OUTSIDE IN TOKYO
Esmir Filho Interview

この映画を見た時、このブラジルのサンパウロから飛び出した新星こそ、新しい映画世界を担うフロントラインに立っていると感じた。足跡のない雪上を歩くような、そんな新鮮さを秘めていた。初の長編映画『名前のない少年、脚のない少女』は、ブラジル南部のドイツ系移民が作った小さな田舎町で思春期を迎えた少年が、とにかく町を出たいと切実に願いながら、ネット上の仲間とつながる彼の生活を見せる。亡くなった父の死を乗り越えられず、ペットの犬を溺愛する母との生活は重苦しいばかりで、たまにバカ騒ぎする親友以外は、ネットで見つけたビデオや写真に登場する美少女“ジングルジャングル”に憧れる生活が唯一の拠り所だ。ビデオの中で少女は恋人といつも死のうとし、町外れの橋へ足を運ぶ。そこは今でも自殺者が出る、つまり、この窒息しそうな町から出るには、その橋から降りるか、渡るかしかないように見える。

28歳のフィーリョ監督は、大人になる手前のティーンエイジャーの憂鬱と、孤独からネットに没入するリアリティーを見事に表現する。そんな彼は短編映画をYouTubeで公開し、評判を呼んできたという経歴を持つが、彼はネットの“自然な”閉塞感を体現する初めての監督かもしれない。今回、彼はその小さな町に住む作者の原作を元に、主役の少年も、映像の中の少女も、ボブ・ディラン的な劇中の音楽も、全て地元の子たちを起用し、彼らの現実を織り交ぜながら作りあげていった。それはつまり、少年たちのリアリティーと、彼のリアリティーが重なり、共有できる波長に辿り着いた時点で初めて成立するものかもしれない。

そんなネット、ビデオなど、新しいテクノロジーと自然に戯れる最初の世代かもしれない彼に、映画化のいきさつから、映画感などを聞いてみた。

1. 自分が語るべき題材を探していた時、この本の作者であるイズマエル・カネペッレから
 未構成のページが送られて来た。そして僕はそれを読んで恋に落ちた。

1  |  2  |  3  |  4



OUTSIDE IN TOKYO(以降OIT):この映画はそもそもどういう経緯で撮ろうと思ったのですか?
エズミール・フィーリョ(以降EF): 僕はこれまでもショート・フィルムを撮ってきているんだ。それらの中でも若者について語ってきているし、そういう世界観を常に探求してきた。そこで初長編映画となるべきものを探していたんだ。自分が語るべき題材をね。そんな頃、この本の作者であるイズマエル・カネペッレから送られてきた。でも当時はまだ本も出版されていなくて、未構成のページだけの状態だった。そして僕はそれを読んで恋に落ちた。ネットと深くつながり、小さな町を飛び出したい少年の話に。それもブラジルのドイツ系移民の町だ。これは何なんだ、と思ったよ。なにしろ、僕はサンパウロという大都会の出身だから。

OIT:では、あの少年たちと同じ背景を共有していたわけではないんですね?
EF: そうだね。同じ背景ではないんだ。でもそれはある意味、僕の物語に思えたんだ。読んだ時に、これは僕の物語だと思わずつぶやいた。僕の中でつながったんだ。それが地方の物語であっても、とても普遍的な感覚に思った。それで僕がこの物語に感動したなら、多くの人もそう感じるに違いないと思った。だから僕が共有していたのは背景でなく、そういう感覚だったんだ。それがこれを映画化する出発点と言えるだろうね。それに本がまだ出来上がっていないというのもおもしろかった。それで僕は作家に連絡して、脚本を手伝ってほしいと依頼した。彼の世界観を出発点に。そうして彼はどんどん書くようになり、町も案内してくれた。僕は写真を撮り、ティーンエイジャーたちと話をした。もちろん彼も一緒にいて、僕らの様子を見て更に書き込んでいった。それが最終的に映画となる本になった。それか本となった映画か(笑)。卵が先か、鶏が先かは分からない。そんな感じだった。つまり、大都会の出身でも、この物語の中に自分を見出すことができたからだ。

OIT:では、この物語を作るうえでのあなたの役割はどうですか?あなたは媒介ですか、それともメッセンジャーですか?
EF: そうだね。目的はそこだ。もちろん、イズマエルと彼の本があり、ジングルジャングル、つまりトゥアネ・エジェルスと彼女の写真もある。映画の中の写真は全部彼女のものだ。既に映画の前に撮られていた彼女自身の写真だ。そうして僕は彼女の実人生を借りたんだ。映画の中の彼女のバーチャルな人生にね。それにネロ・ヨハンの音楽もある。3人ともこの町の住人だ。そこでの僕の役割は、彼らを映画に持ち上げることだった。彼らは既に自分の声をネットで持っていたから。そして映画はまたネット世界とも呼応する。それはインターネットを体現している。自分をどうしたら永遠に出来るかについても語っている。ネットのピクセルを通して。今の少年たちはそうやって生きている。「これでいいんだ。僕は認識されている。ネットを介して地球上でこう認識されている」と。だから映画でもそんなことを語っているよ。僕の役割は、いかに自分が見ているものに対して誠実であるかだ。だから映画を見る時に感情が湧いてくる。それをどう思い描けるかは彼らが教えてくれたことだ。彼らは僕に自分を捧げてくれた。僕らの関係はとても親密で、信頼し合っていた。僕はそう見ているけど。


『名前のない少年、脚のない少女』
原題:OS FAMOSOS E OS
DUENDES DA MORTE

3月26日(土)より、シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開

監督・脚本:エズミール・フィーリョ
プロデューサー:サラ・シルヴェイラ、マリア・イオネスク
撮影監督:マウロ・ピニェイロ Jr.
音楽:ネロ・ヨハン
出演:エンリケ・ラレー、トゥアネ・エジェルス、イズマエル・カネッペレ、サムエル・ヘジナット、アウレア・バチスタ

2009年/ブラジル、フランス/101分/カラー
配給:アップリンク

『名前のない少年、脚のない少女』
オフィシャルサイト
http://www.uplink.co.jp/
namaenonai/
1  |  2  |  3  |  4