OUTSIDE IN TOKYO
Valérie Donzelli & Jérémie Elkaïm INTERVIEW

ヴァレリー・ドンゼッリ&ジェレミー・エルカイム『わたしたちの宣戦布告』インタヴュー

3. ヴァレリーは次々と生まれてくる現実的な問題と折り合いをつけていくことが凄く上手い
 (ジェレミー・エルカイム)

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Q:『わたしたちの宣戦布告』は実体験がベースになっているということですし、監督としての最初の短編の時もヴァレリーさんは妊娠中だったということで、そういう実体験をドキュメンタリー映画として作るという方法もあったと思うのですが、あえてドラマに、フィクションに拘った理由を教えてもらえますか?
VD:それは私が女優だからでしょうね。女優と脚本書きというのは似ているものがあるんです。やっぱり私自身は演技をするのが好きで、何か書かれている人物を解釈するインタプリター(通訳/解釈者)ですね。それが好きだからこそ、脚本を書きたいという風になるわけですけど、元々あるのはやっぱり実際の自分ではない役柄を解釈したいという欲求がありますよね。でも今となっては、一本くらいドキュメンタリーも撮りたいかなあと思っています。
JE:ヴァレリーの映画の作り方ですごくおもしろいのが、リアルなもの、現実というのを一番の素材として使うわけですが、それでありながらすごく自分のパーソナルなものに仕上げていく、そういう特徴があるんです。トリュフォーは、映画というのは過激なまでに極端にパーソナルな自分たちに似ているものでなければならない、と言いました。それをヴァレリーは彼女なりに自然なやり方で実践しているところがある。そしてウォン・カーウァイが、映画とは問題を解決する連続でしかないと言っているように、まさに彼女も自然に生まれてくるリアルな問題に順応して解決していくということの連続なんですね。例えば、ここに美しいバルコニーがなければ、ないなりのバルコニーで、それでも何かを作り出していくという、そういうあるものとの折り合いの付け方というのがヴァレリーはすごく上手いんです。それがリアルと上手く折り合いをつける、彼女なりのやり方です。それは全ての映画についても言えることです。


Q:2人ともご自分で演じられることを決めたわけですけど、もし違う人を使っていたらどうなっていたのでしょうか?
VD:(他人を使うのは)論外です(笑)。(もしやるとしたら)もっと若い俳優を起用しています。20歳ぐらいで、若くてハンサムで美人で!私たちと同じぐらいの人では意味がない。私たちがそれを実際に経験しているからこれだけ親密な関係というのがスクリーンでたぶん感じとってもらえると思うんですけど、それが他の俳優だったらこれだけの親密さを出すのはすごくむずかしかったでしょうね。そういう意味では、私たちがもたらしたものは剰余価値というか、本来であったらないかもしれないのをプラスアルファして、そのことで撮影自体、とてもシンプルになったということがあります。もう一つのオルタナティブも選択肢としては、とても若い20歳ぐらいの私たちの世代ではない人たちに演じてもらうということが一つの方法だったのかもしれません。それに、とにかく私たちがやっぱり演じたかったんです、演じたいという欲求があった。それにサラリーがね、ギャランティーが2人分節約できたからよかったでしょ(笑)!
Q:その節約とどちらのウェイトが大きかったですか?節約の部分と自分たちが演じたいという部分で。
JE:素材として、我々の人生がとても興味深い素材なわけだけど、それ以上に、これだけ親密な、本当にあうんの呼吸というのは、他の俳優には出せない剰余価値みたいなものがあって。最初は自分たちの人生というものを少しドアを開けて見てみましょう、みたいな、そういう形でこの映画を作り上げようと思ったんです。そうすると、どんどんどんどんフィクションの部分が生まれてきたんです。そのフィクションが生まれてきて、自分たちの人生とは違ったものが入ってきながら、でも僕らの関係性はすごくリアルなものとして残っているので、その部分では揺るぎないんです。他の俳優が初めて撮影現場で出会って生まれるようなものではないんですね。そういう意味で僕らも凄く楽しみましたし、そういうリアルなものをプラスアルファで入れることが出来たと思っています。
Q:実際の撮影では、どこまで脚本で決められてAからBヘ、という動き方をしたのか、自分たちが作って自分たちが演じているということは、いつでも変えられる可能性を持っているという、具体的な例も挙げながら教えて頂けますか?
VD:あまり即興はないんです。ほとんど即興というのはなかったです。とてもしっかり書き込まれたシナリオで、かなり忠実にそれを撮っていったという感じです。ロメオのお母さんのところで、みんなが集まる、誕生日だったかな、ちょっとしたディテールですけど、あそこはちょっと即興でしました。(冒頭の)オープンキッスパーティーのシーンも即興に見えますけど、実はシナリオに全部書かれていた。だから即興は少ないんですね。インプロビゼーションということで言うと、撮影段階でラッキーなことがありました。その冬はすごく寒かったんです。尋常ではない寒さで、パリではそんなに雪なんて降らないのに、すごく雪が多く降った季節で、これは撮らないわけにいかないとなって、室内はずっと中で撮っていたのですが、雪がすごく降ってきて、よし、これは時間が経過しているのを示すためにこの雪を撮ろうということで、そこでちょっとシナリオになかった雪のシーンを取り入れました。それはとても私たちの映画にとって重要なことだったんです。そしてもう一つ即興ということで言えば、全ての撮影が終わってからリテイクというかたちで撮ったシーンがあって、それは化学療法の薬を看護婦さんが調合するところなのですが、音楽がバックに流れるシーンで使っていて、ああいうところは皆さん、あまり見られるものじゃないですけど、ちょうど看護婦さんが化学療法の薬を調合するところがあったので撮らせてもらいました。そこは、シナリオとか撮影の間でも考えていなかった、後から付け加えたリテイク・シーンなんです。
JE:インプロビゼーションということで言えば、確かに台詞という面ではかなりシナリオに忠実ではあったんですけど、作品の作られ方は非常に軽快で自由なものがありました。私たちのフランス映画ではとても珍しいことですけど、たった8人くらいの技術スタッフだったんですね。8人というとかなり機動力があります。なので、このシーンがあまりよくないねと言うと、じゃ、こっちにしようかって、そういう柔軟なやり方でやれていたわけです。かなり軽快な撮影方法でした。そうした撮影方法の証言として、この映画を観ることも出来ますね。

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