恐竜たちは全力で敵対した。シュワルナゼはその動きをよく見ていたが、ゴルバチョフは何も見ていなかったと、ここでもゴルバチョフは手厳しく断罪されている。“ここでも”というのは、ウクライナ出身の映画作家セルゲイ・ロズニツァの『新生ロシア1991』(2015)と『ミスター・ランズベルギス』(2021)において、ゴルバチョフの評価は“西側”の人間が思っているほど高くないということを知らされていたからだが、ロシアの隣国として直接被害を被ってきた国々において、これほどゴルバチョフの評価が低いということは、如何に西側に住む人間が一方的な情報にしか触れてこなかったかということに今更ながら気付かされるのである。人々はこうした流れの中で、『新生ロシア1991』でも描かれていた通り、“自由”と“民主主義”を望み、その勢いはジョージアにも波及するが、ソ連からの離脱を許さない“ボリシェビキ”とジョージアは内戦へと陥っていく。かくして、映画のナラティブは第一部の冒頭へとループしていくような流れで「第二部:誘惑」を終える。



「第三部:試練」は、タイトルが告げる通り、ジョージアが向き合うことになった試練を物語るのみならず、観客の私たちにとっても見るのも辛い映像と向き合うことになることを予め告げるものである。冒頭でポリフォニー(多声)を用いた美しいハーモニーの原理について解説が為される。曰く、ポリフォニーとは、それぞれのパートが独立していて、互いに異なるメロディーを歌いながら、それらが重なると美しい響きを奏でるもので、それは、ジョージアのみならず、ブルガリア、イタリア、コルシカ島、バスク地方、ブルターニュ地方、アイルランドといった地においても見られる共通した特徴である。ところが、現在(当時)のジョージアには、決定的に欠けているパーツがあり、ポリフォニーの美しい響きが失われてしまった。このことを、ロシアが画策したアブハジアの分離独立運動、作家ソルジェニーツィンの盟友レフ・コペレスが“ジョージアの恥”と呼ぶガムサフルディア元大統領の一派が入り乱れる三つ巴の内戦に陥った祖国の状況の比喩として用い、痛ましい映像とともに表現されていく。ここにあるのは、見るのも無惨な状況であり、美しい響きが決定的に失われてしまったことへの絶望である。

それでも私たちは、イオセリアーニ監督が、この悲惨な内戦に着想得て、この2年後には『群盗、第七章』(1996)を撮ったことを知っているし、その後も、『素敵な歌と舟はゆく』(1999)、『月曜日に乾杯!』(2002)、『ここに幸あり』(2006)、『汽車はふたたび故郷へ』(2010)、『皆さま、ごきげんよう』(2015)といった傑作群を残してくれたことを知っている。もう10年以上前のことになるが、イオセリアーニ監督は2011年の6月に来日し、渋谷の円山町でマスタークラス(※2)を開き、私たちに映画を作ること/見ることの喜びと幾つもの謎を残してくれた。この時、イオセリアーニ監督が語った「自分の世界と自分の民族と共に生きて、何かいいものを作って他の人々を助けてあげて下さい」という言葉は、今も私の中に残っていて、日本の映画を見る度に蘇ってくる。ジョージアと日本では、国の歴史も国民性も異なるが、それでも、イオセリアーニ監督の映画には、この不安な時代を陽気に生き抜くための“人間”共通のヒントが隠されているように思えるのだ。






『唯一、ゲオルギア』
原題:Seole, Géorgie

2月17日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、シアター・イメージフォーラムにて劇場初公開作品含む全監督作21本一挙公開

監督・脚本・編集:オタール・イオセリアーニ
製作:H・R・アイゼンハワー
撮影:ヌグサル・エクロマイチビリ
編集:マリー・アニエス・ブラム

1994年/246分/フランス
配給:ビターズ・エンド

『オタール・イオセリアーニ映画祭〜ジョージア、そしてパリ〜』
オフィシャルサイト
https://www.bitters.co.jp/
iosseliani2023/



オタール・イオセリアーニ映画祭 〜ジョージア、そしてパリ〜

オタール・イオセリアーニ監督マスタークラス

オタール・イオセリアーニ『汽車はふたたび故郷へ』インタヴュー












































(※1)「イオセリアーニに乾杯!」(エスクァイア マガジン ジャパン)P105掲載
マリー=アニュス・ブラン インタヴューからの引用






























































































































































































































































(※2)オタール・イオセリアーニ監督マスタークラス