OUTSIDE IN TOKYO
Jan Svankmajer INTERVIEW

ヤン・シュヴァンクマイエル
『サヴァイヴィング ライフ ー夢は第二の人生—』インタヴュー

3. 非情なまでの集中力と24時間映画を生きるという気持ちがないと映画を作れない

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OIT:あなたの映画は一人で撮ることは出来ないのですか?
JS:短編なら一人で撮ったものが数本あります。長編は一人では撮れないですね、それはどうしてもスタッフが必要です。しかし私が使うスタッフっていうのは極めての少人数ですので。アシスタントディレクター、ADはないですね。カチンコの担当もあまりないですね、だいたい頭に入ってるんです。要するに今はどこまで撮ったか、そういう記述をする人がいるんです。でもそういう人はいない、だいたい頭に入っているわけです。例えば『ルナシ−』の場合は本当にカチンコを使っていない、使ったことがない、全てを頭に入れて記憶で撮影する、非情なまでの集中力と24時間映画を生きるという気持ちがないと制作できない。例えばこの映画の場合、一日の撮影日が終わってすぐに編集室へ入り、編集をします。なのでほぼ毎日、いや毎晩ですね。

OIT:タイトルのようですね。
JS:おっしゃる通りです(笑)。どこかで言ったと思いますが、これが私の最後の映画のつもりで撮りました。ただ生き抜くことが出来たので、もう一本撮りたいと思っています。

OIT:最後の映画であるかのように(心血を)注いでいるのはとても強く感じました。
JS:それはこの映画だけでなく、他の作品もそうで、そうでなければダメだと思います。やはりどうしても作家性が入っていなければ駄目だと思いますし、脚本も自分が書いた脚本のみを使っています、他人が書いてくれたものは使わない。十分に映画と同一化してからクランクインする。そうでないといいものは生まれません。例えば脚本を書き上げて数十年間練り上げたもの、寝かされたものを敢えて使います。でも新しく書き上げたシナリオはほとんど使っていないです。私の映画の場合、おそらくいつ撮ってもアピール性がなくならないと私は思うんです。だからあまり流行に応じることなく映画を作っています。

OIT:その有効性がなくならないと信じる部分はどこにありますか?
JS:要するに、私が撮ろうとするのは想像上の作品で、イマジナティブ・ワークなのですが、それはどんな時代でもその時代を生きる人の解釈で解読出来ますが、例えば、その時代の戦争といった具体的なテーマを持って作られた映画というのはその時代の人にしか分らないんですね。あとは、その時代のドキュメンタリーとしてしか受け止められることがないであろうという風に私は思っているので、想像力は自分の作品の中で極めて重要な部分を占めているのです。それで先ほどのご質問ですが、どんな時代でもおそらく私の映画をなんらかの形で理解してくれる人がいるんじゃないかという自信を持っています。

OIT:第三世代のシュルレアリストという呼び名ですが、シュルレアリスムは有効ですか?
JS:そうですね。もちろん歴史家、美術史家にとってはすでに死んでいるわけです。美術史家というのは常に新しい何かが生まれなければ書くものがない。そして美術市場にも新しいものがなければ、やっぱり運営は難しいでしょう。しかしシュルレアリスムというのは、やはり美術市場に入ろうとしたことはないと思います。もちろん1930年代にはアヴァンギャルドの一部だったことは確かですけど、シュルレアリスムはアンドレ・ブルトン以前にも存在しました。以降ブルトンが定義づけましたが、ブルトンが亡くなっても尚、シュルレアリスムは存在しているわけです。常に同じ心を持つ人たちを惹き付ける力に溢れている、と私は思います。有名な言葉ですがブルトン曰く、シュルレアリスムは芸術でないと。ある種の人生感というか生活感、世間感であり、また20世紀のロマンチシズムであるという風に私も確信しています。おそらく21世紀のロマンチシズムが結成し終えるまでの機能をシュルレアリスムが果たしていくんじゃないかと思います。私にとってシュルレアリスムは集団的運動であり、例えば個人で孤立した人から、自分がシュルレアリストだと言う人にあまり興味はない。果たしてその人が本当にシュルレアリストかどうかも疑わしいわけで、集団運動は常にグループで何かを実験したり、遊んだりするものです。例えばチェコやイスラエル人のグループが1960年代からアナロフォンという季刊誌を年に3回出していますが、それはシュルレアリスムが現在も有効であるという例でしょう。

OIT:あなたは我が道を行く人のように思いますが、何かに属している感覚はあるのですか?
JS:やはり属性としてはシュルレアリスムのグループだと思います。例えば、余談になりますが、次の年末、というか年末年始くらいから、この20年間を網羅するチェコシュルレアリスム展というグループ展を準備しています。私と6年前に亡くなった妻のエヴァとで、1970年当時はまだチェコスロバキア人の集団だったそのグループに加入しました。その時はすでに地下活動を行っていて、もちろん展覧会どころか出版も行えず、当時、地下出版だったわけですが、1989年のいわゆるビロード革命の後にようやく地上に出ることを許されたわけです。つまり、私が今言いたいのは、別に世間で無視され、世間が興味を示してくれなくても、シュルレアリスムは生きていくということです。先ほども話しましたが、1930年代にシュルレアリスムは、突然の流行のようにアヴァンギャルドの主流となったわけです。でもその後はもう落ち着いて、あまり名声を浴びずにきたおかげで生きて残ってきたと私は思います。おかげで、実は非常に強い流れの一つであると私は思うのです。


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