OUTSIDE IN TOKYO
Gu Siaogang Interview

グー・シャオガン『春江水暖〜しゅんこうすいだん』インタヴュー

2. メイ・フォン先生が僕の脚本に駄目出しをしてくれたことが、とても有難かったです

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グー・シャオガン:その時、私は撮影をしながら資金集めをしていたんです。当時、映画の企画のピッチ大会があったのでそれに参加しました。ピッチ大会というのはお見合いパーティーみたいなところもありまして、企画を発表する側と企画を選ぶ側の二手に分かれていて、そこで合致したら資金やプロデューサーが見つかるという大会です。メイ・フォン先生は審査員を務めていらっしゃいまして、最終的に僕達の『春江水暖〜しゅんこうすいだん』が大賞を獲ったんです、その時、メイ・フォン先生は凄くこの企画と脚本が好きだと言ってくれました、そこで芸術コンサルタントを頼んだという経緯がありました。

メイ・フォン先生は、コンサルタントというかアドバイザーのような形で、とても大事な役割を果たしてくださいました。中でもとても有難かったのが、メイ・フォン先生が僕の脚本に駄目出しをしてくれたことでした。まず、脚本がいわゆる脚本の文体になっていない、文学的過ぎるとの指摘を受けました、なおかつ長過ぎると、このまま映画化したら5時間を超えるものになってしまうからもっと短くした方がいいと言ってくれました。“文学的過ぎる”という指摘は、他の部署のスタッフが読んだら、何をしていいか分からない、準備のしようがないような書き方だったということなんです。

いわゆる標準的な台本の体裁をとっていなかったので、書き直した方がいいとも言われました。そういったアドバイスを受けて、標準的な、みんなに配って仕事の時に使える台本の体裁に書き直しました、時間も5時間のものから3時間くらいのものに短縮しました。そうしたアドバイスをして頂ける先生がいたことで、とても大きな安心感を得ることが出来たんです。

OIT:最初の段階では5時間分くらいの脚本を考えていたっていうことですか?
グー・シャオガン:5時間のものが撮りたいっていうそこまで明確な考えがあったわけではありませんが、初めて書いた劇映画の台本だったので、とにかく思い付いたこと、やりたいこと、こうあるべきだと思うストーリーを書き連ねていったら5時間もの長さになってしまったという感じです。本当に脚本を書くこと自体が初めてだったんです。“脚本のようなもの”を書いたことはあったんですけど、明確に目標を持って脚本を書く、劇映画を完成させるっていう決心をしたのは『春江水暖〜しゅんこうすいだん』が初めてでした。

僕は一番最初に入った大学の学部の時から映画を撮りたいと思っていたんですけど、劇映画はまだ撮れないだろうということは自分でも分かっていたので、ドキュメンタリーから映画の世界に入っていったんです。ドキュメンタリーを5〜6年やってから劇映画を撮ろうと決心して『春江水暖〜しゅんこうすいだん』に至ったわけですけれども、劇映画の経験や正しいやり方、正しい脚本の書き方が分からなかったので、とにかく自分でまずは書いてみたっていうものでした。

ちょうど今は二作目の脚本を書いている最中ですけれども、経験を積んでやり方も分かってきたので、最初の10分でどういう人を出して、そのあとの20分でどういうストーリーにしてといった展開や、映画の尺をどのくらいにしたいからストーリーをどのように構築する、台本を構築するっていうやり方が分かってきました。



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