OUTSIDE IN TOKYO
Valérie Donzelli & Jérémie Elkaïm INTERVIEW

ヴァレリー・ドンゼッリ&ジェレミー・エルカイム『わたしたちの宣戦布告』インタヴュー

2. 自分たちの話を、他人に映画化されたら嫌だと思った(ヴァレリー・ドンゼッリ)

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Q:そういう風に映画が全体ですごいスピードで流れていきながら、その分、最後のスローモーションが際立って美しい印象を与えますね。
ジェレミー・エルカイム Jérémie Elkaïm(以降JE):ヴァレリーという監督は、すごくそのテンポの取り方が独特なんですよね。例えば、その映画の中でも、全ての時間が均等に配分されているのではなくて、実は実生活で起こっている長い時間をすごく凝縮してしまったり、あるいは、実際の生活の中ではすごく短い時間なんだけど、この映画の中ですごくじっくり撮っていたり、そういう独特なテンポ感というのがあるんですね。僕たちがこの映画の中で特に大事にしたかったのは、まるでコンセントに指を当てているようなエレクトリックな感じで、常にビンビンしているような、常に動き回っているような、そういうことでこの登場人物に付き添いたい。そうすることで親密感が生まれて彼女たちのアバンチュール、アドベンチャーというのが僕らの望むように描けると思ったんです。
VD:そのテンポラリティー(出来事の時間的位置づけ)についてもう一つ付け加えると、だいたい人間というのが何か大きなドラマであるとか、事故であるとか、すごくショッキングなことが起こると、まるで時間が止まったようになりますよね?時間の感覚がなくなるじゃないですか。一分が一時間に思えたり、あるいは一時間がその一瞬に思えたり、そういうことを映画の中で表現するというのがすごくフィジカルな感じでおもしろいと思ったんですよ。だから今回の作品の中でも、子供の病気の前の部分というのはかなり伸ばす感じで撮って、現実に対する感覚というのを時間感覚、テンポで表現しようと思ったんです、実際の人間が感じたようなことを。
Q:ナレーションは、その時間のスピード、スピーディーな部分との距離の取り方についてどう作用したのでしょう?
VD:私たちはナレーションをボイスオフと呼んでいるんですが、そういう風には考えているわけではなくて、本当にナレーターという風に捉えているんですね。そういうサスペンスのあるシーンというのがありますね。その時の緊張感を作り出すのにこのナレーターというのがすごく貢献してくれています。例えば、ジュリエットは小児科の先生からの電話を待っている(というのも)、それが全部ナレーションで語られるわけです。そしてジュリエットが電話をとる。そしてまた今度は女友達のお父さんに電話する、ということを全部言葉で説明してしまうのではなく、ナレーションが常に付き添うことで、特殊なテンションを作り出すことが出来る。そういう役割をナレーターが果たしているんですね。例えば、映像では彼らが別れたというシーンは見せていませんが、そういう風に遊園地で遊んでいるシーンを見せながら、ナレーションでは彼らは別れたということを言う。そういう風に少し、これから起こることを前もって言っている(という)、そんな誘導役の役割もありますね。


Q:コメディー・タッチにした理由をちょっと知りたいのですが、子供が病気ということになると相当シリアスな話になっちゃうはずですが、そこに笑いを入れるというのは嫌だ、それを他人にやられたら嫌だ、自分たちでやっているからまあよかったのかもしれないですけど、そんな演出は初めから考えられていたのですか?それと、今はパートナー解消されているということだったので、こういうことでまた更にそういうストーリーを撮るということでも、やっぱり内容が内容だけに、どういう気分だったのかなと。その辺は互いに元パートナーであったということで、割り切って仕事をされていたのでしょうか?
VD:まさにその通りなんです。他人に映画化されたら嫌だろうと思ったというのが正しくて、自分たち2人が経験したことだから、そのテーマを如何ようにも、どんな風にも使えるという自由を得ていたわけですよね。どんな風に痛めつけたって、揺さぶりをかけたっていい。全然それを聖なるものとして扱わなくてもいいし、それに対して尊敬の念を持って扱わなくてもいい。それは例えば、ユダヤ人が自分たちのユダヤ性をジョークで笑い飛ばすのはユダヤ人しか出来ないというのとすごく似ていますよね。そしてそのトーンというのは、本当に自然な形で生まれてくるものなんですよ。そういうコミカルなところもあれば、すごくドラマチックな部分、そういうのが混ざり合っていますよね。それは実生活でもそうじゃないですか。すごくドラマチックな時でも何か愉快なことがあったり、お葬式でも笑ってしまったり、それがやっぱり人間の生活だと思うんです。私がコメディーを取り入れるのがとても好きなのは、それは状況に対して何か真正面に扱うんじゃなくて、ちょっとした慎み深さっていうのがユーモアを取り入れることによって状況に対して生み出すことが出来る、そのちょっとしたズレみたいなものが、私たちにとってとても貴重なことなんです。
JE:実はナレーションで、僕らが別れたということを最初から入れるつもりではなかったんです。あそこで別れたと言いますが、それは社会が求める伝統的なカップルのようなものには戻れないということを言っていて、実は2人の間にある親密な関係というのは、より一層、永遠なほどに絆が深いものになったという。僕らの人生の中で実際に起こったので、じゃ、これは入れてもいいかなという風に、ちょっと時間をかけて(から)入れることに決めたわけです。それから、実際にもそうですし、この映画で語られることもそうですが、本当にこの絆というのが、何があっても破壊出来ないような、そういう深い絆になっていて、仕事のパートナーとしての僕らのコンビはスーパー・パワフルなコンビになったのです。

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