OUTSIDE IN TOKYO
LOU YE INTERVIEW

ロウ・イエ『スプリング・フィーバー』インタヴュー

3. 人間関係にも、性にも、ある決まった概念というものはない。
  どのような関係性にも可能性があるということを伝えたい

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OIT:それであなたは禁止されている状況でこの映画を撮ろうと思ったわけですよね?
LY:そうですね、禁止されている状況で撮ったということです。

OIT:その時の決断というか、踏み越える決断は?
LY:多分ですね、かなり大きな決断だったと思います。おそらく撮り始めても、もしかしたら途中で何らかのことが起きて撮影中止ということになるかもしれないと思っていました。ただ幸運なことに、禁止されるようなことはなく、撮影は済んだわけです。

OIT:デジタルで撮るという選択肢も功を奏したのでしょうか?
LY:それは少しはあると思います。とはいえ、ロケしている時の撮影隊は30人くらいはいますから、目立つことは目立ちます。ただ、ロケ地でみんな知ってるんですよ。あー、君は5年間撮影禁止の監督だよねっていう風に。知ってて協力してくれたのですね、そのロケで協力して頂いた方々にはとても感謝しています。もちろん私のスタッフも俳優達も、みんな私が禁じられているっていうことを知っていながら、この作品に関わってくれたわけです。撮影中は、一切そういうことが話題に上ることもなく、とにかく撮影のことだけを考えて、みんなで話し合って順調に進めました。

OIT:でも撮影に関わったスタッフなり俳優なりは、あとでおとがめがあるかもしれないわけですよね?
LY:今のところ、全くそういうことは起きていなくて、むしろ私の映画に出てくれた俳優達はますます有名になっています。『天安門、恋人たち』に出た俳優はそれで有名になりましたよね。

OIT:出演している俳優さんで、ずっと他の仕事を受けずに待っていたという方がいらっしゃいますね。
LY:それはルオ・ハイタオ役のチェン・スーチョンですね。素晴らしい役者さんです。

OIT:この映画は特に、他の映画も結構そうなのですが、セクシャリティについての問題を提示されてますよね?作品の中にそれを描くことに惹かれる理由は何でしょう?
LY:そうですね。多分、今撮り終えたばかりの新しい作品もちょっと関係がありますね。やはり人間は生きている限り、日常生活における人間の営みの中で性という問題を避けては通れないわけです。その性とどういう風に向き合うかということが、ある一つの世界と、そして他者と、どういう風に向き合うかということと大きく関係してくるからです。例えば夜、愛を交わしておきながら昼間他の人にそういうことはしていないという、そういう嘘をついたりする。それは政治家が政治的な嘘をつくのと同じようなものだと思います。例えば、ある立派な政治家が、事実に反して自分は夜はSEXをしていないという風に言ったとします。そうするとそれは大嘘であって、現実を否定していることになる。実際の自分が直面しなければいけない事実というもの避けているということになりますよね。

OIT:性的な衝動や趣向というものも、どう隠してもあるものですからね。
LY:もちろん人としてある限り、自由で自然なことだと思います。

OIT:例えばそういう可能性、許容することを人に伝えたいっていう意思がご自身の中にはあるのですか?
LY:人間の本能として、その性がどういう風に表現されるかという、そこのところの可能性を伝えたいという思いがあるからです。それは人間関係もそうですし、性についてもそうですけれども、ある決まった概念というものはないと思うんですね。可能性があるということを伝えたいと思います。例えばこの『スプリング・フィーバー』の中の色々な人物、その人間関係をどういう風な明確な概念をもって説明できるかというと、それは出来ないでしょう。非常になんとも説明のしにくい微妙な関係の中で彼らは生きているのです。だから一方的に同性愛、異性愛という風に決めつけることはできません。決まった概念というものはないと思います。

OIT:そうですね、その中で監督は答えみたいなものを提示しようとはしていませんよね。
LY:観客一人一人が自分で感じるべきだと思いますね。



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