OUTSIDE IN TOKYO
JIM MARMUSCH INTERVIEW

『リミッツ・オブ・コントロール』
ジム・ジャームッシュ オフィシャル・インタヴュー

4. セビリアの街、瓦解していく現実世界と想像世界の境界線

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劇中では、現実世界と想像世界が錯綜するが、監督自身も想像世界にのめり込みすぎてしまうことはないのか。
ジャームッシュ:ある意味では。僕らは、単に作品を分解するように仕事をするんじゃなくて、自分たちの周りにあるものに夢中になる無垢な能力を取り戻そうとしたんだ。
イザックの演じる人物が旅をするスペイン南部の自然のままの風景は、とても風変わりで夢のようだった。セビリアは世界で一番好きな街で、ずっと魅了されつづけている。最初にあそこへ行ったのは1980年頃で、ファブ・ファイブ・フレディ(グラフィティ・アーティスト、ラッパー、伝説的なNYヒップホップ映画『ワイルド・スタイル』(83)に主演)と一緒だった。ニューヨークシティに戻った晩にテレビをつけたら、オーソン・ウェルズがトークショーでインタビューを受けていた。世界中を旅しているが一番好きな都市はどこかと聞かれたウェルズは、迷うことなく「断然、セビリアだ」と答えた。確か、彼の墓はセビリア郊外のどこかにあるはずだ。
あの街にはいつも本当に目を見張らされる。ねじれたカーブを描く狭い路地や、建築物の精巧さ…バルコニーがいたるところにあって、通りから見上げた人にしか見えないバルコニーの下面までが凝ったタイル張りなんだ。セビリアでイザックの演じる人物が滞在する部屋の階段のタイル細工は、まさに見事としか言いようがなかった。

「もう二度とこの部屋を通ることはないだろう」というような、未来への郷愁とも言うべき感覚がこの作品には漂っているが。
ジャームッシュ:クリスとその感覚について話し合うときは「これを見るのは今回が初めてだ」という表現を使った。逆のとらえ方をすれば「もう二度とこの部屋を通ることはないだろう」というのと同じことだ。もちろんそれには気がついていた。僕らにとって映画は自分たちのものの見方だから。よくふたりで、観客の感覚を変えるなにかを生み出したいって言っているんだ。観客が映画館を出たときに、彼らのものの見方がたとえ一時的であったとしても新しく変わっていて欲しい。テーブルの上の平凡なコーヒーカップや、腰を下ろしている部屋に差し込む光を見るときの見方がね。ウィリアム・ブレイクは僕の尊敬する詩人のひとりだが、彼にとって想像力は信仰なんだ。何かを想像する力というのは、人間が与えられた最も力のある才能だ。それは科学の分野でもどんな表現形式でも同じことさ。
人がそれぞれどんな風に世界を見ているかは、主観的なものだ。ものの意味や、もののイメージをどう捉えるかという点で、個人一人ひとりがすでに確立されている支配を拒む権利を持っている。

美術館のシーンは、シュールレアリズムとの親近感を感じさせ、この映画の中心にあって、映画のトーンを決定づけているように見える。“孤独な男”の存在の輪郭さえ、曖昧にぼやけていくかのように見える。
ジャームッシュ:彼はそこへ行き、毎回1枚だけ絵を選ぶ。僕も同じで、なにかに感銘を受けたら、そのことで頭がいっぱいになる。つまりこれは、彼は絵を見るときと同じ見方ですべてを見ているという発想なんだ。彼はプールで泳いでいる裸の女の子を見る時も同じ見方をする。皿の上の洋梨を撮ったシーンでも同じで、僕はこのシーンを絵のように見せたかった。黄金の塔(セビリアにある建築物)とポストカードを見比べる時も、電車で移動する時の、動きのある風景を見る時でさえ同じなんだ。
彼にとってはそれがずっと続いている。それが彼の世界での意識の在り方なんだ。彼は現実を移ろいやすいものだと思っていて、冒頭の殺しを依頼する“クレオール人”のシーンでも、その考え方は表現されている。

『デッドマン』同様、「今現在、その瞬間を生きる」といった考え方が本作でも通底している印象を受けるが、それは監督自身の哲学でもあるのだろうか。
ジャームッシュ:僕は信仰深い人間じゃないが、『デッドマン』や僕が制作に関わったミカ・カウリスマキ監督がアマゾンで撮った作品(『ティグレロ 撮られなかった映画』(94))を通して、異なった哲学にも心を開くようになった。とくに仏教については、規律の面ではなくて、哲学的な面が僕の中の何かに訴えかけ始めた。宇宙にあるすべてのものはひとつであり、今この瞬間が我々にとって唯一のものであるという基本精神だ。ロサンゼルスでブディスト・フィルム・フェスティバルという映画祭があるが、そこで『デッドマン』、『ゴースト・ドッグ』、『ブロークン・フラワーズ』を上演された時は嬉しかった。
正確には、僕は仏教徒ではないけれど、哲学の延長として太極拳や気功を練習するようにしていて、そこで学んだことを作品にも取り入れている。今回の作品では、イザックが演じている人物が集中力を高めるために太極拳を行うシーンで、背景の音を消した。呼吸と体の動きを伴う太極拳やヨガ、それに様々な種類の瞑想を行うと、そうした感覚が生まれてくる。その瞬間の自分の動きに集中しているから、世界の他のものがすべて消えてしまうような感覚になる。

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