OUTSIDE IN TOKYO
Jan Svankmajer INTERVIEW

ヤン・シュヴァンクマイエル
『サヴァイヴィング ライフ ー夢は第二の人生—』インタヴュー

2. クランクインするまで4ヵ月をかけて、どういう風に撮影すれば良いかという実験を重ねた

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OIT:プレスブックでも、この映画が自分の話ではないことを断っていますね。自分だけの話ではないと。
JS:もちろん、これは私のストーリーではなく、ただ冒頭に私が実際に見た夢を入れて、それを膨らませることで映画を作りましたが、もちろん自伝的なものではないのです。冒頭の夢の他に、事務所のシーンの時に居眠りから起こされる同僚が語るもう一つの夢がありますね。兵隊の、それも実際の戦争中、見た夢ですが、それも私のものです。

OIT:(ラフォーレミュージアムでの)展覧会にも絵コンテがありましたが、自由に無意識の中から生まれてきた最初の衝動、つまりイメージはどういうものでしたか?
JS:やはり無意識と対話する上で、夢を使って無意識に近づくことが出来ると私は思うのです。無意識は無意識から成ると理解してもらえればいいです。フロイトを読んでもらえれば分かっていただけると思いますが、我々は自分の無意識に動かされている、というか、成敗されているということを彼は言っています。絵コンテは、実際に新作の部分だけを網羅しているわけです。最初から最後までの絵コンテはありません。常にそうですけど、脚本を書かなければならないのは、映画が(審査を)通るために、機関に提出するもので、現場では実際に、部分的にしか使っていない。例えばアニメーションの担当者用に手の動きはこうしなさいとか、手描きをその場で渡すわけです。だからないんです。もうひとつ、元々はアニメではなく、実写用に脚本を書き上げたわけです。他のパッサージュ、場面は即興で生まれたものが非常に多く、工房の中で作業中に、ではこういう風に撮りましょうという指示を皆さんに出して、それに従って撮らせてもらったわけです。実際、クランクインするまで4ヵ月かけてじっくりと実験を重ねました。どう撮影すればいいかの実験として。

OIT:では、今回の手法は妥協の産物ということですか?
JS:そうでもない。最初はアニメーションを採り入れることによって色々と節約するであろう愚かなことを思ったんだけど、そうでもなかったんですね。しかし準備していく内にお金がちゃんと集まるということを知って、それでもやはりこの映画にもう一つレベルが加わるので、じゃあアニメーションを使おうと思ったのです。もし切り絵アニメーションというコラージュ手法を使わなければ、ここに見るような大きな卵を持った男、彼を大きくしたり小さくしたり、それから窓から窓へ物が飛んだりするわけですけれども、そういう象徴的なところを実写だけで表すことは出来なかったと思います。もしそれを実写で写したら、やはりそれはおかしい、陳腐に見えてくるので、アニメーションだったらまだ許されるという風に私は切り絵アニメーションを考えているわけです。

OIT:では、もしかしたら予算的な制約がなく実写で撮れていたとしても、アニメーションを使う可能性はありましたか?
JS:それは分りませんね。こういう思考の過程を経てきました。私がこのような技法を使うというアイデアに行き着かなかったとしたら……、実は今振り返ってみても、これは間違っていたのかもしれません。残念ながら、と言いますか、結果的に節約できず、大変な浪費をしてしまったと思います。それはなぜか。ご存知のように、アニメーションというのはすごく時間もかかれば、手間もかかる。スタッフを雇い、役者の写真を撮ってからコンピューターに取りこみ、プリントアウトして、手で切ってからまた並べて撮影をすると、人材や備品など、全てに余計なお金がかかります。そして時間的にも、なかなか思うような期間で完成できなかったと思います。まあ、それと同時に、屋外で撮る必要がなくなったことで、節減になった部分もあります。全てをアトリエ、つまりスタジオで撮ることになったわけです。背景に引き伸ばされた写真を使ったりしたので、そういう意味では移動費、食費、役者の保険など、そういったもの全てが節約できたとも言えますよね。


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