OUTSIDE IN TOKYO
Esmir Filho Interview

エズミール・フィーリョ『名前のない少年、脚のない少女』インタヴュー

4. 僕はいつも隠れた気持ちを描きたいと思っている。隠れた感情に感動するから。
 人が隠して、見せたくないもの。僕の全ての映画がそのことを扱っている。

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OIT:映画監督、作家として、あなたはどこから来ていると思いますか?ブラジル人?パウリスタ?あなたはどこの人だという意識があるのでしょう。
EF:うん。でもそう聞かれると、ブラジル人という意識はあまりなくて、世界の住人という気がする。それは僕が常に動いてきたというのもあるかもしれない。映画を上映したり。まず、ネットの世界があるよね。世界中に友達がいる世界。そして大学で最初の短編を作った時は19、20歳だったけど、それからずっと旅を続けている。映画を上映したり、人に会ったり、自分が本当に楽しいと思う、人の映画を見たり。若い人たちはみんな映画を撮っている。新しい体験も好きだしね。それはサンパウロがコスモポリタンな都市だからかもしれない。それに違う文化といろんなことを共有しているし、僕は世界の住人という気がするね。地球人として!

OIT:そうですね。あと、僕らはサンパウロの映画もリオの映画も北東部の映画も見ることがあるけれど、あまり南部の映画を見ていなかった気がするんです。
EF:そうだね。でもブラジルでも、まあ、これはブラジル映画ではないと言う人が多くて、僕はそのレッテルは好きじゃないんだけどね。これはブラジル映画とも言えないよね。ヨーロッパ的で東洋的だって。作者はこの映画を見た時、これは日本映画だって言ったよ(笑)。でもそれはテーマであり、リズムであり、インターネットのせいかもしれない。でも僕は賛成できない。これは確かにブラジル映画だ。時代は変化していってる。僕はブラジル人だし、ブラジルで作っている。ブラジル育ちだ。ブラジルに生まれ、他で育ったわけでもない。だからブラジルから生まれてきたものだ(笑)。それはブラジル映画ってことでしょ?

OIT:最初に映画を撮り始めた時の衝動はどういうものだったんですか?
EF:自分が感じていることを語りたいという欲求というか、何かを伝えたかったんだと思う。それが最初の衝動かな。僕はいつも隠れた気持ちを描きたいと思っている。隠れた感情に感動するから。人が隠して、見せたくないもの。僕の全ての映画がそのことを扱っている。それにセクシャリティーもある。隠れたセクシャリティーと、あることについてどう感じ、考えているか。ティーンエイジャーは自分の心や肉体を発見し始める時期にあって、死にも興味を持ち始める。実際、僕の映画を振り返ってみると、それぞれの映画がその時期の自分について何かを教えてくれる。なぜかは分からないけど、たとえば、靴についての短編を撮った。靴と愛についてのおとぎ話だ。ナイーブでロマンチックな愛についても語る。永遠の愛について。僕が18歳の頃はそう感じていたのかもしれない(笑)。そして別の『Something Like That』では、初めて裏切りについて語っている。ティーンエイジャーの愛の裏切りについて。いいことばかりじゃない。終わりを迎えることもあるんだって(笑)。『Saliva』は初めてキスされる少女の話だ。初めて触れられ、交換するわけだ。

OIT:体液ですね(笑)。
EF:そう、体液なんだ!それは一体どういうことだってなる。僕はそういうのが好きなんだ。この次の映画はゲームの話だ。人間のゲームだ。ビーチで、正月で、家族の終わりがあり、各々の内なる自由の始まりがあるという話だ。だから映画を撮っている時の自分の状態と、どんなことを語りたいかによると思う。それは君が言ったように、衝動なんだと思う。何かを伝えたいという衝動だ。

OIT:自分はある映画作家たちの系譜に属しているという意識はありますか?
EF:どのような系譜?

OIT:まさにそこです(笑)。
EF:(笑)分からないな。自分が何らかの映画作家の系譜に属していると感じるならば、まあ、例えは無意識だと思うんだよね。あの橋はデヴィッド・リンチの橋だよね、という人がいたり、ガス・ヴァン・サントがあなたの中に見えるとか、ウォン・カーウァイっぽいとか、ベルイマンという人までいたり。ティーエイジャーのためのベルイマンとか(笑)。とてもおかしいよね。でもそれは人に言わせておくんだ。僕はそんな映画作家たちが大好きだし、誰かがそんな映画作家たちの名前を引き合いに出してくれるのは誇りに思うけど…。

OIT:意識はしてないんですね。
EF:そう、意識してないんだ。それは自然にやってくるものだから。もちろん、対話であるし、共有でもあるから。こうした映画作家たちからとても多くのことを吸収してきた。僕は映画を見るのが大好きだ。映画を見るのが好きではない映画作家もいるけどね。でも僕はよく映画を見にいく。だから自然にそれが出てくるのも仕方ないよね(笑)。

OIT:あなたのポートレートを見て、出てきた頃の若いレオス・カラックスに似てると思いましたよ(笑)。
EF:(笑)それはおかしいね。この写真はサンパウロで撮ったものだけど、このカメラでちゃんと撮れるのかどうかも分からなかった。これはデジタルなんだけど、とにかく、僕はいいものは永遠に残ることを見せたかった。過去とか現在とかではなく。ほら、ボブ・ディランの映画は今でもモダンだ。今の子がそのボブ・ディランを見ても、今でも好きになると思う。過去の曲なのに。これが僕の現在の人生だから、僕はそれを信じている。とにかく、この写真は違う時期を提示しているものなんだ。僕はフィルムのカメラを使わない。それは簡単だし、目を養う訓練になるから。フィルムよりずっと楽にできるからね。

エズミール・フィーリョ

ブラジル、サンパウロ生れ。2004年、FAAP映画学校を卒業。以後、短編映画の監督として輝かしいキャリアを築く。短編『Alguma Coisa Assim(Something Like That)』は2006年カンヌ映画祭批評家週間で最優秀脚本賞を、またビアリッツ映画祭では最優秀作品賞を受賞。『Ímpar Par (Paired Off)』は2005年キエフ国際映画祭で最優秀作品賞を受賞。ビデオ作品『Tapa na Pantera (Slap the Panther)』はYouTubeで1000万回以上見られた作品と言われる。彼の最新の短編『Saliva (Saliva)』は2007年のカンヌ映画祭批評家週間に選出され、シッチェス・カタロニア国際映画祭で短編作品グランプリを受賞。この『名前のない少年、脚のない少女』は彼にとって最初の長編作品となる。

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